新しい世界へ
晴れた空に色とりどりの花びらが舞った。ふわりと吹いた風に私のヴェールが揺らめく。
「サレナ。行こうか」
父はわずかにほほ笑んで私に腕を差し出す。私はキュッと唇を結んでそろそろと父の腕に手を添えた。私たちの前には王都で一番大きい教会の扉が口を開けて待っていた。赤いカーペットの先にはヴァン君が待つ。
彼に近づくために前に出す足を一歩ずつ踏みしめた。既に招待席には叔父さんたちを始め、近しい親類一同、ソフィア嬢が私たちを今か今かと待ち構えていた。式には本当に個人的に近しい人だけを呼んだ。後の屋敷での披露宴にはそれこそ繋がりのある貴族を軒並み招待してある。落ち着いていられるのは今だけだろう。
ソフィア嬢の横を通り過ぎる。彼女は目を輝かせて私に笑いかけた。胸が熱くなる。まさかここに「友人」を呼べるとは。「一番の友人をアピールさせていただきますわ」と言って、ひときわ立派な花を屋敷に届けてくれた。本当に彼女には感謝しかない。私もソフィア嬢に笑い返し、手を振った。
親戚たちのお行儀はどちらかと言えばそこそこだった。完全に会場がほぼ身内なので、各々自由に感情を表しているようだ。叔父さんたちは異様に盛り上がっている。しかし一番目を引くのは、ヴァン君の両親だ。二人とも大号泣して拍手している。つい先日やっと王都に戻ってきた彼らに数年ぶりに会った。結婚の報告をすると二人とも大層驚き、お義母様は私を抱きしめ、お義父様はヴァン君の背中をバンバンと叩いて喜んでくれた。「あまり頼りないかもしれないけれど、本当の母だと思ってね」と言われたとき、私は図らずも泣いてしまった。
ヴァン君は光が差し込むステンドグラスの前に立っていた。白のタキシードに身を包み、ステンドグラスの彩光が注がれる。ヴァン君の赤毛が白の衣装にとても映える。感情の分からない灰色の目が一直線に私に向いていた。参列者たちの喧騒と切り離されたような、静かで息を飲むほど美しい立ち姿だった。
「ヴァリエール、よろしくな」
父は優しく私の手をヴァン君へと託した。ヴァン君は薄く笑うと、私の手を取った。私は今までの感謝と敬意を込めて父に「ありがとうございます」と頭を下げた。父は頷くと、何も言わずに参列席の一番前に歩いて行った。父の目にうっすら涙が浮かんでいたのは気のせいではないと思う。
(き、緊張で体が上手く動かない)
ヴァン君の腕に手を添え、いよいよ心臓がえらいことになってきた。何だか手汗で手袋が張り付く感触もある。ヴァン君は私の異変を察したのか、小声で「あと少しだ」と笑いながら言ってきた。
早く終わって欲しいわけじゃない。この一瞬さえも惜しい。だって一生に一度。
(こうしている場合じゃない。全てを目に焼き付けないと…!)
私とヴァン君は宣誓の台座の前に立った。授誓者のしきたり通りの口上に従い、私たちは互いに生涯の愛を誓った。最後に証として、口づけをする。ヴァン君は私に被っているヴェールをいつになく丁寧な手付きで持ち上げた。
「…」
どうしたのか。ヴァン君は手にヴェールを持ったまま動かなくなった。ひたすらジッと私を見ている。
(もっとちゃんとヴェールを返さないと…!リハで言われたじゃない!花嫁さんの冠に掛ける形でヴェールを返してねって!)
ハラハラしてきた。どうするつもりかと戸惑いを視線で訴える。するとヴァン君は小声も小声で、「見せたくなくなった」と言った。なんだそれ、と私が思わず零すより先に、ヴァン君はそのまま顔を近づけて私にキスをした。
「―――!!!?」
驚く私に満足そうに笑うヴァン君。ヴェールの中、二人だけの世界。彼が私にだけ聞こえるように囁いた。
「お前に誓う以上に、必要なことなどあるものか」
ヴァン君はゆっくりとヴェールを元に戻す。私の視界はまた薄布で遮られた。否、薄布どころではなく、込み上げる涙で既に視界はぼやけていた。
「…もう」
瞬間、参列席から盛大なブーイングが起こった。授誓者の人も困っている。ヴァン君はケロリとしているが、私もどうしたらいいか分からない。
「おいヴァリエール!!それじゃ意味がないだろうが!!」
「言われた通りやれ!!」
「フン…」
「あ、あいつ…!全然悪いと思ってない!」
「こら!花嫁さんをちゃんと見せなさい!」
当然の批判の嵐に、前代未聞の「やり直し」が行われた。色んな意味で、誰もが忘れられない結婚式だった。
不服そうなヴァン君の手を握り、私は笑う。
「ほら、正式にやろ」
ヴァン君は虚を突かれたように目を瞬かせ、にんまり笑うと再び私にキスをした。
披露宴はとても盛況だった。「漏れがあるとまずい」と父と毎晩何度も確認した招待客の殆どが来てくれたため、私とヴァン君はひっきりなしに挨拶していた。といってもヴァン君は祝福の言葉に頭を下げて一言二言何か言うくらいだったが。普段超絶不愛想な彼は失礼の無いようせめて『寡黙な人』と思われるようにしていろと父から厳命が下っていた。隣にいた私から見れば、ものすごく頑張っていたと思う。たまに会釈などした時には目玉が飛び出るかと思った。
ソフィア嬢の大きな花以外にも、祝いの品は続々と届いた。コールデン家からも花が届いたのには驚愕した。それを見た人々は「コールデン家と決裂したわけではないのね」と囁き合っていた。それはこの贈り物の意図するところなのだろう。公に「交流を断っていませんよ」と明らかにしたのである。ランジット家の人々は皆苦い顔をしていたが、父だけは流石に当主だからか、満足そうだった。
口々に言われる祝福の言葉。聞くたびに嬉しいと感じる。そういう結婚ができたことを心から幸せだと思う。この幸せを守るために、どんな努力もしよう。私は改めて自分の心に誓った。
長い長い披露宴が終わると、もうすっかり夜だった。親戚はヴァン君の両親も含め、皆家に泊まる。今日は一晩祝い倒すらしい。私たちも着替えたら食堂に集まるようにと言われている。結婚1日目くらい二人きりにしておくという発想は叔父さん達には無いようだった。
「無粋な奴らだ…」
ヴァン君も文句を言いながらも、逃げられないと悟ったらしい。何より酷く疲れている。きっと途中で私たちは退場だろう。体力的な問題で。
「…行くか」
着替えるために席を外そうとするヴァン君を、私は「待って」と引き留めた。この姿のまま行きたいところがあったのだ。
私たちが来たのは屋敷の裏。ここまで来ると表の喧騒が大分小さくなる。私はドレスの裾をよっこらしょと持ち上げ、土の上を踏み進んだ。ヴァン君は気が付いたらしく、足早に進み、先行して木の柵を開けて待っていてくれた。
「ありがとう…さてと。来たよ、お母様」
私たちは静かに佇む墓石の前に揃って立った。そこには私が生まれてすぐ、物心つく前に帰らぬ人になった私の母が眠っていた。共に過ごした思い出は無いが、幼いころから「サレナのお母さんはここで見守っているよ」と教わった。ここに母がいてくれると思うと、何故か安心することができた。
「朝からずっとバタバタで、こんな時間になっちゃった。ごめんね」
墓石を撫でながら、私は母に語り掛けた。どうしても今日この格好で、ヴァン君と報告したかったのだ。
「ヴァン君と結婚しました。えへへ、お母様はヴァン君を抱っこしたことがあるんだよね」
「…」
ヴァン君は無言で墓石を撫でた。何を思っているのだろうか、口には出さない母への思いを綴っているのだろう。しばらくそうしていると、ぽかりと浮かんだ月が墓石を光らせた。
それはまるで母が「おめでとう」と返してくれたかのように思えて、鼻がツンとした。
「どうかお気をつけて!」
「行ってらっしゃい!」
「ヴァン!絶対安全な道を通ること!」
「体に気をつけてな」
「定期報告は欠かさないように」
私とヴァン君は家族・メイドたちに見守られながら旅行鞄を馬車に詰め込んだ。これから私たちは国を回る旅に出る。どのくらい戻らないかは未定だ。私は皆に「行ってきます」とハグをした。ヴァン君は全員から受ける数々の注意に適当に頷いていた。その態度が一層皆の不安を煽っていると知ってか知らずか。
「サレナちゃんよろしくね!」
最後までくれぐれも気をつけるようにと念を押され、私は後ろ髪を引かれながら馬車に乗った。ちなみに御者はいない。ヴァン君が自ら手綱を握る。故に私も御者席、ヴァン君の隣に座っている。
ヴァン君が馬に合図をすると、緩やかに軽やかに馬車は動き出した。遠ざかる屋敷と皆が見えなくなるまで私はずっと手を振った。
「はあ…なんだかドキドキするね。二人きりだし、うまくお仕事できるかな」
ヴァン君は呆れた様子でジロリと私を見た。「本当にお前は…」と呆れ顔だ。
「いいか、ひと月は仕事はしないぞ。新婚旅行だと思っておけ」
「え、えええ!!いいの!?」
「いい」
ヴァン君は言い切った。でもきっと誰にも了承取ってないと思う。いいの?え、そういうことって結婚したとは言っても、お父様に伝えておいた方がいいんじゃ…。
「痛い!」
唐突にピンとおでこを弾かれ、私は「何するの!」と訴えた。
「そういうところが生き辛いと言うんだ」
「ええ…そうなの…?」
「窮屈が身についているからな。仕方ないな。俺といて学べ。ランジットの自由を得るための旅だ」
どうしてか。新しい世界に飛び込むような、そんな気分だ。
見渡せば大地。空は快晴。正面から吹く風は何にも遮られることはない。どこへ行くか。何がしたいか。決めるのだ。他ならぬ、私たちで。私たちの生き方を。
「…そうだね。ヴァン君と一緒なら」
ゴトゴトと揺れる馬車の上、私たちは寄り添って未定の目的地へと思いを馳せた。
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