人違い
学用品、新しいブックカバー、あとは一目ぼれしたソックス。私は今日、リンを引きずって街に来ていた。久しぶりに来た店には、心を奪われるものがたくさん置いてある。欲しいままに買っていてはキリがないので、本当に欲しいかよく考える。
「うーん」
「サレナ様」
「ご、ごめんなさいね。すぐ選ぶから!」
「いえそうではなく」
選ぶのが長いと言われているのかと思って謝ると、リンはノンノンと首を振った。違うならどうしたのだろう。彼女も何か欲しいものがあったのだろうか。それなら買い物に付き合わせているお詫びとお礼に何か贈らせてもらうが。どちらにしようか迷っているハンカチを両手に持ち、リンの方へ寄る。
「どうしたの?」
リンは言いにくそうに「通りの向かいにコールデン家の紋章のついた馬車が止まっています」と報告してくれた。コールデン家という名前に一瞬固まる。いやいやリュイが乗っているとは限らない。ここのところその名前に敏感になってしまっているから生き辛い。
「そんな中腰で…私見てきましょうか」
商品棚に隠れるように徐々に腰を落とす私に、リンが勇ましく申し出た。「いい!いい!」とブンブン手を振る。私は結局迷っていた商品を買わずに棚に戻し、こそこそと店を出た。リンが「逆に泥棒みたい…」と呟いていたけれど聞こえないふりをした。
雑貨屋を出ると、我々は昼食を摂るために行きつけのレストランへ向かった。ここは所謂穴場。個人的に街に来る時には大体ここに来る。店の半分が地下に埋まっている造りのため、外からは見られにくいところも気に入っている。
「さあさあリン、好きなものを頼んで!」
リンは目をパチパチさせてメニューを見ている。口には出さないが、とても嬉しそうだ。そういえばいくつくらいなんだろう。2年前から家で働いてくれているが。見た目が変わらないので今や私が追いつき、同じくらいの歳に見えてしまう。小さな顔、ほっそりした首、華奢な体躯、白い肌。ううん羨ましい。まるで「お人形のよう」。私は初めて会ったときの印象を思い出した。
「リン、決まった?」
「このにんにくマシマシ肉盛りセット牛脂付きにします。あ、パン厚切りで」
「んんんんんんんん」
「午後からは工事現場ですか」というチョイス。私は額に拳を当て口から出そうになった言葉を封じ込めた。好きなものを頼めと言ったのは私だ。彼女は悪くない。見てみなさいあのご機嫌そうな顔を。
「すみません、『にんにくマシマシ肉盛りセット牛脂付き』と、『ピ」
「パン厚切り」
「ぱ、パン厚切りで。あと、『ピクルス盛り』、『ブルーチーズのバゲットサンド』マスタードきつめで」
「渋い…」
「あなたに言われたくないわ!」
お互いに匂いがきつめのランチを頬張り、テーブル周りの空気を濁らせていると、地下から窓半分だけ見える外に目が行った。
「どうかなさいましたか?」
私は一瞬見えたものに首を傾げる。
「いえ…今通った馬車がランジット家の紋章だったような気がして」
「旦那様が帰っていらしたのでは!?」
父が出発してからまだ3週間だ。いくら何でも早すぎる気がするが…。「しばらく」と言われたので、ひと月以上は覚悟していた。でもひょっとしたら、話し合いがすぐに終わって急いで帰ってきてくださったのかもしれない。
「お父様だといけないわ、リン、急いで食べちゃいましょう」
「はい」
私たちははやる気持ちで残りの昼食を掻っ込み、屋敷へと急いだ。
「ただいま!」
「あ、サレナ様おかえりなさいまし!良かった」
出迎えてくれたロゼが珍しく焦っている。何事かあったのだろうか。一瞬嫌な予感が胸を過ぎる。
「どうしたの?まさかお父様に何か…」
「へ?旦那様?いいえ旦那様からは特に」
最悪の想像ではなかった。とりあえず安心するが、では一体どうしたというのだろう。
「あの…お客様がお待ちです」
「お客?私に?」
「いえ正確にはお客様というか…」
ロゼが妙に歯切れが悪い。彼女が客と言いづらい相手といったら…。
「まさか!!!」
脳裏に浮かんだのは婚約者(仮)の顔。一気に体温が下がったのが分かった。
「遅かったな。もう一時間も待ったぞ」
「……………」
……リュイかと思った。確実に。いや絶対そうだと。私は今、リュイかと思ったけれど違ったという驚きと、なぜあなたがここに、という驚きで思考が停止していた。
「どうした。はとこの顔も忘れたか?薄情な奴だ。王都を二年離れただけというのに」
大変気だるそうに、目の前の人物は口を開いた。薄情な奴と口では言いながら、全く責める口調ではない。着崩したシャツ、前のボタンがひとつも止まっていないベスト、伸ばしっぱなしの赤毛は緩く結んだだけ。とても外で関係者だと公言してもらいたくない格好をしていた。長い足を組んで頬杖を突き、こちらを見上げる切れ長の目は美しい灰色だが、何を考えているのかさっぱり読み取れない。この人物は…。
「ヴァ、ヴァリエールさま…ど、どうしてここに…あなた今無期限留学中じゃ…」
「なんだその呼び方は。前の通り呼べ」
「ひっ」
法的にも家系図的にもわたしのはとこにあたる、ヴァリエール・ド・ランジット。王都に屋敷を持つ、父が頼れと言ったうちの親類だ。ただし彼は二年前から国外留学に出ていて、いつ帰ってくるのか分からないという話だったのに!今どういうわけか帰国していて、しかも目の前で大層不機嫌そうに私を睨みつけている。
「ヴァン君…どうしたの…」
圧に負け、怖気づきながら愛称で呼び直す。そうしたからといって彼は別に嬉しそうでもなく、ただ睨むのをやめてくれただけだった。私はハラハラしながらあちらの出方を窺う。すると、ヴァン君は口角を上げた。
「お前がコールデンに『婚約破棄』されたと聞いてな。心配で心配で飛び帰ってきたわけだ」
「…………」
絶 対 嘘。
『婚約破棄』を聞いて帰って来たかどうかは実際のところ分からないが、「心配で」というところは絶対に嘘だ。二回言ったところも怪しいし、にやにやした顔はどう見ても面白がっているようにしか見えない。彼の言葉だけ聞けば、「ありがとう」と言うべきなのだが、全然そんな気にならない。思っていることが顔に出てしまったのだろうか、ヴァン君は私の顔をジッと覗きながらゆらりと立ち上がった。私は思わず半歩後ろに下がった。明らかにビビっている私に、彼は一層笑みを深め、一歩ずつ距離を詰めてくる。
「ととと、止まって止まって!なんで来るの!」
後ろを確認しながらバックする私と、にやにやしながら追い詰める長身の男との攻防は私がローテーブルに膝裏をぶつけてそのまま着席するまで続いた。ヴァン君が目の前に立ちはだかり、私の前に大きな影が落ちる。彼はそのままずいっと腰を折り、私の顔をじろじろ見ながら「お前の父親から便りがあってな」と突然真面目な話をし始めた。私は「ええ…?」と怪訝な声を漏らす。いちいち戸惑いしか生まれない。ヴァン君は表情を崩さずに続ける。
「奴ら、中々紛糾しているようだ」
『奴ら』というのは恐らく父含め、話し合いに参加している親戚たちのことだろうと察する。
「あの自由人どもの意見など、いつまとまるか分からんぞ」
そう言う自分が自由人代表のような人じゃないかと言いたい。言えないけど。ヴァン君は完全に他人事のように「うちの親族など少し直系から離れれば海賊のようなものだからな」と恐ろしいことを口にした。
「ままま待って待っていくら何でも…」
「それは言い過ぎでは」という言葉は、ヴァン君の憐れむような視線で消滅した。海賊ではないにしても、一族郎党の奔放さに不安になった。目の前の彼を見ればいくらか納得がいかないわけでもない。慄く私を他所に、彼はこれ以上この話題をする気はないようで、「それで、だ」と話を戻した。
「話し合いとやらの終わりが見えないから、俺に王都に戻れと」
(な、何て人選だ…お父様…)
「他ならぬお前のためだ。俺も快く復学を了承した、というわけだ」
「と、ということは…」
顔がヒクッと痙攣する。
「俺が国外に出たのは三年の始め。二年間留守にした。お前とは…二つ違いだったな?」
ヴァン君が楽しそうにすればするほど、私の血の気が引いてゆく。丁寧に説明してくれているようだが、私が全てを把握していて絶句しているのだと分かった上で、わざわざ話しているのだ。何ていい性格だろう。
「図らずもお前と同じ学年、というわけだ」
「………」
「楽しい学園生活にしてやる」
私は目の前が真っ暗になった。よりにもよって、この人を寄越すとは。
「あとお前何を食った?色んな匂いがする」
「……………」
遠い領地にいる父を疑った瞬間だった。
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