ソルテ4
討論の際には口数が少なく、宴の席では黙ってひたすら酒を仰ぐ、ピンギウ・ソルテは外を回る間もただはしゃぐ二人について回る。後ろで堂々と控えた腹に押し出されそうなバニラは、教授と並びながら、非常に些細な事で議論を交わす二人の背中をじっと眺めていた。
ソルテの街並みはペアリスを小規模に凝縮したようなもので、町の外周へ向かう程怪しげな店や浮浪者が増えていく。大通りを歩く二人に付き従う三人は、その街並みの素朴な部分……文化の部分について思いを巡らせていた。
「僕はこの辺りの出身だから、単純に里帰りなんですけどね」
「ソルテ……そうか、ソルテかぁ!」
教区名や地名が苗字代わりに使われることは特段珍しくない。貴族などでなければ、特に断りも無く、地名は当たり前の固有名詞の一部として扱われた。
ピンギウは黙って頷くと、先を急ぐ二人の背中にニヒルに見える笑みを向けた。
「それにしても、遊びになると途端にテンションが上がりますね、彼らは」
独り言とそれ程変わらないトーンの彼の言葉は、道行く馬車の車輪の音に半ばかき消される。バニラはこれに答えることが出来ず、返答を待っていないピンギウもその言葉に対する返答を待って黙ってしまった。
間断なく流れる人の波に流されて途切れた会話は、次の話題に向ける意思を殺ぐのに役立った。三人は特にこれと言った言葉を交わさずに、露店に並ぶ商品を思い思いに見て回った。
ペアリスの市場とそれ程異なるものはなかったが、菓子屋の前だけは変わった商品が並んでいた。
サン・カミシア大聖堂の薔薇窓を模した飴細工や、小麦のパンに蜂蜜を塗り、そこに菱形を描いたもの、クッキー生地に焼き印で聖堂の二つの塔をつけたものなど、大聖堂を中心とした商品が並んでいた。
観光資源としての宗教建築物と言うものは、カペルではこうして再加工されるのか、バニラは自分の都市では滅多に赴く事のない、こうした特産品売場に思考のリソースを割き始めた。
しかし、気になり始めると習慣化し、だらだらと継続するバニラらしく、その思考は夢の大旅行にそぐわない、非常に現実的な問題を想起させた。
(高い……)
バニラは値札を一瞥してすぐに視線を逸らす。彼の持ち金ではとても買えそうにないので、彼はそのまま今後の旅で苦労しないだけの収入源について思いを巡らせた。
(掃除や配達なんかは少し時間がかかりすぎるから、旅には向かないが……。遍歴学生の収入源と言えば、説教なんかだろうか?)
バニラは自分が浅ましい人間とは決して考えていないが、まざまざと見せつけられる財産的な格差は、やはり辟易するほど明らかだった。
貸本屋に自分が走っている間に、他の学生はモードの話に熱中した。その姿を見るたびに、彼自身がモードに関係があるか否かはさほど問題ではなく、彼にとって、彼らが対価を支払う事によって得られる幾つかの交流に遅れを取っているような、非常な焦燥感に見舞われるのだ。
まさか旅先でまで、そのような疎外感を感じるわけにはいかない。恩師モーリス・ジュミス教授が彼に与えてくれた絶好の交流の機会を、学びの機会を、無駄に使用するわけにはいかないのだ。
バニラが俯きがちに歩くので、彼の恩師は心配そうに顔を覗き込んでくる。愉快な旅路を演じる先導する二人は風呂屋や娼館の位置を確認しながら、高価な地図の上に丸を打ち、その間にも非常に程度の低い論争‐‐所謂世俗的な性欲の世界にあるような論争‐‐を繰り広げている。
「バニラ君、どうしたね?疲れてしまったのならば少し休もうか?」
「あぁ、いえ。路銀稼ぎの方法を少し考えていまして」
「真面目ですね。ルクスに言えば払ってくれますよ?」
「いや、そういう事ではなくて……」
そう言いかけて、バニラは口を噤んだ。眼前の学生は、あくまで自分よりの人間であって、彼に対してそうした思いを告げる事は、彼の考えに批判的な立場を表明するように思われるだろう。
彼には、自分が単純に、この旅を通して交流の輪をある程度広げながら、学業に励むという学生らしい在り方を目指してみたいという思いを持っているのだといういう事、その上で、奢られる事実が一定程度の負い目となるように思われる事から、路銀を稼ぎたいと考えているだけだという事を、うまく伝えられる自信がなかった。
そうしてやや視線を落とした状態を維持していると、ピンギウはじっとりとした目をして小さく息を吐いた。
「貴方は、所謂真面目過ぎて友達いないタイプでしょう」
そう言って彼は歩幅を大きくして前方の学生を追った。制止しようとして遠ざかる背中に、少しだけ上げたバニラの手は静かに下ろされる。
一瞬歩みを止めたバニラに合わせて、モーリスは立ち止る。バニラはそのまま視線を店先の商品に向け、再び歩き出した。街角のモーリスの心配そうな視線だけが、彼に纏わりついていた。