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ラ・ピュセー7

 翌日、明朝の朝焼けを狭い窓から眺める事が出来たバニラは、ルクスが妙に上機嫌な様子である事に気付いた。彼は普段通り完全な身嗜みを整え、流行に逆行するような件の羽根つき帽をかぶる。運ばれた簡素な食事を布団の上で食べると、彼は途端に無理矢理四人と肩を組む。訳の分からないまま為すに任せたバニラの耳元で、鼓膜を破りそうな大声がかけられた。


「今日は僕の親戚を紹介しよう!客人としてもてなしてくれると言っていたよ!」


「うるっせぇ!耳元で叫ぶな!」


 クロ―ヴィスが声を荒げる。バニラは両耳を塞ぎ、大声の板挟みに遭う前に手の中をすり抜けた。


「お?お?クロ坊、嬉しくて意地悪しちゃうタイプかな?」


「俺は寝覚めが悪いのも嫌なの!あと一時間は大声を出すな!いいな!?」


 彼はルクスの胸に指を突き立てる。嬉しそうにからからと笑うルクスの声もまた、酷く大きな声であった。

 クロ―ヴィスが再び怒鳴ろうかと言う時に、隣室の壁が荒々しく叩かれる。笑顔と怒り顔のまま二人が固まり、クロ―ヴィスはそそくさと出発の準備を始めた。ピンギウが呆れた笑いを漏らす。隣室の客人は快適な二度寝の時間を享受したに違いない。


 一同が支度を終えると、待たせていた馬車が既に宿の前に停車していた。ラ・ピュセー出発までは一日の猶予があるため、他の観光客とは異質の措置である。宿の前に馬車の行列が無いのもそのためである。

青空の上に太陽がはっきりと顔を覗かせる頃には、ラ・ピュセーの町でも市場開場の支度が始まっていた。

 とはいえ、馬車は市場へは向かわず、町の中心部を少し離れ、サン・オルガネア大聖堂の前を通り過ぎ、二つ目の古教会を横目に眺めた隣にある建物の前で停車した。


今回は教授が講演の為にオルガネアの大学に赴いているため、学生のみでこの建物を訪れる事になる。興奮気味の学生が何をしでかすか分からない事は、遍歴学生に関する数々の逸話の為に周知の事だが、それだけに、バニラは緊張した面持ちで建物の前に立った。


コの字に建てられた煉瓦造りの建物は、それが権力者のものである事を顕著に示す、現代風の建物であった。

尖塔付きの鉄格子と四角い石を積み上げた警備用の柵の中には、石畳が敷かれている。幾つかの大きな鉢植えには白と赤の花が植えられ、見る者を飽きさせない鮮やかな色彩を作っている。白を基調とした建物が多いラ・ピュセーでは珍しく、煉瓦の色は様々であり、格子状の模様を描いていた。入り口付近には旗を手に立つジェインの像が立ち、彼女は凛とした表情で前を向き、客人を歓迎するような表情を見せてはいない。いくつかの屋根の下には細い窓があり、その少し下には正方形の窓があり、これが二階建ての建物である事を示している。警備に当たる兵士もプレートアーマーと重厚なヘルメットをかぶっており、馬車に最大の警戒をむき出しにしている。


一同は当然下車をするのを躊躇う。先ずは帽子に手を乗せたルクスが馬車を降り、陽気に声を上げた。


「やぁ、やぁ、久しぶり!君達も変わりないようで!」


「こ、これはルクス様。失礼いたしました」


 兵士達は慌てて矛先を天に向けなおし、帽子を取って優雅に挨拶をするルクスの道を開ける。ルクスは馬車に親指を向け、「客がいるが、通していいかい?」と訊ねる。兵士は顔を見合わせ、一人が邸宅の中に確認に向かう。ルクスは帽子を被りなおし、大袈裟に上着を着なおして馬車の中に一瞥を向ける。勝ち誇ったような表情に、クロ―ヴィスが小さく舌打ちをした。


 暫くすると、兵士が駆け足で戻ってくる。ルクスに対して頭を下げ、門を大きく開けた。ルクスは先ほどと同じ表情で、馬車に向けて誘い出すように人差し指でジャスチャーをする。先ずクロ―ヴィスが立ち上がり、続けてピンギウ、バニラが続く。


 開かれた門の前で、三人を物珍しそうな視線が襲う。バニラは兵士にへりくだった挨拶をして足早に前を通り過ぎ、意気揚々と歩くルクスのすぐ後ろにべったりとついていく。


(これは……心臓に悪い)


 カペル王国において、貴族の権威と言うものは何よりも強い。教会・貴族の二大階級は人工のほんの一握りでありながら、王国の富の殆どを有している。バニラにとっては、文字通り「雲の上の存在」であり、当然ルクスに対して抱く印象もこれに近い。しかし、学生である事と友好的である事が、彼に縋り付く事を許す。そして、今回で会う帰属に関しては、無防備なバニラは彼に守られながら、粗相のないように気を遣う事しか出来ない。


 猫のように縮こまるバニラの尻を、クロ―ヴィスが蹴り上げる。バニラは情けない声を上げて飛び上がり、咄嗟に左右を見回した。


「堂々としとけ、馬鹿」


「もう少しリラックスして。貴族に身を委ねる平民となると、却って心象が悪くなるよ」


 ルクスが優しく囁く。バニラはルクスから飛び退いて距離を取り、彼を立てるように一歩後ろについて歩く。


「す、すいません……」


「宜しい。別に食う訳じゃないからね」


 ルクスは鼻歌交じりに歩く速度を上げる。腰が引けそうなバニラは今度は先ほどとは逆に背筋を伸ばして歩く。それはさながら機械のように無機質な動作であり、表情も不自然に強張っていた。


「ハハッ、泥人形みたいだぜ」


「クロ―ヴィスさん……」


ピンギウがバニラ肩を解しながら言う。クロ―ヴィスは笑いを堪えようともせずに「悪い、悪い」と返す。バニラはしきりに謝罪をしつつ、自信なさげに背中を丸めた。


 そんなバニラの緊張を知ってか知らずか、怒りに任せたような乱暴な音を立てて、唐突に扉が開かれた。中から現れたのは、蝋で固められた落ち着いたカイゼル髭が曲がる程の笑顔を蓄えた男だった。


「ルクス、ルクス!ようこそ!賑やかな客もいるようで、嬉しい限りだ!」


「グロア叔父様、お会いできて光栄です!」


 思わず縮こまるバニラをよそに、ルクスは親し気に歩み寄り、両手をしっかりと組みあって握手を交わす。興奮気味に研究成果を聞きこむグロアは、十分ほどの立ち話の後で後ろに従える三名を見た。


「学生のお友達かな。失礼したね、さぁ、中へ入り給え。歓迎しよう」


「あ、有難うございます!」


バニラは背筋を伸ばし、殆ど反射的に答える。裏返った声に、グロアとクロ―ヴィスが吹きだした。


「今日は楽しくなりそうだね。皆様も、是非お話を聞かせてくれ」


 グロアは扉を大きく開け、一同を中へと誘った。


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