番外編(ソフィア語:リュイとバーニーの結婚騒動)
サレナが王都を離れた後のソフィア嬢の記録。
サレナ様とヴァリエール様がご結婚され、王都をお離れになってからひと月が経ちました。唯一無二の親友が行ってしまい、無性に感じる心細さは生まれて初めての感覚で、私自身も戸惑っておりますが、もう学生ではありません。次にサレナ様にお目にかかっても恥ずかしくないように、しっかりしなくてはと思います。あの方は自身の道を歩み始め、きっと益々輝いてゆかれるのですから。
私も、先日から正式に社交界の一員となりました。学園に居ては見えてこなかったもの、あるいは本当は知らない方が良かったのかもしれないこと、色んな事が分かり、聞こえてくるようになりました。この世界で私は自分の場所を確立し、己の理想を生きてゆく所存です。
しばらく戻られないサレナ様に、僭越ながらご興味を引きそうなことを書き留めていこうと思います。もしかしたら、お家からの情報で十分かもしれませんが、サレナ様のために何かしたいという私の自己満足でございます。サレナ様にお見せするのが今から楽しみでなりません。
私が社交界にデビューした日、私はすぐに色んな方々に取り囲まれました。丁寧な歓待のご挨拶に添えて、リュイ様とバーニーについて質問されました。すぐにそちらが本題なのだなと分かりました。スキャンダルがお好きな皆様は、リュイ様とバーニー、そしてサレナ様の学園でのご様子を探ろうとしたのです。サレナ様のご立派な振る舞いのことならまだしも、あのお二人のことはわざわざ私の社交界デビューの初日にする話でもないと思い、適当にあしらっておきました。
そんな王都の社交界で話題を攫っていた彼らがどうしていたかと言いますと…。
ドレス事件でバーニーは商工組合からはもちろん、噂を耳にした王都中の方々から相当な顰蹙を買いました。センシール家は流石にまずいとお思いになったのか、今まで主張していた「リュイ様はバーニーをお選びになった。婚約破棄をされたあの娘の方が遠慮して然るべきなのではないか。誇り高い侯爵家がそんな娘と同じ店を使うことに耐えられるわけがない」という頓珍漢な意見を取り下げました。ちなみにこの主張を聞いた時にはセンシール家以外の侯爵家一同は青くなったものです。侯爵家が皆同じ思考を持っていると思われるのではないかと案じた父や他の当主の皆さまが慌てて宮廷に直訴に走ったのは忘れられません。
主張を取り下げた後も、センシール候はどうしてか実際婚約を解消された方はリュイ様であるという事実を認められないでいらっしゃるようですから、サレナ様にリュイ様は勿体なかったなどと言ってバーニーのことを社交界で褒めちぎっているようです。何とか娘の評判を上げようと必死なのかもしれませんが、どうしてサレナ様を引き合いに出すことが逆効果になるとお分かりにならないのか不思議でなりません。センシール侯爵のお言葉を訂正したいのは山々ですが、中々機会がありません。父からは「皆分かっているからわざわざそんなことをしなくていい」と言われてしまいました。
このような状況の中、リュイ様とバーニーは事態を打開すべく動いたわけでございます。卒業して直ぐ、お二人は王様と王妃様を始め、議会の中枢の方々にチャンスが欲しいと懇願されたと聞いています。王様王妃様は、彼らの申し出をご了承されました。父の話ですと、「チャンスを差し上げたと言うよりも、これでダメだった場合は諦めさせるため」とのことです。王様も王妃様も、お労しい状況ではありますが、「お気の毒」というお声の他にも、「リュイ様の言動はお二人のせい」という厳しいご意見も耳にします。お二人のご心労は私などが測れるものではありませんが、心中お察し申し上げる次第です。
リュイ様とバーニーに与えられたチャンスとは、バーニーが王様や国の重鎮がお選びになった他の婚約者候補の方々と共に王妃教育を受けて成果を認められること、そしてリュイ様がそのご様子を記録することでした。彼らは神妙にその試練を受け入れたそうです。
どう過ごしているのかと誰もが気になるところでしたが、彼らについては「大変らしい」ということくらいしか耳に入らなくなりました。他のご令嬢へのご配慮か、もしくは何かあったのか…。そうしてしばらく経ち、ある日社交の場に出かけますと、何とサレナ様のお父様にお会いする機会がございました。私、お恥ずかしながら緊張してしまいました。サレナ様にお会いしたときに失礼が無かったかこっそりお窺いしようと思います。
「ああ、貴女はサレナの『一番のお友達』の…」
「そ、ソフィア・ド・ベルと申します…!お会いできて光栄です、ランジット伯爵様」
「そんなに畏まらないでください。ベル侯爵のご令嬢なんですから」
お優しいお顔はサレナ様そっくりという印象を受けました。伯爵様はつい先日、賠償請求が議会で締結され、ようやく人心地つけたそうです。私はずっと思っておりましたことをお尋ねせずにはいられませんでした。
「あの…サレナ様の婚約破棄…その…サレナ様はご立腹されつつもご自身にかかる火の粉を払っただけでおしまいでしたが、伯爵様は…?」
伯爵様が優しく『にこり』とほほ笑まれたその裏に、私は怒りの業火を見た気がいたします。
伯爵様は、先日得た取引の監察権について教えてくださいました。全ての取引を知るということは、今後国がどうしようとしているかの動向の情報源になるそうです。極端に言うと、火薬が仕入れられ始めたら、戦争の準備だと分かるように。そう思うと、国の交易拠点を領地とするランジット家はかなりの特権を手に入れたのでは…。
「うちの親戚たちは、王家を司るコールデン家や国の対応への『お礼』はこれで大分満足した様子です。某侯爵家の方は…あそこに対して商工組合が軒並み門を閉ざしてしまったというのはお聞きですか?大変お困りだったようなので当家の系列の業者へランジットだと隠して介入するよう指示しました。お品の値が張ってしまうのは仕方ないとようやくセンシール侯爵にご理解いただけたところです」
穏やかに淡々と語る伯爵様に、私は頷くだけで精一杯でした。私はリュイ様及びバーニーに対して「いつかサレナ様の仇を討つ」と強く思っておりましたが、このように「家」という単位でお返しされるのを目の当たりにすると、私はまだまだ可愛い方だと思わずにはいられませんでした。いかにしてランジットが取引で力を得てきたのか、私は垣間見たのでございます。
ランジット家の賠償の決着が着き、センシール家がランジットへ物品購入のための屈辱的な高額な支払いに合意して2か月が経った頃。件のリュイ様とバーニーがどうしていたのか、噂好きのご婦人のサロンでようやく明らかになりました。
「んもう、やっと聞き出せましたわ。まず…王妃教育を受けられたのは5人のご令嬢だそうです。件のバーニー嬢も含めて。毎日毎日お勉強、作法の指導、ダンスのレッスン…先生はサレナ様に付いていらした方だそうです」
手塩にかけた彼女が婚約を解消することになってしまうなんて…。私はサレナ様の先生のお気持ちを想像すると、お気の毒でなりませんでした。ご婦人のお話では、ご令嬢たちへの先生のご指導は結構なスパルタだったそうです。サレナ様に17年かけた指導を今から始めようというのですから、先生も必死だったのでしょう。
5人の令嬢は日々厳しい指導に耐えることを義務とされました。精神的にも辛い時間であったことが予想されます。一番に音を上げたのはバーニーでした。王妃教育が始まって3か月のことです。彼女はレッスンを観察しているリュイ様にどうにかならないかと訴えました。リュイ様は周りから厳しい目でご自身も観察される身、とても動くことはできませんでした。その上、この出来事もしっかりと記録するようにと付き添いのイレム様からご指導があったそうです。
イレム様はリュイ様に厳しく接するようになりました。リュイ様とサレナ様のことはご自身にも責任があるとお思いのようです。お二人を幼い頃からご存じだった方ですから、そう思うのも仕方ありません。
リュイ様は、イレム様のご指示をよくお聞きのようでした。ご令嬢たちのレッスンのご様子や成績、客観的事実だけを淡々と記録していらっしゃいました。どなたが賢いか、どなたが一番優雅なステップを踏めるか。そして厳しい指導にどれ程真摯に向き合っていられるか。その内、リュイ様は嫌でも何かを認めざるを得なくなってきました。明らかにバーニーが劣ってしまうのです。こうなると、バーニーが語った王妃になる覚悟、どんなことがあってもリュイ様を支えるという言葉を疑わざるを得なくなりました。
そしていよいよ事件は起きました。バーニーがレッスンに現れなくなったのです。リュイ様は慌てました。探しに行こうとされたようですが、イレム様がお止めになったため叶いませんでした。
お話をしてくださっている噂好きのご婦人は「ここが一番のクライマックス」、と大興奮で語ってくださいました。
「居なくなったバーニー嬢!一体どこでどうしていたか!何と……遊んでいらしたのよ!街で!それもほら最近王都にやって来たばかりのゼッテル子爵のお坊ちゃんと!身分がどうのと言う家の子ですが、花のかんばせには弱いようですわね!!」
私、同窓生として肩身が狭い思いをいたしました。どうして私が居た堪れなさに身を捩らせなくてはならないのでしょうか。
「当然お怒りになったリュイ様はバーニー嬢を問い詰めて…。泣いて謝るかと思えば、「リュイはもう私のことを愛してないのだもの!」と怒り出したというから、皆仰天したそうです」
やっぱりです。案の定です。想像以上の厳しいレッスンは苦しいだけ、頼みのリュイ様は助けてくださらない。どうして他の女性と比べられなくてはならないのか。彼女の考えることが容易に想像できてしまって、悲しくなりました。リュイ様はあんなに信じていたバーニーがこの体たらくで、酷くショックを受けて相当落ち込まれたとか。
どうしてこんなことになってしまったのでしょうか。リュイ様について、思うところがございます。私一個人の意見ですので、サレナ様にお見せするかは後々決めようと思います。
現在はリュイ様のコールデン家が王家となっておりますので、リュイ様も時が来たら議会で承認されて王となる運びでした。これまで数代続くコールデン家出の王様の功績を鑑みると当然の未来であると、ご当家はもちろん、議会も他の公爵家も国民も疑っておりませんでした。それが今回の悲劇の始まりだったのかもしれない、と私は思います。
周りの大人が「次期国王」という肩書をリュイ様に幼い頃から刷り込み過ぎてしまったのです。「次期国王としてしっかりするように」という言葉は、次代を担う人間として自覚と責任を持ってもらいたいとの願いだったでしょう。しかし、刷り込みのせいで、その肩書は失われることが無いものなのだとあの方は思ってしまったのではないでしょうか。
リュイ様ご自身が『確実に継承する国王』のために、あらゆるしきたりや制約に縛られておられましたのは私も存じておりますし、ご尊敬申し上げておりました。皆様の教育の賜物で、ご本人も「しっかりしなくては」と思われていたのは確かだと思います。
リュイ様のお心の隙をついたのはバーニーでした。リュイ様の言動から察するに、バーニーは例え次期国王でも、『自由』はあるのだと吹き込んだのでしょう。わがままを通す、やりたい放題することを自由と言うのではありません。はき違えた『自由』は、リュイ様のお心を堕落させました。決して覆らないと胡坐をかいたその椅子は、ご自身の軽さで倒れてしまうものだったと気が付かれたのは、恐らく最近になってから。本当に残念なことです。
余談ですが、ランジット家からの賠償請求は議会やコールデン家に多大な衝撃を与えました。自分たちの強欲、怠慢と惰性に気が付き、亡き前国王様に顔向けができないと言って今後の対応について連日長時間の会議を重ねているそうです。
さて、そんなわけでリュイ様とバーニーの婚約騒動は収束いたしました。王様と王妃様は胸を撫で下ろされたそうです。それでもリュイ様の婚約者選びは終わりません。残った4人の王妃教育は続きました。リュイ様は気落ちしながらも、彼女たちの成長を記録し続けたそうです。
残った4人のご令嬢はと言いますと、流石に厳しすぎるレッスンに耐えかねておいででした。時にはレッスン後にカーテンの影で泣いてしまわれる方もいらっしゃったとか。そんな状況で、一切弱音を吐かず、淡々と指導を受けるご令嬢がひとり。彼女こそ、アデルノ公爵家の血を引くメル・ド・アデルノ嬢です。
私は一度、社交界でお会いしたことがございます。私よりも3つ上で、これまでは王都ではなく領地でお過ごしになっていたとか。美貌の彼女の微笑みはたおやかでありながら、瞳の奥には深淵が広がっているようでした。静かでとても落ち着いたお声を聴くと、一瞬にして風のない深い森に連れて行かれたような気になります。恐ろしいほど己をコントロールできる方だとお見受けしました。決して下の者にも偉ぶらず、それでいて圧倒的な威厳を隠そうとしない、堂々としたお方です。王都でもあのように相手に畏れを抱かせるような方は滅多にいらっしゃいません。それもご令嬢であれば尚更。この方は、お心に何か強い意志をお持ちだとはっきり分かりました。
そんなメル嬢が婚約者候補の筆頭になるのは当然の話です。リュイ様も彼女の実力とご立派なお姿に感心せざるを得ませんでした。
その後あまりの厳しさに逃げ出すご令嬢が相次ぎ、メル嬢ひとりになってしまったところで、終にメル嬢は大臣に呼ばれました。その場にはリュイ様も呼ばれていたそうです。大臣は、メル嬢に婚約者として選ばれたことを告げ、既にアデルノ家の了承のサインが入った公文を差し出しました。逃げられては大変だということか、大臣は彼女本人にもサインを求めました。
メル嬢はリュイ様に向き合うと、深く落ち着いたお声で言いました。
「諸外国との友好を大事にしたいですわ。是非婚約披露のパーティには、周りの国の方をお招きしたいのですが。それと、宮廷にある現在の地方財政の資料を拝見したいのと、リュイ様と権力の在り方についてお話したいのですが。よろしいでしょうか」
リュイ様、大臣は彼女の言葉に驚きました。これまで自分の意見をおくびにも出さなかった彼女がスラスラと要求を話し出したことは勿論、内容がその辺のご令嬢からは飛び出さないようなものだったからです。声の出ないリュイ様に向かってメル嬢はにこりと微笑むと、再び落ち着いた声で「そんなこともできないの?」とおっしゃいました。
唖然とするリュイ様をそのままに、メル嬢は大臣の持っていた書類にサラサラと同意のサインをするとご退出したそうです。その背中に向かってリュイ様は「できる!」と叫ぶので精一杯だったとか。その後必死に地方財政についてお勉強されたそうです。
大人しいと思っていた彼女に噛みつかれ、己の能力も嘲られたリュイ様は奮起しました。バーニーにうつつを抜かしていた頃とは見違えるようです。メル嬢に夢中、というよりはただただ彼女を見返そうとなさっているようですが。客観的な観察からご自身とメル嬢を比べては、彼女に劣らないようにと努めているせいか、彼女を見習うことも多いようです。
議会では別の公爵家を次期王の候補に挙げる話も出ていたようですが、それも考慮に入れつつ、リュイ様のご健闘を見守る方針になったそうです。現王様のご退位もまだまだ先です。長い時間をかけて審議されてゆくことでしょう。
実際にリュイ様にお会いになったという父の話ですと、ご自身の抱いていたのは「プライドではなく高慢だった」ことに気が付いたとおっしゃっていたようですから、いつかランジット家へ謝罪に行かれる日も近いのかもしれません。
一方バーニーは、件のゼッテル子爵のご子息とは早々に疎遠になりました。というのも、センシール家の噂を聞いたゼッテル子爵が慌ててご子息をバーニーから遠ざけたからです。どれほど強い心臓をお持ちなのか社交界で見かけるバーニーはいつもと変わらず、自身が一番美しく見えるよう振る舞い、気に入った殿方へすり寄っておられます。先日は、最近一旗当てたという男爵と懇意になっているのを確認しました。どうやらセンシール家もどこかへの支払いがかさみ、爵位よりも財産だという思考になってきたようです。
ちなみに私、あの男爵は全く好きになれません。女性をアクセサリーのようにしか思っていないのが態度からはっきりと分かります。表面上は紳士的でお優しいですが、高慢で軽々しく、相手への尊敬を全く感じられません。それに気が付いていないバーニーは美しさを褒めちぎられて嬉しそうにしておりました。バーニーが若く美しい内は形だけでも大事にしていただけるでしょうが…。いえ、未来のことは分かりません。そんなわけで、彼女は相変わらず元気そうです。
リュイ様とバーニーに関して私が書けるのはこのくらいでしょうか。何せ、社交界でのトップニュースですから、サレナ様もお耳に入れておくに越したことはないはずです。こうして書き留めている間に私も聞き耳が上手になってきましたわ。
ああ、サレナ様がお帰りになるのが待ち遠しい。もっと楽しいお話が入りましたら、また書き留めておくようにしましょう。大事なサレナ様が喜んでくださいますように。