スケール
しばらくお互い何も言わずに、思いを込めて抱き合っていると、急に部屋のドアがノックされた。肝を潰した私は、瞬時に体をヴァン君から離す。
「―!」
一瞬のことだった。ヴァン君は離れようとする私の腕を掴むと、体を引き寄せ、触れるだけのキスをした。いつかとは違い、私の唇に自身のを重ねた。衝撃で固まる私をそのままに、ヴァン君はにやりと口を歪めながら今度こそ離れると、ドアの外に向かって何事も無かったかのように「何だ」と声をかけた。
「全然降りていらっしゃらないから、お持ちしました」
ドアを開けると、お茶のセットを持ったロゼが立っていた。私は恥ずかしさと嬉しさと後ろめたさでロゼに向き合うことができなかった。うろうろと不自然に視線を逸らせてしまう。
ロゼは私の着ているドレスを見て「まあまあ!!サレナ様!お似合いですよ!」とお茶のセットをローテーブルに置きながら感嘆の声を上げた。
「あ、ありがとう…」と口ごもりながら顔を隠す私を、照れているからだと勘違いしたロゼは顔を隠している私の手をむんずと掴み「ほらほらよく見せてください」と言った。
どうしても顔が熱くなってしまうので、せめてと思ってロゼとは反対方向へ首を向ける。すると飄々と紅茶を飲んでいるヴァン君と目があった。ヴァン君は何も言わずに薄く笑った。
(ぎゃー!だめだ!ヴァン君の方が見れない!)
全く通常営業のヴァン君を心底恨めしく思いながら、私はロゼが解放してくれるまで目を瞑ってジッと二人からの視線に耐えるしかなかった。
「えっ!あのドレス、ヴァリエール様が!?」
「…ああ」
私はようやく普段着に着替え、やっと紅茶にありつけた。何とか平静を繕えるところまでは落ち着くことができた。時折、気を抜くと羞恥に襲われるため、しばしば俯いて頭を空にする作業を繰り返してはいるが。
ロゼは私の着替えを手伝った後、そのまま腰を落ち着けていた。ドレスがヴァン君からの贈り物だと聞くと、最近の大騒動を知っているロゼはヴァン君のナイスプレーに感激した。ここのところ、ロゼのヴァン君への評価は鰻上りだと思う。
「装飾もまあ素敵…サイズも丁度良くてようございましたね。探すのが大変だったでしょう」
「?…作らせたからな」
「「えっ」」
私とロゼは同時に声を上げた。「何を言っているんだ」という顔をしているヴァン君を見て、同じことを思ったのだろう、私たちは顔を見合わせた。
「ど、どこでどうやって…」
私もロゼと同様、絶対に既製服だと思っていた。だって、本人がいないのにどうやって寸法を測るんだ。体型だって色々ある。
「色々回っていたときに知り合った仕立て屋がいてな。そいつのところに行ってきた。大体の寸法を言って、微調整させた。早くしろと言ったら泣いていたが」
「「……」」
何という無茶をするんだ。大体、そんな方法で私のサイズに合ったのは奇跡としか言いようがない。どうしてそこまで正確に『微調整』ができたのか。驚きを通り越してちょっと怖いんですけど。それにそんなざっとした注文をされたドレスの製作者が気の毒でならない。正解が分からないまま、ヴァン君にあれこれ言われる…。そりゃ泣きたくもなるだろう。これはお礼どころかお詫びをしなくてはならないのだろうか。
「どこのどちら様か聞いてもよろしいでしょうか」
ついさっきまで目を潤ませて感激していたロゼが、今度は青い顔をしていた。お腹でも痛そうな様子だ。私はそっとロゼの背中をさすった。ヴァン君は首を傾げると、「名刺を押し付けられたような気がする」と言ってごそごそと放り出していた上着のポケットを漁り、小さな紙を取り出した。
私とロゼはそれを瞬時に奪うと、顔をしかめた。
「読めないんですけど」
「だろうな。こっちの言葉は話せるが読み書きまで追いついていないと言っていたから母国語だろう」
ヴァン君は「貸せ」と言って私たちから名刺を取り戻すと、気だるげに目を走らせた。
「『ギュイヤム・テジオ。腕利きの仕立て屋。アルテ県ミミブの街3丁目2番地。ドレスから、作業着まで。ご注文承ります』、だと。王都から割と近いからまた頼んでやれ」
「「………」」
頭が痛くなってきた。どこから来た人なんだ。さっきの名刺は何語かも分からなかった。どうしてヴァン君がそれを読めるのか。それはもういいや、彼は私とそもそもの出来が違うのだ…よし、諦めた。そういうものだと受け入れたよ。…それよりも。
その仕立て屋さんも仕事に困っているのだろうか、作業着からドレスまでとは手広すぎる。私はロゼに言って、丁度新調しようとしていたメイドたちのエプロンを発注するように頼んだ。それと、この国の言葉で名刺を作り直してあげるように指示した。ロゼは神妙に「はい」と言って立ち上がると、早速取り掛かるのか、部屋を後にした。心なしか、背中が丸かった。
パタンと丁寧にドアが閉じられたのを確認すると、「はああああ」と私は息を深く吐き出した。ジロリとヴァン君を見る。もう!いきなりふいうちにキキキキスするなんて!しかもあのタイミング!焦ったわ!抗議の視線をものともせず、ヴァン君は悪戯が成功した子供のように、笑いながら私の鼻をぎゅっと摘まんだ。
コツコツと、石畳に靴の音を鳴らしながら夕焼けの中を歩く。静かに吹く冷えた風がヴァリエールの肌を掠めていく。サレナの屋敷を出た後、馬車を断ったヴァリエールは悠々と自分の屋敷への道を辿っていた。すると、向かいから見覚えのある馬車が駆けてくる。ヴァリエールは目を細め、ランジットの紋章を認めた。
馬車の方もヴァリエールに気が付いたのか、十数メートル手前から馬の脚が緩まった。ヴァリエールは立ち止まり、馬車が止まるのを待つ。用があるのだろう、と察した。
「ヴァリエール。帰ったか」
「ああ」
馬車の主、サレナの父親のフォーヴ・ド・ランジットは少しドアを開けると、ヴァリエールに顔を見せながら声をかけた。
「ドレスの話、聞いたぞ。私からも礼を言う」
「流石に早いな」
どういう情報網なのだろうか。相変わらず耳の早いフォーヴにヴァリエールは微笑した。
「本当に困った状況でな」
「サレナから聞いた。相当面白いことになっていたそうだな」
疲れたように眉間を押さえるフォーヴに対して、ヴァリエールは楽しそうに答えた。渦中にいられなかったことが惜しまれるようにさえ見えた。そんなヴァリエールにフォーヴは「やれやれ」と呆れた。そして一呼吸置くと、静かにヴァリエールに別の質問をした。
「…ふたりとも、私に言うことはないか」
やはりか、とヴァリエールは思った。自分たちのことに勘づいていないわけがない。何よりサレナが分かりやすい。明らかに以前と態度が違うのだ。
「あいつと共に報告する。卒業まで待ってもらいたいところだが」
いつになく控えめな態度に、フォーヴはため息をついた。予感していたことはどうやら当たりだと確信した。
「卒業まで待ってもらいたいのはこちらも同じだ。…分かっているとは思うが」
「淑女でいさせるから安心しろ」
分かっているならいい、とフォーヴは諦めたように数度頷いた。用は済んだと察したヴァリエールは歩を進めようとする。フォーヴも開けていたドアを閉め、御者に「出していい」と声をかけた。
薄闇の中へ、馬車と人影は静かに消えて行った。
「おかえりなさいませ」
折り目正しく、執事は帰宅したヴァリエールを迎えた。一直線に部屋へ戻ろうとするヴァリエールを執事は流れるような動きで差し止めた。ヴァリエールはあからさまに嫌そうな顔をする。執事は全く意に介すことなく、若い主人へズイと一歩詰め寄った。
「サレナ様に、きちんと事情をお伝えできました?」
ドレスを持って帰ってきたヴァリエールを鬼の形相で待ち構えていたのは紛れもない執事だった。身振り手振り、それは深刻そうにヴァリエールの不在を知ったサレナの様子を語った。それには流石のヴァリエールも「しまった」と思わずにはいられなかった。
ヴァリエールは執事の質問に無言でかすかに頷いた。それはそれは煩わしそうに。
「ならばよかった!こちらにいらしたときのご様子と言ったら本当にお可哀そうで。愛する方にあんなお顔をさせてはなりませんよ!まったく、執事は肝が冷えました」
ヴァリエールはうんざりして、「本当にいつまで経っても手がかかるんですから全く全く」といつまで経っても子ども扱いしてくる執事のお小言を聞き流し、階段を飛ばし飛ばし上り、自室に向かった。
決して執事に言われたからではない。サレナにドレスを見せたくて学園に行ったのも、彼女に触れたかったのも、全部自分の意思だと心の中で悪態をつきながら。
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