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ラ・ピュセー4

 教会の戸を開くと、薄暗い礼拝堂には二本の蝋燭が光を放つ祭壇画浮きあがるように視界の中心に入る。祭壇を中心に鏡合わせのように左右に床が広がっており、雑魚寝をする分には申し分のない広さだった。冷たく重い扉の向こう側に一歩足を踏み出せば、自然と祭壇を目指すように歩くように設計されているようである。


「古教会の分厚い壁が守るものと言えば、神の領域と、篤信と、篤信家らの暮らしと命だ。ジェイン・グクランの時代には、人々はこの場所に身を寄せ合って祈りを捧げたに違いないだろう」


 恩師はしみじみとそう言う。彼もまた、呼吸をするたびに汗や血の染みついたような臭いを錯覚する。物見遊山を楽しみなれた二人の学生は、ズカズカと無遠慮に入り込み、支柱や、床に埋め込まれた棺の絵などを眺めながらあれこれと話している。真面目な二名はゆっくりと、導かれるように祭壇に歩み寄り、恩師が二人の後をゆっくりと追う。徐々に声のない騒々しさが教会に寄り集まっても、三人はゆっくりと祭壇を見上げながら、聖典を挟む微かな明かりに導かれていく。


 一歩歩むごとに、石製の棺が音を立てる。狭く、細い光が窓から差し込み、棺に描かれたその遺体の人生を浮かび上がらせる。戦士ならば矛を携え、縮絨工ならば梟を肩に乗せる。祭壇では、カペラに代わってラ・ピュセーの外壁と市旗を持つ、ジェイン・グクランの像が彼らを見下ろしている。司祭が説教台の前に立ち、不届き者がいないかを厳しく監視し始める。此岸と彼岸の狭間で此岸を見下ろすこの男は、三名の敬虔らしい男達が近づくのを認めて、少しだけ表情を緩めた。


「お世話になります。古い歴史のある、威厳ある教会ですね」


「えぇ、お陰様で。これも神の御業」


 彼は神への感謝を右の鎖骨に手を当てて深い礼をすることで伝える。彼が頭を下げると、丁度目の高さにあるジェインの腰紐が姿を見せた。銅製の像の中で、この腰紐だけが綿製であった。バニラはこれを聖遺物だと考え、酷く不用心な教会側の態度に強い違和感を覚えた。


「この像は聖女ジェイン・グクランですね。この教会とも関係があるのでしょう」


「えぇ。この町で彼女と関わりのないものなど御座いません。この教会もまた、彼女を悼んだ街の人々の寄進によって改築されたものです」


 モーリスが得心して頷く。腰紐の謎が解明できないもどかしさを感じたバニラは、控えめに視線を彼の向こうに向けて訊ねる。


「その腰紐だけが布製のようですが……」


 司祭は腰紐が見えるように祭壇から身を避ける。彼はそのまま、腰紐の結い目を軽く撫でながら答えた。


「あぁ、これは毎年新年の儀式で新しいものに取り換えるのです。聖遺物ではありませんので、御安心ください」


 バニラは腰紐を凝視する。確かに、薄暗い中では分かりづらいが、最近作られたらしい真新しい布である事が分かった。

 白を基調とし、青色の染料で着色して捩じられた紐には、市壁を思わせる冠のように外側に反った星型が散りばめられているらしい。


「毎年結びなおすのですか?」


「えぇ。カペル王国統治以降、この町は反物の中継で栄えたもので、伝統として毎年新しい布をこの時期に作らせて結ぶのです」


「ジェインでもおしゃれを楽しみたいんですね」


 ピンギウは紐を見上げる。司祭は眉を寄せ、困ったように唸った。


「どうでしょうか。こればかりは我々のエゴのような気がしないでもありません」


 棺の前に屈みこむ偏屈な学生達がその絵を見ながらあれこれと死者の人生について語り合う。背景から生家の場所、生い立ち、持ち物から職業、そして足元を見ながら身分を予想しあっている。敬虔な旅客は床に跪き天に祈りを捧げ、身分の高い商人がジェイン像の顔色を伺っている。


 教会は生を受けた者達によって再び盛況を取り戻したが、それを実際に神やジェインが喜んだかどうかを知る術はない。それを示すかのように、ジェインは表情を少しも緩めず、ただ胸元で手を合わせるだけである。


「では、この腰紐は何の為にあるのでしょう?」


 バニラの質問に対して、司祭は困ったような笑みのままで答えた。


「結わえた人々が救われるために他なりません」


 司祭は教会がやや騒々しくなったのを見計らって、両手を叩く。


「さぁ、参拝料を。皆様に聖遺物をお見せいたしましょう」


 棺を跨ぎながら談笑をしていた学生達がズカズカト近寄ってくる。三人は祭壇の段差から一歩後退し、燭台に蝋燭を灯す司祭の無骨な手を視線で追いかける。


 蝋燭に灯が灯り、真新しい腰紐の星々が瞬く。歩み寄ってきた一同が完成を上げたが、蝋燭はそのままゆっくりと上に持ち上げられ、ジェインの腰に帯びた剣の、歪曲した柄にかけられる。司祭は祭壇の裏へと消えていき、暫くすると木製の長い木箱を持って現れた。

 丈夫なモミ製の木箱には、しっかりと塗装がなされ、松脂のにおいが微かに漂っている。

 今度こそ、前のめりになった旅行者たちは大きな歓声を上げる。これに答えるように、司祭はすました表情でゆっくりと木箱の蓋を開いた。木箱から顔を覗かせたのは、良く手入れされた古い剣であり、鞘には女性用らしい花柄が散りばめられている。ややくすんだ灰色をした鞘をゆっくりと引き抜く。柄から伸びた刃は深い真鍮色をしており、鉄剣と比べて優し気な印象がある。ジェインが前線で戦ったという記録は決して多くなく、この剣が儀式用のものである事を容易に予想させた。


「ジェインの守護剣、参拝者は現在までの生涯全ての傷害の罪から救われる」


 司祭はしのぎを優しく撫でる、ぼんやりと照らす蝋燭の光にあてられ、黄銅の上品な輝きを放つ。人々は銅貨や銀貨などを司祭に手渡し、この黄銅製の珍しい、古びた剣に両手を合わせる。老人などは涙を流しながら、これからの息災についてさえ祈りを捧げる。


 最後に残った学生達は、モーリスに従って寄付をし、冷静に手を合わせた。それまでの人々の熱狂が嘘のような静寂となり、冷え切った仄暗い教会は、生ある者達それぞれの都合の良い思い全てを受け容れる。それは、都合よく世界の善性を信じる者の心を慰む為に役立っている。

 黄銅に降り注ぐべきジェインの柄にかけられた蝋燭の灯は、司祭の顔に隠され、学生達の心を揺るがすほどの神秘性を受けることは無かった。


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