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ブローナ‐リエーフ

 入場時と同様に、川を下っていく一行は、最後に街並みに馴染んだ豪奢な宮殿たちを目に焼き付けて退場した。参拝料の代わりに取られたのは入市税で、これは他の都市より一段高い。学生達はあの快適な椅子やベッドが忘れられず、暫く市壁が地平線へと流れていく様を見届けていたが、やがてこれが見えなくなると、今度は次の都市へ対する情報の共有を始めた。


「次はリエーフだな」


 クロ―ヴィスはパンフレットを眺めながら言う。ルクスは人差し指を立て、バニラを指さすようにして続けた。


「商人が豪邸を作った町だね。教会も、今までとはちょっと違った形をしているよ」


「どんな風なんですか?」


 バニラは実に素朴な期待をしていた。と言うのも、ブローナを見て回った後に、今度は貴族ではない商人が、どの様な城を建てたがったのか関心がある為だ。鳥の囀りもまた素晴らしいが、花は土の上に咲くものである。


「ジャック邸は中で講談をしたことがあったが、余りの壮観に息を呑んだものだよ」


 モーリスは口角を持ち上げて言う。今までの道程よりも、却って気持ちが高ぶっているようであった。


「すこしばかり、リエーフについて解説をした方が良いだろう」


「お願いします」


 ブローナは遥か彼方、水流に乗って素早く遠ざかっていく。徐々に狭まる川沿いの草原では、野ウサギが草を掻き分ける音がした。



 リエーフと言えばこの一帯でも有数の芸術の都だ。ブローナと河川で直接連続し、人の往来も盛んだが、何よりもブローナの有力諸侯たちに写本を売るのが最も稼げるリエーフの産業だった。そのため、リエーフで第一に発展したのが、四つ折り本の装丁を加工する装飾写本産業だ。これによって、印刷技術が発展するまでの間、リエーフはミニアチュール専門の技術者が現れるほどの、芸術分野での細かな分業が発達する。


 リエーフのジャック、ジャック・ディ・リエノーラは、そんな装飾写本の小売業者として生計を立て、リエーフの写本文化に名を刻むほどの大成功を収めた。彼は市参事会員としての権利を金で買い上げると、細密画と写本師、そして画家工房の促進を行っていく。この活動がブローナの貴族達の耳にも届き、ブローナも巨大なパトロン市場へと発展していく。 

 こうしてジャックは溜まった金を芸術の振興活動と、宮殿の建設に着手する。こうして、商家が宮殿を持つ、リエーフの原型が出来た。



「写本文化……と言う事は、もしかして修道院も大規模なものが残っているのではありませんか?」


 バニラは、ペアリスの事例を思い出していた。ペアリスでは大学図書館への献本に、修道院から持ち込まれた古い写本が多数所蔵されているためだ。


「おっ。そうそう。最近、かなり古い修道院が改築されたんだよ」


「過去の書籍を大量に所蔵しているのが修道院や教会の特徴の一つと言えるだろう。ジャックは印刷技術が未発達な世代の人物だけど、当時作られた多くの修道会や教会との交流もあったというし」


 モーリスは補足説明を加える。バニラは褒められたような気恥ずかしさで、何となく広がる河川敷に視線を逸らした。燦々と照り付ける太陽がまぶしく、馬車の庇が恋しく思われる。


「彼らは暇を嫌うからね。何とも忙しないというか」


 ルクスはバニラの頭に自分の帽子を乗せ、代わりに荷物から防寒用のマントを頭に被った。盛り上がった頭を見て、クロ―ヴィスが吹きだす。それに応じてよく船が揺れたので、ピンギウが眉間にしわを寄せ、鼻をひくつかせた。


「ちょっと、揺れると顔に飛沫がかかるんですけど……」


「その通りだ。僕の衣服に染みでも出来たら賠償額は馬鹿にならないよ?」


 ルクスは頭上のマントをターバンのように巻きなおしながら、平時よりもやや語気を荒くして言う。


「悪い、悪い。あんまり不格好だったんで、つい」


「巻きなおすつもりだったさ。ウネッザ人風にね」


 ルクスは唇を尖らせる。その様子が滑稽に見えたのか、クロ―ヴィスは益々腹に力を込めて笑った。


「クロ坊、そう言う風に名誉を傷づけるのではなく、論争で僕を下してみてはどうだ?」


 ルクスはクロ―ヴィスの頬を脱いだ手袋で撫でつける。クロ―ヴィスはこれを手で受け止め、一呼吸置きなおして答えた。


「あぁ?望むところだね、じゃあ論題は、『教会は写本を残すべきか、他に任せるべきか』でどうだ?」


「良いだろう。受けて立つよ」


「あー、また始まった……」


 ピンギウが船の縁に凭れかかり、大きな溜息を吐く。窮屈そうな体躯も手伝って、賑やかな口論に囲まれた彼は、益々身を縮こませた。


 バニラはからからと笑う。

 ルクスが教会による書籍の長期保存の優位性を述べると、クロ―ヴィスは保管書籍の恣意性を非難し、これに対してルクスが写本の歴史的な役割が閑居を埋めるためにあったとし、教会の写本に恣意性が小さい事を反論した。クロ―ヴィスは識字率向上後の写本には優位に恣意性が認められるだろうと反論したが、ルクスはこれを印刷技術の発展と共に写本は役割を終えつつあるため、重要ではないと反論する。


 飛び交う唾も声も快適性を削いだが、流れゆく川の快速さが損なわれることは無かった。論争は夜の就寝を挟んで朝には再会し、翌日の早朝に乗船した後にも、その他の問題も上積みされた状況で再開した。


 やがて、市門の開門する頃には、ブローナと比べるとやや小さな水門が見えてくる。水門の向こうには、古めかしい家屋の群れが軒を連ねる。そのいずれにも川沿いに停泊所があり、中規模の帆船から停泊所に向けて荷物を満載した小舟が向かって行く。停泊所には荷卸しをする人々がちらほらと見え、その汗を撫でるように、湿度の高い温い風が吹く。益々白熱する論客たちに向けて、バニラは大きな声で呼びかけた。


「そろそろリエーフですよ!」


「うるさい!」


 水門が開かれ、流れる水流が船を停泊所へと運ぶ。彼らが下船したのは、結局、それから一時間後になった。


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