伏兵
休みに入って一週間が経った。もう一週間経ってしまったことに驚愕していると、ロゼが苦い顔で「ほとんど寝て過ごしていらっしゃいますから…」と図星を指してきた。ぐうの音もでない。昼食を終えると逃げるように自室に戻った。私はせめて家にいる間だけでも!と現実逃避に励んでいた。驚くことに逃避していると時間が風のように過ぎ去っていく。課題も出ていないし、リュイからのお誘いも無い。このままでは本格的にダメ人間になるなあと思いながら再び布団に戻ろうとしていると、若手メイドのリンがやってきた。
「サレナ様、お手紙が来ています」
「…?誰からかしら」
手紙を受け取り、ナイフで封を切る。開けるとそれはお茶会の招待状だった。思わず顔が渋くなる。
「そうだった…いつもこの時期にお茶会をするのよね…」
送り主は学園長の奥方。毎年お茶会を催して学園の女生徒を招いている。王都国立学園はそれなりの家柄と学力・教養が無いと入学できないので、一学年の人数はそう多くない。奥方は三日かけて一日毎にそれぞれの学年の生徒を全員招待するのだ。未来の淑女に社交の場を体験させる、ということが名目だそうだが…何というホスピタリティ力。私は頭を抱えた。昨年は目移りする程あるお菓子に心躍っていたが…今年はそんな余裕はない。というか…。
「い、行きたくない…!」
「お断りしていいものなんです?」
「イイワケナイデショ!」
思わず高い声が出てしまった。
「絶対確実にバーニーも呼ばれているわ…」
「確定でしょうか…」
「1000%確定よ…」
私は苦虫を噛み潰す思いで返信用の出欠席票の『出席』を〇で囲み、横にお礼の一文を添えるとリンに「出しておいて」と手渡した。リンに微妙な表情で「見たことのないお顔をされておられます」と言われた。自分でもそうだと思う。
「サレナ様、ご用意はよろしいですか?」
「私が準備すべきは心だけよ…」
「ご、ご武運を…」
闘いたくない戦場に出させられる兵士はこんな気持ちだろうか。私の体は鉛の鎧を無理矢理つけさせられたかのようにズシンと重たかった。体重の問題ではない。
学園長のお屋敷に着くと、相変わらず美しい庭に出迎えられた。まだ少し寒さの残るこの季節でも、咲く花を選んで上手に植えているようだった。屋敷にはすでに人が集まっていた。ガヤガヤと騒がしい室内に足を踏み入れ、瞬時に視線を走らせる。―居た。バーニーだ。幾人かの生徒に囲まれて笑っている。元気そうな姿を恨めしく思いながら、私は部屋の隅に身を寄せた。何せ、私は自慢ではないが…。
(仲良しがいない)
今ほど『王妃教育』を呪ったことはない。王妃教育とはその名の通り、未来の理想的な王妃を育てるための色々な制約のことだ。学業に励むとか、教養を身に着けるとか自己研鑽以外にもいくつか私には課されていることがある。そのひとつが『人付き合い』だ。将来王妃になるにあたってリュイの他に『特別』な人間を作ることを禁じられている。私が色と権力の的にならないようにとの理由があると聞かされた。
(リュイにも同じことが言われていたはずだけど…)
律儀に守っていた自分がバカバカしくなってきた。先日まで自分は『結婚してもらう側』の人間だと思っていたのだから仕方ないと自分に言い聞かせる。それでもやっぱり破ったら破ったで私を理由に家が叩かれるのだろうか。リュイのアレには流石に彼の家から厳重注意が下ったらしいが…それだけで済むのだから、私もよっぽどのことをしない限り目を瞑られるのでは…という気がしてくる。
悶々と考えていると学園長の奥方が現れた。一言二言、挨拶をすると後は「個別に話しに行くからお茶とお菓子は好きにやってね」と言って締めくくった。相変わらずの短いスピーチに感心する。
(さて…じゃあお菓子でも摘まんでいようかな)
前なら声をかけてくれる子もいたが、今や皆私にどう接していいのやらと腫物を触る扱いだ。私が気を遣ってこそこそしているのもおかしな話なので、とりあえず背筋だけは伸ばしていようと決めた。関わらない、バーニーには関わらない、心の中で呪文のように唱える。
「バーニー様、そのブローチ素敵ね」
「………」
「ウフフありがとう。…あのね、リュイにもらったのよ」
大人しくしていようと思ったら、何やら聞き捨てならない会話が聞こえてきた。バーニー、今リュイを呼び捨てにした?
(クウウウウウ嘘でしょ~~…注意食らってるんじゃないの…???)
『まだ』婚約者の私の前でしかも人に向かってリュイを呼び捨てにしているなんて。さっき述べたように、私とリュイには『人付き合い』に制約がかかっている。私がリュイを呼び捨てにしているのも本人と家の合意の上だ。呆れを通り越してもはや彼女には恐れ入った。
立場的には私が諫めないといけないような気がするが、ここで私が何か言ってもバーニーが聞くわけが無いし、ランジット家も公爵家も関与しないのだから好きにすればいい。スルースキルを高めるのよ…。
無関心を貫く私にバーニーが視線をバシバシ飛ばしてくる。やめて!意識するのやめて!その後もリュイ、リュイとのろけるような発言に胃がキリキリしてきたとき。
「バーニー嬢。失礼」
氷のように冷たい美声が彼女たちの会話を遮った。つい声の方に目を向けると、青みがかった艶やかな黒髪に雪のような白い肌、ピンと背筋の伸びた美しい乙女がバーニーに向き合っていた。彼女はソフィア・ド・ベル。バーニーと同じく侯爵家に名を連ねる令嬢のひとりだ。きりりとした目元口元は無表情のようにも、怒っているかのようにも見えた。彼女も一人で過ごすことが多く、バーニーのグループとは普段関わりもない。そんな彼女が突然声をかけたので、バーニーは不思議そうな顔をしている。私も不思議に思っている。
「どうなさったの?ソフィア様?」
「もしかしたら、ご存じないのかと思って一応お伝えしますが。公爵家の許可なくリュイ様に敬称を付けずにお呼びすることは許されておりません。お控えなさった方がよろしいわ」
アッ!?なんてことだ…ソフィア嬢…。おそらく気高い侯爵家を自負する彼女は同じ侯爵家のバーニーが規律を乱していることが気に入らなかったに違いない。そして丁寧ではあるが、苦言を呈されたバーニーは当然面白くないだろう。
「それは知りませんでしたわ。…でも、実際の親しさを問わないなんて、固くて寂しい決まりですこと」
ザッとソフィア嬢の周りの温度が下がったような気がした。
「…随分とご自身を高く見積もっていらっしゃっているようね。リュイ様の何だと勘違いされていらっしゃるのかしら」
バチバチッとソフィア嬢とバーニーの間に火花が散る。周りにいた女子たちは一歩後ずさった。い、いかん…このまま放っておくとまずい気がする。今日は学園長の奥方のお招きだ。喧嘩でもしようものなら面倒なことになる!私は意を決し、膝裏に変な汗をかきながら二人の前に進み出た。
「よろしいでしょうか。お二人とも」
ソフィア嬢は私の顔を見ると「サレナ様…」と申し訳なさそうな表情になり、バーニーは不遜な一瞥を投げてきた。
「ご意見それぞれおありでしょうが、今日は奥様が催してくださった素敵なお茶会です。ほらもうすぐご挨拶の順番ですし、穏やかに過ごしませんか」
「でも…サレナ様」
ソフィア嬢は意外にも納得がいかないという顔だ。一方バーニーはすぐに柔らかな笑顔を浮かべた。彼女は「おっしゃる通りだわ」と言って踵を返した。私はソフィア嬢の背にそっと手を添えて、移動するよう促した。ソフィア嬢は私に従いながらも、声量を少し上げて「リュイ様の婚約者である貴女に言われては、仕方がありません」と言った。バーニーが首だけ少し振り返り、凍るような目つきでこちらを見たのが視界の隅に入った。
それから奥方の挨拶を済ませても、私とソフィア嬢は一緒にいた。彼女が何か言いたそうにソワソワしているのが気になって仕方がない。
「あの…どうかなさったの…?」
特別親しいわけではないので、聞いていいのかどうか判断に迷う。
「さっきは失礼いたしました」
ソフィア嬢はペコリと頭を下げた。私は事情が分からず「え?」と言ってしまう。
「私も周りも何てふがいないのでしょう。侯爵家といってもあれはただの無礼な娘です。貴女が課され、守っていることをよく知りもしないで、バカにして。どうやって婚約者を代わるつもりでしょう。それを分かっていながら、私たちはあのような振る舞いをみすみすと…。貴女は慎ましくなさっているのが務めですから、周りが諫めなくてはならないのに…」
わなわなと悔しそうに語るソフィア嬢。一方私は呆気にとられていた。これは…もしかして。
「擁護してくださったのですか…?」
「当たり前です!」とキッと睨まれた。
「貴女が『特別』を作れない立場と知っているから、普段は遠くから見守っておりましたが、先日のアレがあってからもう我慢なりません」
『王妃教育』を把握していない生徒も多い中、ソフィア嬢はしっかりと私の『立場』を認識していたようだ。学園のどれだけが彼女程理解しているかは分からない。私は胸がじんわりと温かくなった。孤独だな、寂しいな、と思ったことがないわけではない。分かってくれている人がいると分かっただけでもとても救われる気がした。
「ありがとうございます。そうおっしゃっていただけるだけで私は十分です。でもそのせいで貴女を煩わせたり、衝突に巻き込んでしまうのはとても心苦しいのです」
本心である。私のために誰かが被害を被るなんてとんでもない。ましてやもうこの結婚に拘ってもいないのに。ソフィア嬢は私の言葉を聞き、顔をしかめた。
「…貴女がそうおっしゃっても、本当に言うべき時には言いますわ。私も皆も」
み、皆はどうかな…?この人自分にも他人にも厳しいタイプだ…。私は顔を引きつらせて「あ、ありがとう…」と言うことしかできなかった。
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