表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/155

ペアリス-ソルテ1

 初日の夜の騒ぎは、どの馬車でも変わりないものだ。先約された行商宿にひしめき合う人々の中には、貴族や、豪商は勿論、それ程蓄えもなさそうな人々の姿もあり、駅伝の為に作られたこの宿場は普段と異なり、浮足立っていた。


 酒と煙と肉のにおいに、喜ばない者はこの場所にはいない。身分を越えた密集した食堂には、数多くの見知らぬ笑いが溢れていた。


「よし、呑むぜ、呑むぜ!」


 クロ―ヴィスは強引にピンギウとバニラの肩を寄せて笑う。ルクスとモーリスは、それぞれ挨拶回りの為に各々の関係者のもとにむかっていったので、完全な学生達は自由に飲むことが出来る状態にあった。


 ペアリス近郊の宿場町、ニーダーペリヒは、その規模こそ小さいものの、軍事的に重要な拠点として発展した。城壁の代わりに村特有の低い柵が周辺地域を隔て、小さな宿と飲食店が狭い土地の中にひしめき合っている。宿を取るには困らないこの町に住む人々も、パンクしそうなほどのグランド・ツアーの行列には驚いたに違いない。

 関所の役人も抜かりなく税を徴収するが、大いに稼げるときにこそ溜息は尽きないものである。

 オーダーが困難なことを見越まれるグランド・ツアーに合わせて、この宿ではコース制の食事となっていたものの、ただでさえ狭い建物の中である、興奮した人々の大声と期待に満ちた旅団の大騒動は、コース料理の運搬にも大変な苦労をさせられていた。


 そのようなことを気にするほど、若い三人は気配りのできる人ではない。今か今かと食事の完成を待つ間にも、出された水と酒を両手に持って機嫌よさげに周囲の騒ぎを聞きながら、興奮気味に立席用の丸テーブルを囲んでいた。


「見ろよ、貴族様と先生はあそこで座ってるぜ」


 皮肉めいた言葉も、酷く浮かれた風で覇気がない。一方でイライラしながら食事を待つピンギウの表情はと言えば、バニラもぞっとするほど我慢の限界が近づいているらしかった。


「先生はともかく、僕の酒はまだですかね?ねぇ僕の酒はまだですかね?」


 待ちに待った酒が運ばれると、彼はそれをグイ、と一気に飲み干し、翻った店員にジョッキを差し返した。店員は慌ててそれを受け取ると、次の注文を取りに別の席に戻っていった。


「あんまりピリピリするなって、旅の初日だぞ?」


「酒を持ってくればよかったんだ、酒を持ってくればイライラしなくて済んだんだ……」


 不機嫌なままぶつぶつと呟いたピンギウは、そのまま下を向いて完全に自分の世界に入り込む。基礎教養学部で習った懐かしい言葉の並びを、バニラは隣の男から延々と聞かされた。


「ピングーは置いとけばいいか。じゃあバニラ、お前。魔法科学専攻なんだよな?どんな魔法研究してるんだ?」


(来た、この質問……)


 魔法科学を専攻する者が決まって辟易する質問は、どんな魔法を研究しているのか?である。魔法学のうち、魔法科学は特に科学的な知見を基に魔法を証明するための学問であるため、「魔法」と言うよりはより科学に近い。

 その上、バニラにはこの質問に答えるとより勘違いされることも多いため、この質問に対する嫌悪感は非常に大きかった。


「俺は本当は、天文関係を研究しているんです」


「星の秘跡か?あれは掘り下げられすぎてないか?」


「いえ、そうではなくてですね。爆発を起こすような類の魔法を科学的に証明できれば、それを天文の知見に生かせると思いまして」


 クロ―ヴィスは困ったように首を傾げる。ピンギウが正気に戻り、呟きが途切れると、バニラは物足りないような心持になり、言葉を続けた。


「俺の研究の最終目的は、月の世界に行く事なんです」


「はぁ?月の世界にぃ?」


 クロ―ヴィスが素っ頓狂な声を上げる。反応を薄々感づいていたバニラは、特に気に留めずに頷いた。


「月へ飛ぶことが目的という事は、工学なんかの研究もしないといけないですよね」


 ピンギウが会話に入り込む。恐らく彼もまた、バニラ同様に研究に真面目な面があるのだろう。同志を見つけた安堵感を勝手に感じながら、月を夢見る男は饒舌になった舌を回した。


「そう、今注目しているのは、大砲です。あれを上手に使えば月に行けるかもしれない。でもそのためにはやはり、技術的に魔法の力を借りる必要があるんです」


「ちょっと待て。俺にも分かるように説明してくれ」


 クロ―ヴィスは眉間をつまんで二人の会話を止める。立席の食卓には次々に料理が出され、歓声も益々大きくなっていた。

 二杯目のエールを流し込んだピンギウは未だはっきりした意識を話の中心に向けている。その期待の眼差しを受けて、少しだけ上気分になったバニラは一口酒を飲む。流し込んだホップの後味が、喉元で激しく暴れ、言葉を遮った。


「……つまりは、大砲の仕組みを利用すれば、月に弾丸を送る事は出来ます。しかし、人を月に送るためには、何らかの形で衝撃に耐えうる状態を作らなければならない。大砲の動力を高め、しかし衝撃を吸収する目的で魔法の知見を取り入れれば、月に行くことが出来るかもしれない、と思ったのです」


 彼の言葉を追うたびに、小柄なクロ―ヴィスの指が小刻みに揺れる。法学学士らしからぬ正確さで、手元で計算式を書くと、ぶつぶつと呟きながら正確な答えを弾き出した。


「科学修士の知見を述べるとだな。理論上可能だとしても、技術的に無理だ」


 小柄だが自信に満ちた返答に、バニラは面食らう。その目は明らかに確信を持っていたうえ、それまでの浮かれ具合が嘘のように真剣な表情であった。紅潮した頬だけがそれまでの余韻を残していたが、意識が飛ぶほど時間が経ってもいない。彼は黙々と酒を仰ぐピンギウの代わりに、真剣に反論を始めた。


「現在の大砲が射出する弾丸の速度は、精々が時速6000マイト程度、それに飛距離もまるで足りない。神の世界に行く前に、鳥の世界でお終いだ。そんなものじゃあ、真上に撃っても真っ逆さまだな。プロアニア人でもできやしないね」


「確かに、今の技術では難しいでしょう。だからこうして、大学に通っているんです」


 バニラは静かに答える。クロ―ヴィスはじっとりとした目つきでその目を見て、「ふぅん」と興味なさげに声を返した。


「まぁ、面白そうではあるわな。浪漫は大事だ、あの変態貴族よりは好感が持てる」


「あの、クロ―ヴィスさん、は、ルクスさんとどんなご関係なのですか?彼は貴族で博士と聞いているのですが」


 あちこちから飲み物はまだかという掛け声が響く。蝋燭の火を灯しただけの簡易な店内には、呑みかけのエールがあちこちに放られている。店員の苦労の結晶も、憐れ、十秒もすれば空っぽだ。


 クロ―ヴィスはモーリスと仲睦まじげに話す若い男を一瞥し、べっと舌を出して答える。


「あいつとは腐れ縁だ。俺がガキの時からちょっかい出してきやがるが、まぁ、付き合いはずっと続いているな。年上だが、別に今更言葉遣いを正すような間柄でもないしな」


「そうですか……」


 恩師と会話するルクスの表情は真剣そのもので、食堂のどの旅人達よりも知的に見える。バニラは改めて少年然とした目の前の男の方を見る。


「ん?なんだよ」


 案外、この二人は、仲が良いのかもしれない……。バニラは思わず顔を綻ばせて、赤くなった男のとぼけた表情に目を細めた。


「いいや、何でもありませんよ」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ