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瓦解

「サレナ嬢、おはようございます」

「おはようございます」

「ご機嫌よう」

「ええ、ご機嫌よう」


爽やかな朝だった。クラスメート達は良くできた人たちだった。クラス分けにかなり恵まれたと思う。リュイと図書館で話してから数日が経っていて、あれから顔を合わさないでいる。ありがたいことだ。関わらないようにと思っていても、いざ話し出してしまうと否応にも頭に血が上ってしまうことが分かった。そうするとやっぱりいいことが無い。ヴァン君のように割り切るには私はまだ人間ができていないのだ。


「……」


ヴァン君と言えば、目下調べたいことは無くなったらしく、非常にダルそうだが教室に現れるようになった。彼が一限目から六限目まで教室に居た日は、クラス全体が緊張してかなり息苦しそうだったのは記憶にまだ新しい。それも数日。クラスを構成する『いい人』のうちの一人が、ヴァン君に「おはよう」と挨拶するようになった。私は心の中で彼の勇気を讃えた。大喝采である。にも拘らずヴァン君の返事が「ああ」と、非常にお粗末だったので後でよく言って聞かせた。全然聞いちゃいなかったけど。


授業に出るようになったはいいが、依然としてヴァン君の態度はあんまりよくなかった。授業中先生に指されれば、にべも無く即答する。あまりに愛想も礼儀もないので、先生がかわいそうだと思った。


剣技の実技の授業でも何かやったと聞いた。男子だけなので私はその場にはいなかったけれど。気の毒に、ヴァン君と組まされた子は終業ギリギリまで相手をしてもらえなかった上に、やっとヴァン君が剣を握ったと思ったら、ひと振りでパキッと剣を折られたらしい。怖かったのだろう。彼はその場でぺたんと座り込んでしまったとか。本当に気の毒。


そんなわけで、紳士淑女を育成するこの学園ではヴァン君は圧倒的に浮いている。ヴァン君が留学に出たのはきっとここが窮屈だったからだろう。私も当時聞いて「へええ」と思ったが、二年生の終わりに突然旅に出てしまったとか。ヴァン君のお家も大概自由で、王都に家はあるものの両親不在が珍しくない家だった。そんな環境なのでヴァン君は無理やり帰国させられることもなかった。行ってしまったからにはどうしようもないので、学園と交渉の末『無期限留学』という形に落ち着けたが、復学するとは学園も家族も期待していなかったらしい。なので、彼がこうして三年生として席についているのは奇跡に近い。彼のことを気にかけている先生も何人かいて、時々温かい目でヴァン君のことを見ている。その様子はヤンチャな孫を見守るお爺ちゃんのようだった。


(どうして帰ってきてくれたんだろう。せっかく自由に飛び回っていたのに)


私は教室でぼんやりと考えていた。ヴァン君の横顔を盗み見た。スッと通った鼻筋がきれいだと思った。おばさん似だな。切れ長の目は眠たいのか、今は閉じられている。髪と同じ色の睫毛が光を湛えていた。


(…黙ってさえいれば、中々美しいのに)


気配を察したのか、ヴァン君の目がゆっくりと開き、こちらを見た。ただ目が動いただけなのに、それはとても色っぽく、私はじろじろ見てしまったことを後ろめたく思った。目を猫のように細めるヴァン君がいつもと違って見えて、私は慌てて机に向き直った。「フッ」と鼻で笑う声が聞こえた。




今日のランチはいつもと違った。ヴァン君は、テイクアウト仕様のサンドイッチとサラダとコーヒーを二人分頼むとさっさとカフェテリアを出て行った。え?え?と戸惑っている私の方を振り返り、「来い」と顎で指示する。私は慌てて後を追った。ズンズン歩く彼の行先は、人気のない庭園だった。適当なベンチに腰を下ろす。


「…今日はどうしてお外なんです?」


「暖かくなってきたからな。人混みは好かん」


な、成程。暖かくなってきたもんね。外で食べても寒くなくなったもんね。そうかそうかと適当に納得してサンドイッチを取り出す。ヴァン君が何か言いたそうな顔でこちらを見ている。どうしたというのだろう。私の反応が気に入らなかったのだろうか。


「お前が…いやいい」


「え!?何!?私?」


言いかけてやめたヴァン君はもう知らん顔で大きな口を開けてサンドイッチを食べようとしている。何だ?何を言いかけたんだ?気になる私は一生懸命彼の傾向を反芻する。むしゃむしゃと咀嚼するヴァン君は呆れた顔でサンドイッチを私の顔に突きつけてきた。いや今考えてるから!


「…食え」


「んええ、もご…!」


喋ろうと口を開いたところに突っ込まれた。乱暴な人だ…。ふと、そこで私は思い付く。三年生になってからヴァン君はほとんど監視するように私の昼食に同席している。


(今まで『私が』寒かったから?本当はお外がよかったのに?)


どうして彼が私の食事を監視しているのかは分からないが、一緒に食べることを第一として場所を選んでいたのであろうと察した。


(カフェテリア、人が多いもんね。私たちの周り比較的空いてたけど…)


とても勝手ではあるが、彼のしていることがちょっと可愛らしく思えてしまって、私は自然と笑ってしまった。


「何がおかしい」


にこにことしている私にヴァン君は面白くなさそうな顔をした。いつもの脅かすようなトーンなのだが、今日の私はちっとも怖くなかった。


「チッ。いいから食っていろ」


「自分で食べるから…!」


ぐいぐいとサンドイッチを押し付けてくるヴァン君との攻防に夢中になっていた私は、近づいてくる人影に気が付かなかった。


「あなた方」


背後から声をかけられ、私は体全体で『ビクッ』とした。ヴァン君は全く驚いていない様子で、いつの間にかにやにや顔になっていた。き、気づいてたな…。私は変な汗をかきながら返事をする。


「は、はい…ソフィア様?」


ついに来た。来てしまった。あれだ。近頃ヴァン君は授業に出ているし、圧倒的に私と一緒にいる時間が増えた。おまけに今のようなやりとり。『特別』と思われても反論できない。


「近頃、よくご一緒にいらっしゃいますが。サレナ様、あなたはご自身のお立場をどのようにお考え?」


「ソフィア様?彼ははとこですの」


「存じておりますわ。でも妙齢の殿方でございましょう?」


「ブフッ」


「「……」」


『妙齢の殿方』でヴァン君が噴き出した。私もそこは突っ込みたかった。そういう色恋的な関係と思われているのか…。ソフィア嬢の漆黒の瞳が冷たくヴァン君を見下ろしている。


「ヴァリエール様。サレナ様は王妃になられるお方です。彼女が今までどんな苦労をしてきたか。その努力を汚すような真似はお控えくださいまし」


「肝心の『王』の方があの体たらくでもか?」


「確かにリュイ様のなさり様は目に余ります。しかし、男性と女性ではどうしたって女性の方が責められるのです。特に、男女の交流については」


ヴァン君の揶揄するような物言いに、ソフィア嬢は正面から反論した。ヴァン君は笑みを消した。


「賭けてもいいが、俺が『仲良く』している程度ではコールデン家は動かんぞ」


「なんの根拠があって…」


ヴァン君は言うが早いか、私を膝にひょいと乗せた。私は瞬発的に、そこにソフィア嬢がいることも構わず


「は な し て !」


と叫んだ。自分でもびっくりする位野太い声が出てしまった。ソフィア嬢もちょっと驚いている。ヴァン君はすぐに私を解放してくれた。


「ご覧の通り。俺とこいつは『親戚』である以上の付き合いではない。血の繋がりがあるものを『他人』とするなら、こいつからは父親も取り上げなくてはならんな」


ヴァン君は私たちに向かって嘲笑うように言った。き、極端かつ屁理屈だ…!ソフィア嬢もきっと同じように思っているだろうが、反論ができない。


「本当に色と権力から守りたければ、本人に耐性を付けさせるべきだと思うがな。温室栽培よりも風雨を凌いでこそ、強く育つとは思わんか」


「…でも、王妃教育では、決められていて…」


「手段と目的を見誤るなよ。強いられていることが正しくないことなどよくあることだ」


「「……」」


完全に沈黙した私とソフィア嬢は戸惑っていた。私は、『いつも通り』の範疇に一応『人付き合い』が含まれていたのだが、これからどうしたらいいのか。ソフィア嬢は今まで是と信じてきたものがスパッと否定されて固まっている。続けて、ヴァン君は面倒くさそうに私に向かって指を指した。


「サレナ。お前は勘違いするなよ」


「な、何をですか」


「お前は『いつも通り』だ。人間関係は奴ら以上のことが無ければあっちは何も言えん。分かっているとは思うが、何か虚実を語られる可能性はある。いいか、『事実』だけは作るな。他人とは薄く浅い付き合いでいろ」


ヴァン君は言いたいだけ言うと、疲れたというように首を鳴らしながら裏庭の方へ消えていった。私とソフィア嬢が取り残される。どうしたらいいんだこの空気。私はこっそりソフィア嬢を見遣った。ばっちり目が合った。彼女は酷く困惑した表情で、普段からは想像できないくらい気落ちしていた。


(何て声をかけたら…)


「あの、ソフィア様…ヴァン君は…」


「申し訳ありません。私、失礼しますわ」


ソフィア嬢は速足で遠ざかってゆく。残された私は、いつもより一回り小さく見える背中を呆然と眺めていた。


お読みいただきありがとうございます!

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