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ソルテ5

 市場の散策と教会への礼拝で一日を終えた一行は、控えめな食事を終えて雑魚寝の部屋に宿泊した。

 雑多な旅人が複数人宿泊する安宿で、彼らはそのうちの一部屋に首尾よく収まった。

 日々の雑務をこなすためにモーリスが席を立ったのをいいことに、一人分の沈黙を見事にかき消す学生達の雑談が続く。

 狭い部屋にあるのは藁を敷いた上にシーツをかけたマットと、その上にかける薄い布、煤で汚れた真っ黒な炉であり、その煙を逃がすための排煙口は、今は閉ざされていた。


 旅の初日を終えて、もっぱらの話題は教会の様子に関する事であった。


「流石はグランド・ツアー、大行列でしたね」


 ピンギウは水差し一杯に張った水を音を立てて飲み干してから言った。マットの上で手遊びに藁の感触を確かめていたクロ―ヴィスが顔を持ち上げる。


「あれで罪が許されるなら安いもんだがなぁ」


「お二人は、あんまりそう言うのを信じないタイプですか?」


「迷信に信じるも何もあるか。俺達の前にあるのは法律上の罪と罰だけだ」


「そんなこと言って、お化けが怖いのは知ってるんだぞぉ」


 クロ―ヴィスの頬を人差し指でぐりぐりと弄りながら、ルクスは意地悪な笑みを浮かべる。それを手で払ったクロ―ヴィスは、「分からねぇ事象が怖いだけだ、別にお化けだから怖いんじゃねぇし」とそっぽを向く。子供っぽい仕草に腹を抱えて笑うルクスは、マットの上には乗らずに胡坐をかいている。


 三人の会話に対して、静かに日課をこなすバニラは、マットの上に座りながら床の上に諸々の道具を置いて、小さな独房にあるような窓から差す夜闇の向こう側に目を凝らしていた。


 馴染めないというわけではない。ただ、彼の脳裏を昼の一件が頭を過るたびに、乱された心が呻き声を上げた。

 冷ややかな視線にはそれほど抵抗感はないものと思っていただけに、身近にあるはずのピンギウの刺すような視線が彼の心を痛めたのは、彼自身にとって想像以上の苦痛となった。

 寝食を共にする間柄となったうえで、良好な関係を築けなかったらどうするべきだろうか?そう言った不安の為に、彼は会話の成り行きを慎重に見守る事にしたのだ。


 幸い、バニラは学生としては真面目な部類であるため、普段からこうした仮説推論は苦手ではない。バニラは会話に入るタイミングを計りながら、自分の時間もあまり無駄にしないように五感を研ぎ澄ませた。


「分からない事実が怖い、ねぇ。そんな事、日常茶飯事だと思うけれど。僕ならば分からない事実が楽しいのだけれどねぇ」


 ルクスは踏ん反り返る。長身の彼が胸を突き出すと、相応の威圧感があった。


「まぁ、僕は気持ちわかりますけどね。出かけているうちに親に部屋掃除されたときとか、妙に気持ち悪いですし」


「それはまた別の事情だろう?」


 ルクスは呆れたように笑う。クロ―ヴィスが意地悪な微笑を浮かべた。


「で?ベッドの下は大丈夫だったのか?」


「うちのベッドの下にあるのは飲んだ酒瓶だけなんでね、きれいさっぱりですよ」


 ピンギウが無感情に答えると、二人は一斉に「つまらないなぁ……」と首を垂れた。


 その時に一瞬の静寂が生まれる。月光が冴え渡るその瞬間にペンを意識的に置いたバニラは、月光に顔を持ち上げながら、話に割り込んだ。


「酒瓶で一杯のベッドの下っていうのも、中々興味深いですけどね」


「ん?あー、まぁ、生活感はあるわな」


 怪訝そうに片眉を持ち上げたクロ―ヴィスは、藁を潰す作業を再開しながら、足をぶらぶらと動かしている。


「毎日掃除するわけでもないし、酒豪のピングーならそんなものだろう。使用人を雇っているならば職務怠慢だが?」


「お前の身内自慢は聞き飽きた、やめろ、やめろ」


「ほう?家族の樹は長く語られてこそ意味のある物だよ?」


「家族の樹も何も、俺達は一斤のパンに必死って事さ」


 ルクスはバッグの中から土産物の砂糖菓子を取り出し、クロ―ヴィスに放る。それを一つずつ全員に投げると、最後に自分の口の中に放り投げた。


 べっこう色の砂糖菓子は透き通っており、中には気泡のようなものが見られる。始めて目にした琥珀のような美しさに、バニラは、口に入れないまま見惚れていた。


「いただき」


 クロ―ヴィスがそれを口に放り込む。甘さに綻ぶ表情を暫く観察したバニラは、息を呑んでそれを口に放る。


 滑らかな舌触りと、猛烈な甘みが口に広がる。それを美味と呼ぶべきなのか、バニラには判断しかねた。


 ‐‐濃い味だ‐‐


 それが、バニラの感想だった。口の中で溶けると言えば聞こえはいいが、舌の上に食品が残るという違和感に、思わず顔をしかめる。

 やはり薬品は薬品か、そう思うと同時に、彼は自身の舌が下品なように思われて、酷く恥ずかしくなってしまった。


「ふむぅ、甘いだけのものは好みではないと」


「え?あ、えーっと」


 言葉を濁すと、「当たりだ」とピンギウが答える。首を横に振り否定の意思を示したが、彼らは生暖かい目でバニラを見つめる。


「個性とは、食に現れる。君にはこれからも色々食べてもらうとしよう」


「じゃああれだ、明日の朝はあれで決まりだ」


 クロ―ヴィスがあれ、あれ、と連呼すると、ピンギウも何度も頷く。ルクスはやや乗り気ではなさそうであったが、「あれ」の観光という側面での有用性に触れながら、「じゃあ、あれで」と短く同意した。


 バニラは眼前でとんとん拍子に進む話についていけず、きょろきょろと周囲を見回す。布団だけの雑魚寝部屋、蝋燭も灯さずに続く会話は喧しく、昇る月が傾くまで続いた。


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