鎮火
ヴァン君が立ち去り、ソフィア嬢も行ってしまった後、残された私は食事を再開することができなかった。ヴァン君がいつも怒るので、食べかけのサンドイッチをきちんと包みにしまい、帰ってから食べた。私は一晩中、ソフィア嬢のことを考えていた。
「痛い…」
キリキリと痛む胃をさすりながら呻くと、私が昨日のサンドイッチに中ったのだと思ったロゼは呆れたように言った。
「やだサレナ様。だからやめておいたらどうですかって言ったんですよ」
「違うもん…」
心外である。私は机にぐりぐりと頭をやりながら否定した。ロゼは怪訝な顔をすると洗い物を中断し、エプロンで手を拭きながら私の隣に座った。
「どうされたんですか?学園でまた何か?」
仕事中の彼女の傍を離れない私の、「構ってくれ」という意を汲んでくれたようだ。私は机に頭をあずけたまま、頬杖をつく彼女を見上げた。
「…人を傷つけてしまったの」
「え!?サレナ様が!?」
ロゼは目を見開いた。
「私…私と、ヴァン君…?」
「…」
ロゼの目が「ヴァリエール様が原因ではないのか」と疑っている。私は緩くゴロゴロと首を振る。
「私のためを思って言ってくれたのに、ヴァン君が否定して言い負かしちゃって」
「それは…」
「私のことが問題でそうなったのだもの。心苦しくて…」
ロゼは大きく息をついた。
「それはどういうお方なんですか?何を言い争ったのか分かりませんが、サレナ様が心を痛めるような方なんですか?」
(…どういう方?あれ、どういう方だろう?)
私は「んんん?」と首を傾げた。彼女はクラスメートでもないし。かといって全く関りが無かったわけでもないし。あちらが私のことをよく見ていてくれたことは感謝している。
「知り合い…?でもなんて言うか、他の人と同じかと言われるとちょっと違う気もする…。彼女は私のことを気にかけていてくれていて…前に庇ってくれたこともあって…だから余計に私も気にしちゃうのかしら…言い負かしてしまったのが身内のヴァン君だからというのもあるけど…」
うんうんと考えながら話す私を、ロゼは目をぱちぱちさせて見下ろす。
「どうしましょうロゼ。謝らないとダメよね…」
「サレナ様!!!!!」
突然、ロゼは私の両肩を掴み叫んだ。その目は何故だかうるうるとしている。私がロゼの突然の行動に目を白黒させている間に、彼女はメイドたちを大声で呼んだ。すると、何だ何だと皆集まってくる。
「どうされました?」
「あらサレナ様もご一緒でしたか」
「皆聞きなさい。大事件です」
(え、大事件!?)
ロゼはぎゅっと私を抱きしめた。背骨がミシッと鳴ったような気がする。一体どういうことなのか。私はロゼが何を言っているのが皆目見当がつかないし、背骨が折れそうな程抱きしめられている理由も分からない。
「どうしたんですか!?」
「…サレナ様に」
(苦しい)
「お友達ができました」
(………ん?…今何と?)
「もう一回言って」と言おうとしたが、しっかりとロゼの腕が私を抱えているせいで、気道の確保ができず、喉からは「ひゅっ」という音しか出なかった。代わりにメイドたちの悲鳴が部屋中に響いた。
私はロゼの背中をバンバンと叩き、息と背骨が限界であることを伝える。どうにか酸素を補給しながら、「どうしたらそんなポジティブな解釈になるんだ!」と心の中でツッコんだ。呼吸を整えている私を他所に、メイドたちはきゃあきゃあと盛り上がっていた。
「やっとサレナ様にもお友達が…!」
「本当に…今まで本ッ当にリュイ様としか交流されないから、この方には自分の意志がないのではないかと思っておりました…」
私も私もと、泣きながら感動しているところ悪いが、彼女たちは思い切り勘違いをしている。
「違う違う!どうしたらそうなるの!私はただ、昨日彼女に悪いことをしてしまったと思ってロゼに相談していただけよ!」
「ええ!?それなら謝らないと!」
「お招きしましょう!」
「なんで!?」
私の顔はサッと青ざめた。いやいやいやそんなことできるわけがない。私はくるりと背を向けて脱出を試みた。しかし、ばいんと何かに弾かれる。遅れてやって来たメイドのボギーだった。特注のメイド服もどことなくきつそうなワガママボディの持ち主である。私は彼女とぶつかった衝撃で「ぎゃっ」と床に転がった。
「やだあサレナ様、申し訳ありません~」
「駄目ですよ、ささ、招待状をしたためないと」
私の逃亡は失敗に終わり、未だ事情を把握していないボギーによって背後から抱きしめられ、自由を奪われたのだった。
「どうしてこんなことに」と何度も呟きながら、私は半強制的にソフィア嬢へのお茶の招待状をしたためさせられた。数回の逃走を図るも全て阻止され、私とソフィア嬢の関係をいくら「そういうのじゃない」と説明しても聞く耳を持たれなかった。彼女たちは200パーセント善意なので質が悪い。最終的には「もうどうにでもなれ」とやけになり彼女たちの言うように筆を滑らせた。メイドたちは私の文を戦利品のように掲げて、早速彼女の家へ使いを出した。
私は自室で頭を抱えた。あの固いソフィア嬢がそんなホイホイとやってくるだろうか。しかも昨日の今日で。
(断られたら、ものすごくショックなんですけど…)
返事も待たずに嬉しそうに準備をするメイドたちの歌を聴きながら、私はビクビクとベッドの上で体操座りをして待った。
「お邪魔いたしますわ」
「い、いらっしゃい」
私はソフィア嬢から届いた「行きます」というお返事に目を剥いた。お返事通り訪ねてきた彼女を、メイドたちは「さささこちらに」と言いながらいそいそと客室へ案内した。
待っていましたと言わんばかりの用意の良さで、客間には紅茶やら焼き立てのお菓子やらがズラリと並べられた。私は胃痛と動悸と息切れに総攻撃されているため、正直何か口にするどころではない。メイドたちは一通りお茶の支度を終えると、私にウインクを飛ばして客間を出て行った。全然意思疎通ができていなくて泣きたくなる。
「と、突然失礼いたしました。あの…どうぞ、召し上がってくださいね」
「……」
(む、無言…!)
メイドたちの期待するようなお茶会にはならないのは確実だ。どうしよう。彼女の暗い横顔に、私の胸の罪悪感は一層濃くなった。
(と、とにかく謝らないと…!)
この機会を逃してはもう謝れないかもしれないと自身に発破をかけ、ええいと頭を下げた。
「き、昨日は申し訳ありませんでした。ソフィア様は心配してくださっていたのに…否定するようなことを」
「…いいえ」
彼女は静かに答えた。正面を向くぼんやりとしたその瞳は何を見ているのだろうか。彼女の燃えるような生気が鎮火されてしまったようだった。
「私こそ、貴女に謝罪しなくては…」
予期せぬ彼女からの謝罪に、私は「へ?」と間抜けな声を出してしまった。
「…私にも親の決めた婚約者がいまして。彼は宮廷に勤めているのですけれど、とても女性の好きな方で、私はあの方を軽蔑しております」
ソフィア嬢の涼やかな顔がメキャっと歪んだ。鬼のような形相のまま、彼女は続ける。
「女には貞節を強いながら、殿方はあの体たらく。こんな理不尽がありまして?幼いころより常々それが不満でした。ですが、貴女とリュイ様は…」
ほのかに光の戻った目で、ソフィア嬢は私を見つめた。私は同性ながらにドキリとした。
「お互い結婚のために数多く厳しい制約を守っていらっしゃいました。私と同じ、強いられた結婚なのに、どうしてあんなにご立派に努められるでしょうと、心から尊敬していたのです」
(そ、それは……私がまだリュイを好きだった闇の時代…)
「しかし、バーニーがリュイ様に近づいてから、ご様子は変わられました。明らかな規律違反です。貴女は『あの夜』よりももっと前に、お二人を強く咎めてもいいお立場でした。それでも貴女はそんなことはせず、粛々とご自身の務めを守った」
「ま、まさか『婚約破棄』など宣言されるとは思っていなくて…」
私は段々いたたまれなくなってきた。こんなに持ち上げてもらえるなんて思ってもみなかった。すべきことをせずにいるのは怒られるし、やるのが当たり前だったのだ。
「貴女のご立派な姿に感銘を受けました。そして同時に願ってしまったのです。己を押さえ、完璧な結婚に臨む。この理想のお姿を崩していただきたくないと」
ソフィア嬢は、自嘲的に笑った。
「ですから、私は決して『貴女』のためを思っていたのではないのです。自分の理想をあなたに押し付けようとしていただけなのです…昨日、あの方のお言葉で気が付きました。あなたのためを思うなら、本当に必要で大事なことを考えるなら…慣習的に貴女に強いられているものの中には、不合理で理不尽なものがたくさんあるということをよく考えなくてはならなかったのです」
私はたまらなくなった。こんなに私のことを考えてくれるひとが居ただろうか。誰も彼も、私の『次期王妃』という表面的な肩書しか認めず、簡単に羨み、適当に敬意を示してくれるだけ。
(メイドたちは彼女を『友達』と言ったけれど…)
どうして彼女を『巻き込む』ことができるだろう。私は目を逸らして俯く彼女の手を取った。
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