思惑
ヴァン君に連行され、ソフィア嬢に睨まれながら昼食を摂る以外、私は大きな問題もなく日々を過ごしていた。時々耳にする遠慮のない会話を聞き流すことにも慣れてきた。
「結局、リュイ様は婚約を解消するおつもりなのかしら」
「書面出したのかしらね」
「『まだ』サレナ様が『一応』婚約者ってことでいいのよね?」
ランジット家とコールデン家はリュイの『婚約破棄』発言について何も言わない。学園内で起きたトラブルをいちいち一大組織である『家』が弁解することはない。『自分達で何とかしなさい』状態なのである。バーニーが堂々とリュイの傍で過ごすようになり、私とリュイが全く接触しなくなったことから、周りは色々と憶測をしているようだ。
「さようなら」
「あ、さようなら。サレナ様」
今日も授業が終わり、荷物をまとめる。幾分か慣れてきたクラスメートたちは控えめではあるが、挨拶を交わしてくれるようになった。最初はどう接していいやらという感じだったが、私が『普通』に過ごしているせいか、彼らも『普通』にしてくれるようになった。
(忘れかけていたよね…人間の温かさを…)
私はしみじみとありがたさを噛みしめながら、課題の調べものをするために図書室へ向かった。
関係のありそうな資料を片っ端から引っ張り出して読み耽っていたら、時間を忘れていたようだ。窓の外を見ると、陽が結構傾いていた。私は開いていた本を閉じる。そろそろ帰らなくては。あれもこれもと出してきた本を抱え、書架に戻しに行くと、本棚の影から出てきた人物と危うくぶつかりそうになった。
「あ、すみません」
「こちらこそ…」
私たちは互いが誰かを認識して固まった。
「…サレナか」
「…」
私はリュイの顔を見ることができなかった。堂々としていなければと思うのだが、無意識に視線を逸らしてしまう。
(話すことなんてないのだから、避けていけばいいのよ)
無言で通り過ぎようとした私に、リュイは「サレナ」と呼びかけた。
(何故構うの…)
私はゆっくりと立ち止まった。
「最近、ランジット家のあいつといるようだな」
「…ランチだけよ」
私は冷たい声で返した。私が誰と一緒に居ようと、リュイにだけは口を出される覚えは無い。リュイは呆れた調子で続けた。
「聞く限り、やはり碌なことをしていない。あいつを許していると、ランジットの格まで疑われるぞ」
自分のこめかみがビキっと反応した。確かにヴァン君の素行はよろしくない。しかし、君が言えたことだろうか!!!
「…ご心配ありがとう。あなたこそ、交流する人は選んだ方がよろしくてよ」
そっけなく言い返す私に、リュイは明らかに不機嫌になった。
「彼女はれっきとした侯爵家の出だ。何が不満だ。バーニーがお前の代わりに重荷を背負う覚悟をしてくれたというのに。そのおかげでお前は解放されるんだぞ」
「………………」
(こ…この野郎!!…なんかまたよく分からないことを言っているけど…え?まさかこの人…「破談にしてやるんだから感謝しろ」と言っているの…!!??え!?怖い!思考が!!)
自分勝手だとは思っていたが、まさか恩まで売りつけられようとしていたとは夢にも思わなかった。脳裏にガニエさんが家に来た時の様子が過ぎった。言いかけてやめたのはもしかしてこういうことか。そりゃ言えんわ…。ただ切り捨てられただけの方がまだマシだ。
「あなた…そんなことがよく言えるわね…。なんて勝手で幼稚なの」
出した声は怒りと悔しさで震えていた。
「そんな勝手を通そうという時点でそもそもの責任を放棄しているのではなくて?」
リュイは「何?」と顔をしかめる。
「少なくとも、『政略結婚』を自分の都合でどうにかできると思っているのだったら、軽く考えすぎだわ。子供の口約束でもないのに。それに幼い頃から言いつけを守ってきた意味はなんだったの?あなたは今までの私の人生を無為なものにしようとしたのよ…」
「お前は分かっていないんだ。俺たち自身の意志はどうなる。勝手に決められた人生に己の意志も関係なく従うだけの理不尽さがなぜ分からない」
(私はあなたに少なくとも想いを寄せて、この結婚を受け入れていたのに。何もなければ自ら望んだ結婚と同義だったのに…)
今更そんな主張できようもない。何せリュイは私と同じようには考えていなかったのだから。それにリュイの意見はただの反抗期のそれだ。やりたいこととやるべきことがあって当たり前なのに。リュイはこの婚約の担う意味を本当に知らないのだろうか。
そろそろ目頭が熱くなってきたけれど、ここで泣くわけにはいかない。
「―――」
「うるさいぞ」
私が更に口を開きかけたとき。本棚の向こうから第三者の低い声がした。私とリュイは弾かれたように声の方を振り向いた。
「ヴァリエール…」
リュイが苦々しく名前を呼ぶ。
「図書室で騒ぐな。迷惑だ」
「……」
どうしてだろう。ヴァン君にまともなことを言われると複雑な気持ちになる。「あなたには言われたくない」と思ってしまうのは私だけではないはずだ。
リュイは不本意を露わにして、ふいと顔を背けると、さっさと図書室から出て行った。
私は静かに息を吐きだした。胸に詰まっていたものを吐き出すように。ヴァン君は私の目の前にやってくると、「帰るぞ」と言って私の持っていた本を奪った。
ヴァン君は私の屋敷まで着いてきてくれた。半べそをかいている私を見て、ロゼがヴァン君に疑いの眼差しを向けたので、私は必死で容疑を否定した。ヴァン君も、私が苦手なブロッコリーを残そうとすれば怒るくせに、これで気を悪くしないのだから分からない人である。ロゼが夕食を用意すると言って下がったので、私たちは一足先に食堂で待っていることにした。
「…どうして図書室にいたの?」
「どこぞの生徒が、お前らが図書室で鉢合わせになりそうだと言って逃げてきたのを見たからな」
に、逃げなくてもいいじゃないか…。私はちょっと悲しくなり、テーブルに突っ伏した。
「いつから聞いていたの?」
「さあな。ランジットの格が何とかという辺りか」
ほぼ最初じゃないか。「もっと早く出て来てくれてもよかったのに」と口を尖らすと、ヴァン君は「そんなことできるか」と取り付く島もない。あんまりだ…。項垂れる私にヴァン君はため息を漏らす。
「喋らせないと分からんだろう」
「!!」
私はバッと顔を上げた。ヴァン君はとてもつまらなさそうだった。
(もしかして…リュイの考えを聞こうとしたの…)
彼は普段破天荒なくせに急に真面目なことを言い出す。私はちょっと居ずまいを正した。
「最低だと思わない?」
真顔で尋ねた私をヴァン君はジロリと見た。
「…そんな最低なことをされたお前が、反抗せずに『お利口』に過ごしているのは何故だ?」
(え、ええ…?今度は私?何か言葉にとげがあるんですけど…)
「だ、だっていいことが無いから…」
ヴァン君の眉間が寄る。
「え、えと…?だって先月のアレはリュイが勝手にしたことで、腹立つけど向こうの家もうちも「知りません」って感じだし…以前のままでいるしかないっていうか。そりゃこのまま結婚となるのは私だって遠慮したいけど」
「そうだろうな」
「でも、向こうの家が関与しないと言っても、あちらに貸しは貸しでしょ?今回のことで逆にこっちから『辞退』することだってあり得たわけだから。なのに私が問題を起こして咎められるとせっかくの貸しがなくなっちゃう」
「ふっ、ははは!計算高いことだ」
ヴァン君は珍しく、とても楽しそうに笑った。予期しない反応に私はちょっと怖気づく。普段こんなに明るく笑わない人が…。
「何故コールデン家は息子の肩を持たなかった?」
「な、何故…!?そりゃ理由が無くない!?この婚約は前の『王様』が持ち掛けたものだから、あちらから破談を持ち掛けることはあり得ないよね!?それに、目的から考えても断るメリットが無いし…」
「それならどうして妙なことになっている息子を放っておいたと思う?」
「え?ええと、リュイがどうしようと覆ることは無いから?」
「…それだけか?」
「んんんと…あとは…想像だけど…リュイを理由にこちらが婚約を辞退したとすると、何かいいことがある…?あ、別条件で沿岸部の保証を取り決めることになる?から?」
私は父の言葉を思い出した。ヴァン君は私の答えを聞くと、満足そうに笑みを深める。
「そうだ。『結婚』は最も強い契約だが、『次期王』を差し出さなければならない。『国』としては今回の契約は是非さっさと結んでおきたいのだろうが、『コールデン家』としては他に都合のいい結婚があるかもしれん。ランジットと繋がりつつ、他でも益を求めるというのは強欲過ぎると思うが…」
「こ、駒ですね…」
「?当たり前だ。お前も駒のひとつだろうが」
「何を言ってる?」みたいに言わないで欲しい。私は今まで自ら進んでリュイと結婚するつもりで生きてきたのだから…。傷つく私にお構いなく、ヴァン君は更に続けた。いつの間にか笑顔は消えていた。
「駒が己を駒として自覚したなら…自ら考えて動く駒でいろ」
「……」
ヴァン君が、意地悪で言っているのか、優しさで言っているのか。はたまた、私に向けて言っているのかどうなのかも、読み取ることはできなかった。ヴァン君は一瞬フッと笑うと、私の頭をぐしゃぐしゃ撫でた。
私は何故だか切ない気持ちになった。
「こっちに帰ってきてから色々と調べたが…コールデン家も『ランジット家の辞退待ち』と見える。と言ってもお前に非があれば何を言ってくるか分からん。イーブンな状態で交渉するか、優位に立って交渉するかは天と地ほど差がある。こちらに有利な状態で『辞退』するよう持っていくのがお前の役目だ」
「……」
「あとは…あの侯爵家の娘だな。あそこは中々面白いことになっているな。分家に権力を奪われそうな本家が起死回生を狙っているようだが…うまく娘が立ち回るか…」
不敵な笑みを浮かべるヴァン君に対して、私は唖然としていた。も、もしかして…授業に出ずに何をしていたかと思えば…。
「情報収集していたの?」
ヴァン君は大げさに「当たり前だろう。俺はこの前帰ってきたばかりだぞ」と嘆いた。どう聞いても悲しんでいる風には聞こえなかったが、私はこの扱い辛いはとこを見直さずにはいられなかった。
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