ペアリス4
酒宴もすっかり暖まって久しく、出来上がった学生達は酒場で喧嘩ごっこや討論を始めた頃には、四人もすっかり顔を赤くして本題に入っていた。
はじめの議題は「持ち物について」である。旅の最中、特に困窮の為に道中でこと切れる事のないように入念に自身の財産について話し合おうとすることは、グランド・ツアーの長い旅路に在っては当然必要な事であった。若き彼らも例に漏れず、旅の最中にこと切れる事のないように、自身に必要な物と、不足しているものとについて話し合う事とした。
さて、始めに切り出したのはルクスであった。彼はこの中で最も年長であり、講師としての蓄えと、貴族出身者であることの蓄えとの為に、彼らに対してワインを片手に、気軽な風に切り出したのだった。
「さて、君達。盛り上がっているところ悪いが、そろそろ現実的な話をしなければならないね」
「現実的な話ぃ?財産の事か?」
ブルーチーズの皿をさり気なく除けながら、クロ―ヴィスは聞き返した。ルクスがワイングラスを揺すりながら、満足げに頷いたとき、最も狼狽えたのはバニラであった。
「旅に出るだけの蓄えがない事に気づいてしまった……」
すっかり気落ちして首を垂れたバニラに向けて、ルクスは人差し指をピンと立て、優雅に振るいながら反論する。
「何、気にすることは無い。僕の蓄えは君達が生涯稼ぐ資産よりも数段多いのでね。君達一人養うくらい、造作もない事さ。だがね、僕からすれば、そんなことは問題とならないとしても、君達が何を必要としているのかについては流石に把握しかねる。旅の支度を整えるにあたって、遺言と、そして僕達の生活のために必要な財産とだけは抜かりなく用意しておかなければならないからね」
ルクスはワイングラスの口をクロ―ヴィスに向けた。クロ―ヴィスはそれを受け取り、一口飲んで口を湿らせる。
「俺は論文も出してるし、親父のコネで書籍も売れている。生活に特別不自由するほど貧乏ではないし、何なら説教で稼げる。だがこの外道と違って遊ぶ金はない。よって、俺が望むのはカルテと賽子、そして酒だ」
彼はワイングラスの口をそのままピンギウに向ける。彼はそれを受け取ると、躊躇いがちにルクスを一瞥し、そして一口を味わって飲んだ。
「僕は特別に裕福な生まれじゃあないから、大学の費用も貸本や説教や、家の手伝いで何とか繋いでいる。だから旅費や生活費は……とても稼げるものじゃあない。求めているものがあるとすれば、それは酒と、食事だけでいい」
ピンギウは上目遣いにルクスを窺う。視線を送られた男は顎を摩りながら頷き、天に親指を突き立てた。
「高貴なるものの責務だ、承ろう」
ピンギウは小さく安堵の溜息を吐き、ワイングラスを最期の男に向けた。
バニラはそれを受け取ると、見よう見まねで口へと運ぶ。周囲の眼差しは生暖かいようなくすぐったいようなものであったので、多少酒が回っている火照った体には過剰な温度となっていた。
「俺は……もとより苦学生で、きちんとした生活は今でもできていない。先生からの研究補助員としての給与とか、施しの給付とかが無くなれば、多分のたれ死ぬと思う。だから、俺が欲しいものは、そう。食事と、あとは研究のための紙だ」
「酒は良いのか?」
クロ―ヴィスが身を乗り出す。意外そうに突き出した目は驚きに丸くなり、当然の権利を受け取られなかったと感じたらしいルクスは不満げにワイングラスを受け取った。
「酒は、いらないかな。それ位は稼ぎたい」
「まぁ、何だね。君の意思は尊重しよう。高貴なるものとして?」
そう言って受け取ったワインの残りを飲み干すと、ルクスは満足げに息を吐いた。
「楽しい旅になりそうだ。やはり、欲張りがいるといいね」
「お?お?厭味か?神の御前で誓ってもいい。俺はお前に食卓の権利を貰わなくても蓄財できるってな!」
「我らが花冠の女神カペラはそうした簿記には関心がないだろう。君の誓いは僕の厭味に対する正当な返答にはならないわけだね」
ルクスが静かに口元を拭うと、クロ―ヴィスが立ち上がってブルーチーズを掴んだ。ルクスはそれを見て片眉を持ち上げる。クロ―ヴィスは口の端を持ち上げて、チーズの角でルクスの鼻を掻きなぞった。
「おうおう。俺は何もカペラに誓ったわけじゃあないぜ?もしかしたら聖マッキオにかも知れねぇ。お前のその反論は証明不足なところがあると思うがね?」
「……また始まった」
ピンギウはそう言うと、自前のエールを仰いだ。既に何杯飲んでいるかも定かではない彼の腹は、やはり店に来る前より突き出していた。
「またって?」
「二人は揚げ足を取り合ってけんかをするんですよ。もう、どうしようもないって言うか、馬鹿馬鹿しいって言うか」
ピンギウはそう言って苦笑する。どこか憎めないのだろう、彼はジョッキを持ったまま二人の論争を小耳に挟んでいた。
「カペラでないというのなら、きみは非国民という事でよろしいかな?僕達の国は花冠の加護を賜った恵みの地だ。その、エールも彼女に返すと良い。そして僕が差し向けたワインもね!」
クロ―ヴィスはその言葉に思わずドキリとする。暫く硬直した後で、引き攣った笑みを返した。
「血讐なんて流行らないぜ?それよりもほら、仮にカペラに誓ったとしてもだ。この大地の恵みを享受する俺達は兄弟だ、つまりは俺達は恵みを受けるに値することになる。そうだろう?」
「では私達がこれから身を委ねるのは、何か!」
ルクスは突然立ち上がった。ピンギウは捲し立てるように「順番に立つよ」とバニラに耳打ちをする。訳が分からないまま取りあえず頷いたバニラに構わず、クロ―ヴィスはエールを高く掲げて証明を映した。
「そりゃあ、フォルカヌスの車輪に違いない!大周遊は運命で、俺達はここに結ばれたのさ!」
「では回そう、その車輪!俺達は運命の従者に過ぎぬが!」
ピンギウは彼らに倣い、立ち上がって手を照明に伸ばす。まるで舞台の出来事が目の前で起こっている錯覚に陥り、バニラは目を丸くした。
一瞬の静寂の後に、バニラは彼らと同じようにポーズをとって立ち上がる。期待の眼差しに困惑しつつ、彼は細い声で言葉を選んだ。
「おぉ、運命の神よ、この旅が下りでありませんよう!」
一同は酒場の学生達の視線を釘付けにした。興に乗ったルクスが身を揺らしながら指を弾いてリズムを取る。荘厳と言うには下品だが、卑賎と言うには余りに洗練されたリズムに合わせて、学生一同が歌い出したのだ。
おぉ、フォルカヌスよ、貴方を讃える
貴方は私達を戯れの旅に導いた
ここは車輪の上、貴方の赴くままに
車輪は巡り、真っ逆さまになるけれど
今は車輪の底の終わり、ここからは昇るばかりよ
この旅に、貴方の祝福があるだろうか
あるともさ!私達は貴方の車輪の上にある!
合奏が開けると、店が一斉に祝いの拍手で包まれた。「楽しんでこい」と野次を飛ばすもの、「お土産宜しく」という見知らぬ男、賑やかさに目が眩んだバニラは、掲げた手を自身なさげに下ろし、きょろきょろと周囲を見回した。
そこで、クロ―ヴィスが彼の背中を強く叩く。
「おう、お前、中々筋がいいねぇ!これでカペルの兄弟団だ!」
「は、はぁ……」
「乾杯、乾杯だよ!飲み明かそうではないか!」
ルクスは一樽分もの酒を注文した。店主はこの気前のいい貴族の子息に、すっかり気を許して注文に応じる。店中にわっと、歓声が起こった。
「待ってました!」
ピンギウが勢いよく杯を掲げる。その後の宴会はそれはもう目まぐるしく、また酒蔵に付けた麻布の如くに酒臭く、樽が一本空くまで続けられた。
バニラが二日酔いになった事は言うまでもない。




