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許可と拒否

卒業パーティの次の日。まだ夢の中に居るような、ふわふわした気持ちで昨日のことを反芻していると、朝早くヴァン君が来訪した。


「おはようヴァンく…」


私は彼の格好を見てギョッとした。


「どどどどうしたの!パーティは昨日でおしまいだよ!?」


「知っている」


ヴァン君は昨日程畏まった正装ではないが、カチッと襟を正してタイを締めて、きちんと髪を整えていた。いったい何事だ。


「今日なんかありましたっけ…」


私が忘れているだけかもしれない。何事か大事な用事でもあっただろうか。私は必死に自分の記憶を辿り始めた。


「いや。お前には何も言っていない」


ヴァン君はちらと父の部屋に目を向けた。


「父親はいるな?」





(胃が痛い。というか吐きそう。教えておいてくれたらあんなに朝ご飯食べなかったのに)


私はヴァン君と一緒に父の部屋の前に立っていた。ヴァン君は私の心の準備もままならないうちに父の部屋をノックした。ヴァン君が人の部屋をノックするのなんて初めて見る気がする。凄い。


中から「入れ」と父が返事をした。私とヴァン君は一緒に父の部屋に入った。父はいつも座っている執務机にはおらず、来客用のソファで私たちを待っていた。父はヴァン君の格好を見て一瞬大きく目を見開いた。そして固い声で「座りなさい」と言い、自分の正面にあるソファを手で示した。


私は緊張いっぱいでヴァン君の後に続く。背筋を伸ばしてピンと座るヴァン君の横顔をちらりと見た。普段の気だるい感じはどこへ、という程凛としている。灰色の目はしっかりと正面を見ていて、スッと通った鼻筋が美しかった。今日はヴァン君がものすごく大人に見える。ロゼではないが、「あのヴァン君が…」と思ってしまった。


「俺とサレナのことで話がある」


話を切り出したのはヴァン君だった。父は「分かっている」と頷いた。私は「あれ?」と思った。何だか二人の間で、既に何かあったような。確かに結婚を父に認めてもらう計画はヴァン君にお任せしていたけれど、何も聞いていない。ヴァン君のことだから、何か私の思いもよらない凄いことを考えているのかもしれない。


私はヴァン君が何と言うかとドキドキしながら、彼を信じて父に真っ直ぐ向き合った。ヴァン君は、一瞬私の様子を伺うとゆっくりと一呼吸した。



そして、ヴァン君は静かに頭を下げた。


「…サレナと、結婚したい。認めてもらいたい」


(あ…)


ヴァン君が、頭を下げている。相手に自分の懇願の決定権を委ねて。あの自分勝手なヴァン君が。あの無茶を通しきるヴァン君が。


私は思わず向かいに座る父を見た。父は当然ながら面食らって固まっている。私は父と目が合いハッとした。


「…っ。私も!ヴァン君と結婚したい!お願いします!」


我に返り、私も慌てて父に頭を下げる。


(どうしてだろう。一瞬、泣きたくなった)



自分の膝を見つめながら、私はツンとする鼻を必死に堪えた。


(どうか、お願いします。お父様。認めてください)




しばらくすると、部屋に深いため息が響いた。


「…お前のことだから、もっと回りくどくて変な手で来るかと思ったぞ」


父の声色には、諦めと、決心と、寂しさと…嬉しさが滲んでいた。


「二人とも、頭を上げなさい」


私とヴァン君はゆっくりと顔を上げた。父の表情は穏やかだった。


「ヴァリエール、サレナを頼む」


「…ああ」


「サレナ、色々と辛い思いをさせてすまなかったな。お前自身の幸せを守ってやりたい」


私は「ありがとうございます」と再び頭を下げた。私が十七年間、思ってきたのは違う人。これからの人生、それよりもずっとずっと長く私はヴァン君を想うだろう。そしてヴァン君は幼い頃と変わらず私を大事にしてくれる。つまり、そういうことだったのだ。彼はずっと、私を。切ないやら、嬉しいやらで私の頭の中はぐちゃぐちゃだった。


「酷い顔だ」


ヴァン君は笑いながら私の目元を自身の袖で拭った。



張り詰めた空気は、ヴァン君と父の笑い声で緩まった。「それにしても」と父は前髪を掻き上げた。


「ヴァリエールも息子みたいに思っていたから不思議な感じがするな」


「俺はあんたを父親だと思ったことは無い」


(ヴァ、ヴァン君…そこは合わせてあげてよ…)


気心の知れた関係の軽口だが、私は肝が冷える。父は「ははは」と笑うと、再び真剣な面持ちになった。


「冗談はさておき。真面目な話をしよう。二人の結婚は認めよう。だが…分かっているとは思うが、サレナはランジットの直系しかも当主の娘だ。次期王の相手だったら嫁にも出したが…分かるか、ヴァリエール」


「ああ。うちのは俺が婿入りだろうと何も言わん。二人とも家の細かいことは絶対に少しも考えていない」


ヴァン君のお父さんとお母さん。二人との面識はもちろんあるが、最後に会ったのはいつだったかも思い出せない。考古学の調査で長期間屋敷を空けがちな人たちで、幼いヴァン君はしょっちゅう家に預けられていた。幼心に、ヴァン君が寂しくないようにしなくてはと思って傍についていたのを覚えている。よく泣かされたけれど。


父はヴァン君の回答に頷くと、難しい顔をした。


「…私はサレナもお前も、ランジットのために生きて欲しいと思っている」


私はすかさず同意を表した。もとより、そのつもりである。商売の発展、領地の統制、やることはたくさんある。


父は私に向かって柔らかく頷き、ヴァン君に向かって厳しい視線を送った。



「ヴァリエール」


「サレナを貰うんだ、相応の見返りが要るだろう」



純粋な恋愛結婚なのに、政略結婚のような物言いをされてむくれると、ヴァン君は「分かっている」と宥めるように私の頭をポンポンと叩いた。


「……」


頭では分かっている。他の貴族のお宅同様、政略結婚であれば家に利益をもたらすことができる。そこを何の見込みも無く血族内で結婚するということは世間一般では信じられないことだろう。一人娘という駒を有効活用しない手は無い。しかも、ランジットという一大財閥とあっては。


だからこそ、例え父が許してもこちらから誠意を見せなくてはならない。


結婚の容認前に父がその取引交渉を切り出さなかったのは、ひとえに父親としての優しさと、我々への信頼だったのかもしれない。



「俺が継ぐ」



ヴァン君は落ち着いた声で言った。


私と父は目を見開いた。何を、とは言うまでもなく。


「…ヴァリエール…!」


「…」



「どうせ誰もやりたがらんだろう」


思わず腰を浮かせて驚く父から、ヴァン君はふいと目を逸らした。



ランジット家の当主と言うのが完全に貧乏くじ扱いで、親戚中で押し付け合いだということは一族の誰もが分かっている。当主にも関わらず、領地にはいられず王都で宮殿に顔を出さなくてはならない。一族は皆自由人で思うように動かすのも一苦労。面倒な決め事や交渉は当主任せなくせに、各々やりたい事業は勝手にやる。場合によっては彼らの後始末と問題処理が降りかかる。父はまだ兄弟がたくさんいるから協力も得られるし、代々の直系だから顔も広い。しかし…。


「ヴァリエール、お前が頭となると…」


「別に。誰もが自由にやればいい。但し、俺の意思の下で、だ。言うことを聞かん奴はどうなるか分からせてやればいい」


父はヴァン君の回答に押し黙った。彼がどうやって親戚たちに言うことを聞かせるつもりかと想像したのだろう。彼の口ぶりから察するに穏やかでないことが伺えた。一抹の不安が過ぎったに違いない。


しかし、父の表情はどことなく晴れ晴れとしており、ヴァン君が次の当主を申し出てくれたことへの喜びが隠し切れないでいる。そりゃあ、彼の頭の出来や行動力の凄さは良く知っているだろうし、それに息子のように思ってきた彼が自分の後を継ぐと言ってくれて嬉しくないわけがない。


ヴァン君も顔には出さないが、父の反応に満足な様子だ。


しかし…。


私は…。


「………」



ガバッと立ち上がった私を、父とヴァン君は何事だというように一斉に見た。



「…それだけはだめ」



私は溢れそうになる涙を堪えながら潰れた声で二人に訴えた。例え父が喜んでも。ヴァン君が覚悟を決めても。


(ヴァン君がそんなに雁字搦めにされるなんて…それだけはだめ…)


唐突な私の反対に父は戸惑い、ヴァン君は訝しんだ。


私はいつもふがいない。ヴァン君に任せっきりではいけなかった。破天荒なようで優しい彼が、私のため・父のためにどう考えるか。決して何とも思っていない顔で、どれほどの重荷を背負おうとしてくれようとするのか。ヴァン君の言った「考え」が何かをもっと掘り下げなくてはならなかった。盲目の信頼は無責任と同じだ。私にも彼の未来を守る責任があるのに。私の胸には後悔と罪悪感が渦巻いた。


彼はきっと当主業をうまくやれる…けれど。彼自身分かっているだろう。ヴァン君は「そういう人」じゃない。自由に生きてこそ彼の能力は輝き、生気は宿る。それを殺してまでも私や家を選んでくれるのは本当に嬉しいことだ。そんな彼が益々大事で、大好きで。だからこそ、ヴァン君がヴァン君として生きることを捨てさせてはならないと強く思う。


ここが私の踏ん張りどころだ。これまで頼ってばかり、甘えてばかりだった二人に私ができることは。


お読みいただきありがとうございます!


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