ブローナ1
カペル王国の中心的な都市のうち、最も強大なものがカペル王国王家が直接治めるペアリスであるが、ブローナもまた、多くの権力者が集う大都市のひとつである。中でもブローナは、古典時代から中世期にかけて、常にカペル王家に連なるものによって支配されてきた。何故なら、このブローナはかつてカペル王国統一以前の最大勢力の一つであったためである。強大なブローナは陥落後も比較的長期にわたって不安定な時期が続き、様々な暴動や暗殺の舞台にもなった。現在は、次期王である王太子が治める事となる、ドーファン侯爵領の騎士爵でもある、王国髄一の有力諸侯デフィネル家の膝元に当たる。
「ブローナと言えばマダム・セルパンだな」
入場の行列を待ちながら、学生達は雑談を始める。空は夜闇が迫っており、間もなく町は門を閉める頃だろう。未だに、彼らの馬車は兵士が高速で持ち物検査を進める様が遠目に見えるあたりにある。
「蛇王妃、嫌な渾名だね」
「王妃は王太子の事で色々あるのだろう」
モーリスはそれとなく背後を確認する。クロ―ヴィスが怪訝な目を向け、何かに気付くと、口元を歪めて笑う。
「そうは言うがね、先生。あの人は大人しくしていた方が評判も良くなるでしょう。少々いじめが苛烈に思える」
クロ―ヴィスはやや喧嘩腰になって言い放った。モーリスは権威に気を配りながら、唸り声で応じるばかりだ。
「アーカテニアの王子が本気で王位と狙っていると思っているならば、余程神経質な人物とお見受けする」
ルクスが羽根つき帽の形を整える。程よく空気が入った帽子を被りなおすと、満足げに鼻を鳴らした。
「ルクスは王妃と会った事は無いのか?」
「新年の挨拶で少しばかりね。まぁ、最高位でもない限り顔を見る事も難しいから、当主でもない僕くらいじゃあその程度だよ」
「ふぅん……」
クロ―ヴィスは関心を失ったように窓に肘を掛け、瞼を下ろす。彼の小さな欠伸に追従して、ピンギウが大きな欠伸をした。
市壁が迫ると、古都ブローナと言う町の様子が徐々に鮮明になっていく。バニラは窓から覗き込むようにしながら、大きな口を半分鉄格子で閉ざした市門の内側を観察した。
「バニラ君、ブローナがどんな町なのかは、説明できるかな?」
モーリスはバニラに向けて小声で囁く。いよいよ寝息が立ち始めた車内を慮ってのことである。
窓から車内に視線を戻したバニラは、改めて座りなおし、恩師と向かい合う。彼の恩師は顔半分を夕闇に沈ませながら、口元で笑う。目は試すようなギラギラとしたもので、光を湛えながらも、どことなく攻撃的な印象を与える。
「ブローナは、カペル王国最大のライバルの一つ、名門ブロア家の所領として始まりました。カペル王国統一後はかなり長い時間をかけてこの都市を懐柔してきたと記憶しております。その性質上、監視もかねて代々カペル王家に連なる親類によって直接統治されており、カペルの有力者らによる権力闘争の舞台にもなりました」
「だから、この町は昔から、世俗権力の力が極端に強い。町中に貴族の邸宅があり、教会の背も低い」
モーリスは町を分断する巨大な河川の向こう側を指し示す。バニラがのぞき込むと、川の対岸には河川沿いの棟が連なり、その一つに壮麗な邸宅らしいものをうかがう事が出来た。
市の内部には、このほかにもいくつか抜きんでた規模の建物があり、中でも、右岸川沿いの建造物は群を抜いて巨大である。
「だから、ブローナと言えば城廻りなのさ。明日はヘロヘロになるまで城外遊覧を楽しむとしようじゃないか」
政治のにおいを嗅ぎつけたらしいクロ―ヴィスは、指を弄びながら言う。
「へぇ、楽しみですね」
バニラはごく自然な関心に身を乗り出す。市への入場までは後僅かな馬車の手続きを待つ必要がある。兵士が作業の速度を速め、如何にもイライラした様子で乱暴に馬車を催促している。
「あと、賭け事もね」
ルクスが目を瞑りながら話す。モーリスが咳払いをすると、ルクスは片目を持ち上げて彼を見て、再び瞼を閉ざしなおした。
「ともあれ、この町は古都だが、色々な見物があるからね。楽しみにしておくと良い」
「はい」
ピンギウの鼻が鳴り、これが兵士の入場許可と重なった。馬車は巨大な寝息を受けて強く振動し、市門の中へと入場した。