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怒れる巨体

「どういうことなの…」


最近の私の口癖と言って過言ではない一言が口からポロっと零れた。いやしかしここ数週間のうちで確実に一番の戸惑いだ。屋敷のメイドたちも皆「嘘でしょ」と騒めいている。私たちはテーブルに広げられた書状を囲んでいた。贈り主は、先日リンを引きずり倒して見積もりを取ってきた仕立て屋全て。次々と届く書状に皆「信じられない」と、食堂に参集したところである。


書状の内容は口裏を合わせたかのように全部同じだった。


『誠に申し訳ございませんが、先日お越しいただいた際のご依頼に関しまして、当方の勝手な都合で辞退させていただきたく存じます』


グシャリ。肉厚な手が一通の手紙を握りつぶした。「何してるの」と驚いたが、当のボギーの形相を見たら思わず固まった。普段ニコニコ顔の彼女は「そんな顔できたの?」と思う程、恐ろしい顔をしていた。わがままボディの全身から怒りがほとばしっているようだった。人でも殺しそうな勢いである。私たちは誰もそんな彼女の姿を見たことが無く、この事態に一同息を飲んだ。


「ちょっと行ってきます」


厳しい表情のまま、ボギーはフリフリの白いエプロンを脱ぎ捨てた。私たちは慌てて「どこへ!」と取り囲む。ボギーは正面に立つ私の肩を掴み、優しくそっと脇にどかせると「仕立て屋へ事情をお伺いしに」とギラリと目を光らせた。


迫力負けして唖然とする私たちを背に、ボギーは逞しい背中を見せながらズンズンと食堂を出て行こうとする。


「ち、ちょっと待って!!!!」


どう見ても『お伺いする』という穏やかな雰囲気ではない。カチコミという単語が頭をかすめた。私と、一歩遅れてリンが走って追いかけ、それぞれボギーの腕を左右からガシッと捕まえた。


何かもう気迫が凄すぎる。とても止められる気がしない。それならもう着いて行くしかないと決心する。


「一緒に行くから!!!」


リンも珍しく必死な様子で、私の言葉にウンウンと小刻みに何度も頷いた。


実際、仕立て屋がどういうわけで軒並み断りを入れてきたのかは知らなくてはならない。私たちは心配そうなロゼと他のメイドたちに見送られながら馬車に乗った。




案の定、ボギーは店に着くなり仕立て屋の主人を締め上げた。比喩ではなく、若い仕立て屋の主人が目の前で襟口をギリギリと引っ張られている。


「「ボギー!!!!」」


私とリンは慌てて彼女を取り押さえた。何とか解放された主人は恐怖と困惑で震えあがっていた。突然店に入って来た人間に締め上げられたら怖いだろうと若干気の毒になった。


私は未だ眼光鋭く主人を睨むボギーの前に立ち、主人の視界からボギーを隠した。私の体格では全然隠しきれていないが、顔が見えなければいいだろう。私は主人に向かって、家に届いた例の書状を差し出した。私の顔と書状を見ると主人は合点が言ったように「ああ…」と項垂れた。


「どういったご事情がおありなの。女性がドレスを作るのがどれ程楽しみかお分かりでしょう」


背中から、多少落ち着いたボギーの声がした。私は馬車の中での彼女の言葉を思い出す。





『そんなに怒ってくれなくても大丈夫よ。きっと何かあったんだわ』


荒ぶるボギーを何とか宥めようと、色々と声をかけてみた。正直私だって手紙を読んだときはあまりに無礼な対応に腹が立った。ボギーがここまで激怒してくれたことで、ちょっと気が晴れたのだ。自分より怒っている人がいると意外と冷静になれる。


『いいえサレナ様。ドレスの新調が女にとってどれほど楽しみか…それをあんな手紙一枚、しかもどれも判で押したような文言で…とても許せませんわ』


私とリンは顔を見合わせた。ボギーがここまで怒るとは。彼女は俯いて肩を震わせながら言った。


『私、昔から体が人より大きくて。既製服が着られないのです。だから自分で普段着を仕立てられるようになるまでは、注文するしかありませんでした』


彼女が自分の服を自分で作っていることは知っていた。流石に家のメイド服はこちらで用意したが、確かに在庫ではサイズが合わなくて特注で作ったのだった。


『そう頻繁に注文できるわけもなかったので、新しい服を作るときはとても楽しみでした。サイズを測って生地を選んで…まるでお姫様のような気持ちだったんです』


私とリンは「成程」と頷いた。彼女の服への思いはとても切実で、おそらく人生で非常に大きな問題だったのだろう。そして何より彼女はファッションが好きで、着飾るのが好きなのだ。ボギーの話を聞いて、ここまで怒る理由が分かった。


『しかも今回はドレス!!楽しみも一回り大きいのに!』


「んもう!」とボギーは膝を叩き、隣へ衝撃が伝わってリンがボヨンと跳ねた。私の身に起こったことを自分のことのように憤慨する彼女は、やっぱりいつも通りの優しいボギーだった。リンも同じことを思ったのか、優しい眼差しでボギーを見つめていた。





ボギーの言葉に、仕立て屋の主人は「分かっている」という風に力なく頷いた。


「こないだこちらに伺ったときは、喜んでお受けしてくださったではありませんか。何があったのですか」


私はできるだけ穏やかな口調で問いかけた。主人は「申し訳ございません」と深く頭を下げた。謝罪はもちろんだが、私は事情が聞きたい。主人に頭を上げさせ、今一度どうしたのかと尋ねる。


仕立て屋は、言おうか言うまいかの長考に入った。様子を見守る私たちはやきもきして彼を待った。数分経ってしびれを切らしたリンが無言でブンと拳を上げ、腕を組んだボギーがダンと足で床を鳴らすと、主人はやっと決心がついたようだった。


「こ、こんなことお願いするのは本当にお門違いな話ですが…どうかご内密に…」


私たちは顔を見合わせた。どうしてこちらが配慮しなくてはならないのか。釈然としなかったが、とりあえず話はあちらの事情を聞いてからである。私たちは主人に向かって頷いた。


「ありがとうございます…。そ、その、先日ランジット様が見積もりのご依頼に来られた次の日、こちらにコールデン様とセンシール様がお見えになりました」


主人は汗びっしょりになりながら話し始めた。


(アッ!嫌!何かすごく嫌な予感がする!!!)


私も膝裏に変な汗が出始めた。


「コールデン様がランジット様とご婚約を白紙にされたのはお聞きしていましたが、もう違う女性をお連れしていたので驚きました」


あなたが思っているのと順番は逆なんです、と心の中でツッコんだ。「普通はそう思うよね~」と、私は情けないやら、いたたまれないやら。


「センシール様はコールデン様とご相談されながら、ランジット様のようにデザインと費用の見積もりをご依頼されてお帰りになりましたが…。数日すると、どこからお知りになったのか、センシール様がランジット様も当店をお使いになられたのかとお尋ねにいらっしゃいました。それで、その…センシール様はランジット様のお使いになる店は御免だと。ですがランジット様の方が先にいらしていたのです。それに我々はお客様を選ぶことなどできません、と申し上げましたが…」


そこで主人は非常に言いづらそうに、私の方を見た。顔色を窺っているようだ。顛末は大分予想できたが、一応「それで?ご理解いただけたのでしょうか」と訊いてみた。


「それがその…」


なお歯切れの悪い主人の態度に、思わず「あの野郎…」と口走ってしまった。口が滑った私に主人は驚いて体をビクつかせた。ボギーとリンが私の口を押さえ、取り繕うように「なんでもないですよ」と愛想笑いし、「どうぞどうぞ」と続きを促した。主人は殆ど泣きながら再び頭を下げた。


「自分のドレスの方が高価だとか、侯爵家と伯爵家どちらを優先すべきだと思うかとか、この注文はコールデン家との契約だとか…ランジット様の方をお断りするようにと遠回しに色々と…」


「し、信じられない…一般の善良な店に圧力をかけるなんて!」


「申し訳ございませんでした!困り果てて同業者に密かに相談してみると、同じことになっている店が数件…。我々は臆病でした。センシール様のお言葉に逆らえませんでした。ご無礼と知りながらあんな手紙でお知らせしましたのは、お断りするならばいっそ今後も無いくらい見限っていただくのが筋だと、皆で考えたからです」


私たちは話を聞いて、当惑した。バーニーが彼らにかけた迷惑が、商いをする者にとってどれほど苦しい決断を強いるものか。身分を弁えなくてはならないのは、平民だけではない。貴族こそ自分の身分がどういうものかと自覚していなくてはならないのに。板挟みになってしまった仕立て屋はさぞ困っただろう。


事実をそのまま家に相談してくれてもよかったのだが、そうしなかったのは彼らなりの贖罪であり、自戒だったのだろう。ボギーも怒りのやり場がここではないと知り、拳を震えながら握りしめている。今度はどうしたって拳の届かない相手なのだ。リンが小さな声で「クズ…」と呟いたが、全員でスルーした。


私はぐったりと項垂れる主人の手を握った。主人はハッとして顔を上げた。


「…ご事情は分かりました。ご迷惑をおかけしたこと、私からお詫び申し上げます。今回はこちらでお願いするのは諦めます」


「そんな!あなた様が謝られることではございません!」


私は緩く首を振る。


「……次新調を考えるときは、また来ますわ」


「それはなりません!我々は商人として誠実を欠いたのです!」


そう言われると、益々ここに依頼したい気持ちが強まった。いいや、嫌がられても来てしまおう。


私たちは謝罪合戦を切り上げると、次の仕立て屋のところへ向かった。事情を聞いたら尚更、店に出向かなくてはならなくなった。


(なぜ私がバーニーの尻拭いをしなくてはならないのだろう…)


依頼をかけ、断ってきた仕立て屋全てを回ると、陽はすっかり落ちていた。どの店も初めの店と同じ反応だった。一日にこんなに謝られたのは初めてだ。私たちは屋敷に着くと、疲労困憊でへろへろだった。


報告を受けた父は頭が痛そうに眉間を押さえ、「あそこはな…本当に色んなとこで揉めるんだ…」と何かを思い出して呟いた。


「サレナ、それでドレスはどうする?他の店でなんとかなりそうか?」


「あ…」


すっかりそれどころではなくなっていたが、ドレス選びは振り出しに戻されたのであった。


(もおおおおお!許さない!!!!!)


先日同行して一緒に色々考えてくれたリンが、視界の隅でボギーのボディを突きまくって八つ当たりしていた。


お読みいただきありがとうございます!

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