ラストダンス
結局、仕立て屋一同は商工組合に訴え、商工組合は宮殿の然るべきところに訴えたらしい。担当大臣は眩暈がするほど驚き、センシール家へ厳重注意をしたとのことだ。この噂は王都中で広まり、センシール家の評判並びにバーニーの評価はガタ落ちした。いよいよバーニーが婚約者として認められることが難しくなったが、自分の判断を覆すわけにはいかないリュイはなお一層バーニーに「頑張ろう」とプレッシャーをかけているそうである。隣の芝がどんどん枯れていくのを見ていると、何だか悲しい気持ちになってくる。
我が家のその後の対応としては、件のドレスが我が家にもたらされたため、ランジットに再び「解決しました」という早馬を大慌てで出した。叔父さんたちの仕事が早いか、こちらの事態収拾が早いかは神のみぞ知るところで、どうにか間に合いますようにと願うばかりだ。
学園で過ごした残りの日は、とても穏やかだった。クラスメイトと笑い合い、ソフィア嬢と語り合った。ヴァン君とは手を繋いで街を歩き、暖かい部屋でダラダラした。いつになく充実した、幸せな日々だった。
寒空の下、私は屋敷を出た。学園へ向かうのも今日で最後である。白い息を吐きながらロゼに「行ってきます」と告げる。メイドたちは全員揃って送り出してくれた。恭しくお辞儀をする彼女たちを見て『特別な日』であることを実感した。ふわりとドレスを大切に持ち上げ、私は馬車に乗り込んだ。
会場は去年の学年末のパーティとは比べ物にならないほど豪華だった。あれはあれで盛大だと思っていたが、まだ上があったとは。ホールにはいつもよりも大きく、ガラスの量も多いシャンデリアがいくつも吊り下げられていた。壁には学園の紋章が大きく入った金のタペストリーがズラリ。壁は所狭しとドライフラワーと生花が飾られている。
参列者席も錚々たる顔ぶれだった。王の代行として、王宮の重鎮たちの中にイレムさんの姿もあった。リュイの近衛のガニエさんは張り詰めた顔で警護にあたっている。仕事を休んで見に来てくれた私の父は、色んな人に挨拶し、挨拶され、忙しそうにしていた。父同様、各貴族たちの家族や親戚が誇らしそうに我が子の晴れ姿を見に来ている。賑々しい参列者席は、まるで社交界のようだった。
男子生徒は皆黒の正装で、小さく学園の紋章が付いたタイを着けている。女子生徒たちは皆それぞれのドレスを誇らしげに着ていた。私のドレスはクラスメートの女子を始め、色んな人から賛辞を頂いた。ドレスがもたらされた経緯を知っている彼女たちは、その背景を含めて「素敵」と言ってくれる。彼女たちの顔を見れば分かる、昨年までの「ドレス素敵ですね」は完全に社交辞令だったのだ、と。心からの称賛にどうしようもなく照れ臭かったが、同じくらい嬉しかった。
会場に入って指定の位置に移動する間、私は朝から姿を見ていなかったヴァン君の赤毛を生徒たちの間に見つけた。どうやらちゃんと正装しているらしい。髪もいつもと違ってなにやらきちんとされているように見える。きっと執事さんがどうにかしたのだろう。早く近くで見たいという気持ちが高まった。
(ああ、バーニーのドレス…やっぱり…)
階級順に整列し、視界に入って来た彼女の姿を見て私は思った。案の定、リュイが選んだものを着ざるを得なかったのだろう。バーニーのドレスはこれまで彼女が着ていたものとは毛色が違い、やっぱりどことなく「もっさり」していた。何だろう?フリルか?生地か?原因は未だに分からない。ともあれ、アレを今まで誇らしく着ていた私は皆にどう思われていたのだろうか。考えただけで辛くなってくる。
学園長が生徒たちの姿を見てうんうんと感慨深く頷いている。階級毎に首席が選ばれ、表彰される。伯爵家の女子では、私の名前が呼ばれた。男子は残念ながらヴァン君、というわけにはいかなかった。いつも試験で私の次に名前を連ねていた彼が男子の首席に選ばれた。仕方がない。ヴァン君は2留しているのだ…。父の方を見れば、とても誇らし気にこちらを見ていた。
侯爵家の女子の首席はソフィア嬢だった。美しい彼女はいつにも増して輝いていた。誇らしげな微笑みが何と格好良かったことか。彼女の参列者も皆満足そうにしていた。一方、バーニーが選ばれなかったのは成績からいっても仕方がないのだが、本人もその家族も非常に不満そうな態度だった。ここで公に評価されれば、箔がついたのに、とでも思っていそうだ。ソフィア嬢がバーニーの前を通る際に、バーニーが放つ憎しみのこもった視線を完全無視したのを私は見逃さなかった。私は心の中で拍手を送る。
表彰を頂き、学園長の挨拶、来賓の祝辞が終わると、リュイが卒業生代表として登壇した。流石、正装姿のリュイはピンと背を伸ばしてシャンとしていた。会場全体に語り掛けるようにはきはきと一言も噛むことなく代表の挨拶を終えた。ああしていればそれなりに見えるからやっぱり作法だけは厳しく仕込まれているなと思った。こんなに客観的に、他人事のように卒業パーティで晴れ姿を飾るリュイを眺めているなんて、過去の私は想像もしていなかった。私はこうして度々振り返ってしまうのだろう。それは心残りや未練ではない。過去を思うことで、現在の自分が前を向いていることを確認したいのだ。
リュイが一礼すると、「ああ、私たちは卒業するのだな」と思った。最後の最後で、ソフィア嬢という素晴らしい友人を持つことができたし、ヴァン君と言う素敵な恋人もできた。何より、自分を見つめ直すことができた。リュイが頭を上げるまで、私は感慨深く三年間を懐かしんだ。
式が一通り終わると、式典会場はパーティ会場へと様相を変えた。ダンス用のスペースが作られ、食事や飲み物のテーブルが出現した。ダンスの初めの一曲は婚約者が居れば婚約者と踊るのが習いだ。いないにしても、準じて近しい関係の者と踊るのが一般的である。会場中の意識はリュイの隣に誰が立つのか、に集中していた。リュイは堂々とバーニーの手を取った。生徒たちは「やっぱりな」という表情だったが、王宮関係者の視線は厳しかった。バーニーの一動作一動作が、関係者によって審査される。バーニーはいつになく強張った面持ちだった。
(こないだのドレスの『アレ』で相当株を下げているから、当然よね…)
どうしてかこっちが逆に不安になってしまう二人を見ていると、私の前に影が落ちた。
「サレナ」
ヴァン君だった。ヴァン君だったが…。
「……………」
「おい。どうした」
「…」
言葉が出なかった。私はただただヴァン君の頭のてっぺんからつま先まで、行ったり来たり、視線を動かした。彼はまるで別人のようだった。いつも後れ毛が激しく、適当に結んである髪は綺麗に結わえられ、前髪もちゃんと顔が見えるように整えられている。加えて、制服の上着のボタンは留まっている日は無く、中のシャツも裾をズボンから出し、タイは持ってきてすらいない、本当に20歳近い人かと疑う人間が、今日はきっちりと上着の前を閉めて、指定のタイも結んで、ピシッとしているのだ。何と胸のポケットにハンカチまで入っている。光沢のあるブラックの正装。背のあるヴァン君は似合いすぎた。
「よ、よくお似合いですね…」
動揺し過ぎて、まるでお店の店員さんのようなことを言ってしまった。ヴァン君は若干窮屈そうに肩をすくめると、「それはお前だ」と言って私の手をとった。どうやら踊ってくれるつもりらしい。
心の隅っこで、式が終わったら彼がどこかに行ってしまう可能性を捨てきれなかった私は、胸中でむせび泣いた。
(よかった!!!このドレスで、ヴァン君と踊りたかったの!)
遠くで私たちを見ている父は、私たちに向かって緩く手を振っていた。
ヴァン君と踊るなんて、初めてだ。胸がドキドキと高鳴った。彼は非常に紳士らしく、胸に片手を当てて一礼した。どうしよう、本当にヴァン君だろうか。というか、こういうこと出来たんだ…。私の腰に手を回し、彼は優雅にステップを踏む。情けないことに、私は平静ではいられなかった。
(は、恥ずかしい!ヴァン君がかっこいい!すごくちゃんとしてる!)
私を面白そうに眺めながら、ヴァン君は余裕たっぷりで踊り続ける。学園最後のダンスが、私たちの最初のダンス。私は一生忘れないだろう。
「サレナ嬢!一度だけ!」
「ヴァリエール様!どうか一曲!」
数曲踊り終えて休憩していると、私たちは幾人かの生徒に囲まれた。私もヴァン君もそれぞれ、ダンスの相手を申し出られている。
ええと、と思った瞬間私の手は再びヴァン君に捕まった。そのままダンスへと連行される。
私たちを囲んでいた彼らはヴァン君の突然の行動に唖然としていた。
「ああ…そんな…せっかく…」
「楽しみにしていたのに…」
「残念でしたわね。あの二人、お互い以外と踊る気は無くってよ」
ソフィアはキラキラと光を反射しながら回る二人を見つめ、肩を落とす生徒たちに笑いかけた。
(ああ、焼きもちだね…)
私は不機嫌そうなヴァン君を見て、思わず笑ってしまった。彼にひと睨みされたが、ちっとも怖くなかった。
「私も、ヴァン君が他の女の子と踊るのは嫌だなと思ったよ」
こっそりとそう告げると、ヴァン君は「フン」とそっぽを向いた。拗ねたような顔に、私はどうしようもない愛おしさが募った。
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