それぞれのあれこれ
第三者視点でお送りします。
「はあ…」
歴史ある王都の侯爵屋敷の一室で、重たいため息が漏れた。こんなに早く事が進んでしまうなんて、と部屋の主であるバーニー・ド・センシールは鬱々と物思いに耽っていた。
事実上恋人関係のリュイは、サレナと破談になるや否や直ぐにバーニーに今後の在りようについて語った。
「両親に話してみたが、やはり簡単には認めてもらえなさそうだ。私も今以上に努力する。だから君も頼む。君のことは誰よりも信頼している。聡明な君なら大丈夫だ。二人で共に頑張ろう」
バーニーはこの言葉に、顔が引きつった。いつものように綺麗に笑うことができなかった。彼の言う努力が「王妃教育」に匹敵するものだと察したのである。つまりは、立ち振る舞いの作法の徹底に始まり学力の誇示だ。それに、誰に対しても平等に。バーニーがいつも得意げに従えていた取り巻きたちばかりを贔屓することはならない。これからの困難と尽力を考えると、とても「にこり」とする余裕はなかった。
加えて、自分の生家からの過剰な期待がバーニーの両肩に圧し掛かっていた。センシール家はバーニーの父親が本家ではあるが、現状実質力があるのは分家であるバーニーの父の腹違いの弟の方だった。バーニーの父の母親は若くして亡くなり、後に迎えた妻と生まれた子を当主が深く愛したことに原因がある。そもそも本家が王都に越してきた理由も、王都で一旗揚げて力を得ようと一念発起したからだ。
そこに具合よくバーニーがリュイと懇意になったことで、本家が分家に押されているという状況をひっくり返せるかもしれないという希望がセンシール本家で高まった。リュイの婚約者の席が空いた今、センシール家としては「あと一歩だ」という期待をバーニーに向けているのだった。
育った環境もあり、選民意識と階級意識が強いバーニーの父親がかわいがった娘も似たような思考の持ち主になった。バーニーは常に自分が一番美しく優雅で誰よりも優位であると疑わずに生きてきた。故に、次期王の婚約者が自分よりも低い身分の者という事実は我慢がならず、サレナがふさわしくないという理由をあれこれと考えた。
「お前以外に誰が王妃になれるんだ。リュイ様を一番近くで支えてきたのはお前だろう」
実際17年リュイを支えたのはサレナだという事実を認識できないバーニーの父親は、この一年のバーニーの振る舞いを過度に評価していた。もはや自分の娘が次期王妃だと疑いもしない。もちろんバーニーもそのつもりだが、願望と野心だけでなく、実際にそれが現実味を帯びてくると自分に圧し掛かる負担がどれ程のものかが見えてきた。生家からの応援は今やバーニーにとってはプレッシャーとしか感じられなくなっていた。
「まさか…ランジット家の婚約がそれほど大きな取引だったなんて…」
そしてバーニーはランジット家が婚姻にて結ぼうとしていた多大な利益についてかなりのショックを受けていた。そうでなくては伯爵の身分で次期王妃の権利などもらえるはずがないと強く思う一方、『利益』という点について我が家のことを考えずにはいられなかった。
誇り高い我が家だが、今のところ誇れるのは歴史しかない。近代の本家がこそこそと新事業に失敗しているのは知っていたし、ランジット家のような大規模な国の経営が絡む事案には疎遠である。我が家と婚姻を結んでどんな利益がコールデン家に生まれるのか、バーニーには思い付かなかった。
リュイと自身の家からのプレッシャー。サレナのことをふさわしくないと散々リュイに語っていた頃が懐かしかった。今自分があてにできるのがリュイからの愛情しかないと気が付くと、バーニーの心には焦りが否応なく広がるのだった。
嫌なやつと一緒になった、とリュイは眉をひそめた。いつもなら燃え上がる対抗心が今日はどうにも大人しい。リュイは自分のコンディションの悪さに辟易した。
「…」
学年の合同授業で同じ組になってしまったリュイとヴァリエールは互いに無言を貫いていた。もの言いたげにしているが、何も言ってこないリュイをヴァリエールは静かに観察した。やがてその視線に耐えられなくなったリュイは苦々しく「なんだ」と意を問うた。
「そんなに落ち込んでいるお前を久しぶりに見たと思っただけだ」
飄々と年上風を吹かせるヴァリエールにリュイは鋭い視線を向けた。しかしヴァリエールは一向に気にする様子は無い。この男は昔から自分のことをいつも下に見ている。サレナの年の近い親戚だから幼いころは仕方なく共に過ごしていたが、もうヴァリエールに気安く接せられる理由はない、とリュイは思った。
「あいつもしばらくへこんでいた。まあ、もうお前には関係のない話だが」
ヴァリエールの言う「あいつ」とはサレナのことだと分かった。リュイはわずかに胸が重たくなった。自分がイマイチ気力の出ない原因は、サレナとの婚約破棄にある。
そもそも婚約破棄を望んだのは自分の方なのに、結果正式に解消を突きつけられたのは自分の方だった。両親の意向を変えさせる方法が無かったため、自分は公の場で宣言するという手段を取ってしまったが、まさか彼女の方から切られるとは思っていなかった。今になって寂しさや後ろめたさが少々生まれているが、それを表に出せるほどプライドは低くない。
目下の悩みは、どうやって両親を納得させようかということである。あんなに自分ならもっとよくやれるし、共に頑張れると言っていたバーニーがいざとなるとたじたじだったことには驚いた。本当にこれで良かったのか、無意識に自分自身に問いかけてしまう不安を日々懸命に打ち消していた。
自分に言い聞かせるように、リュイはヴァリエールに答える。
「…そうだ。サレナではきっと耐えられなかったからな。王妃という肩書は甘いものではない。彼女はよく言うことを聞いていたが…それだけだ。意思の強さが無くては、とても持たない。バーニーは…突然話が進んだので戸惑っているようだが…彼女なら共に私と支え合っていける」
「…サレナでは無理だったと?」
「あいつはずっと庇護されてきたから今までなんとかなったんだ。私が守っていたから」
ヴァリエールは冷たい目で笑った。リュイの言葉は成程、バーニーの影響を色濃く受けていることが分かった。自分の目が曇らされたことにも気が付かず、他人の視点でサレナを評価していることすら疑問に思わない。サレナという人間が、きちんと自分の頭で考え、中々に計算高く生きることができる人間だとは想像だにしていないのだろう。何かとヴァリエールに対抗し、サレナとの間に立ってヴァリエールを睨んできていた頃はまだ面白味もあったし可愛げもあったのだが…。今のリュイはヴァリエールにとって関わる価値の見出せない人間になっていた。
リュイはヴァリエールからの冷たい反応を受けて、彼からの興味を失ったことを察した。いつも図々しく関わってきたヴァリエールは、今自分を完全に見限ったのだ。リュイの心臓は嫌な感じに脈打った。リュイはヴァリエールの能力を嫌々ながらも評価せざるを得なかった故に、幼いころから彼にコンプレックスを抱いていた。そんなヴァリエールが見限ったということは、とリュイは無意識に自身を測った。
強気に保とうとしている心が揺れ動いたが、今になって自身の判断を覆しても時間は戻せないし、事態は元通りにもならないことはリュイ自身にもよく分かっていた。それに何より自身のプライドが許さなかった。
「…あいつは、もうお前が守ってやれるだろう。ずっとあいつもお前に懐いていた」
リュイはサレナが自分に想いを寄せていたことを知らない。リュイはサレナを完全に庇護対象としてしか見ていなかったが、そう思う程度には個人的にサレナのことを大事にしてきた。バーニーに「王妃とは」を説かれるうちに、段々とサレナでは務まらないと思うようになったのだ。そうして、いつの間にか公私を混同してしまったことに、リュイは今やっと気がついた。
ヴァリエールはリュイの言葉に彼自身のわずかな想いを読み取った。しかし、サレナには何も言うつもりは無い。サレナが傷つくだけであると分かっているし、そうしてやる義理もリュイに対して無いと判断した。全く無自覚にサレナの尊厳を貶めたことはヴァリエールにとっても許しがたいことだった。表には出さないが、ヴァリエール自身、幼いころ可愛がったリュイではあるが、否、可愛がったからこそ一層許せなかった。
もちろんリュイにもサレナの気持ちを教えてやる必要は無い。今後リュイがいつか後悔し、自分で気が付くべきだろう。
「そうだな」
ヴァリエールは淡々と答えると、リュイから視線を外して剣の手本を見せている教師を無感情に眺めた。
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