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契約成立

夏の暑さは落ち着いたが、ランジット家とコールデン家は白熱していた。多額の賠償金の請求に責任の追及、領地での国の商船の出入りの制限等々。コールデン家にとっては何のいいことも無いことがずらーっと書かれた文書は、話し合いの過程で色々と修正が進んでいるらしい。両家の婚約も巻き込んだこの騒動は、ふたつの家の中だけで話を閉じ込めておくことは不可能で、どこで誰が漏らしたかは知らないが、すでに世間に知れ渡るところとなっていた。



(案の定だわ…)


私は周りからの視線を欲しいままにしていた。もちろん望んでいるわけではない。朝一で私の身を案じて来てくれたソフィア嬢以外は、生徒達との距離は明らかに遠かった。誘拐されたこと、家と国が争っていること、婚約がとうとう正式に破談になりそうなこと、皆好奇心を隠しきれないようだったが、誰一人実際に声をかけてくることはない。何かを聞かれたときのための想定問答集は頭の中に作成済みである。だからと言ってさあどうぞ何でも聞いてくださいというほど明け透けな性格でもないので、私は新学期早々己の存在感を消そうと、努めてシーンとしていた。ちなみにヴァン君はまだ来ていない。


ふいに廊下がざわめいた。誰かが登校してきたらしい。私は広げている本の一点をジッと見つめて、耳を澄ませた。足音がこちらに近づいてきた。そして机の上に影が降る。私は心がズシンと重たくなった。


「お元気そうでなによりですわ。サレナ様」


「バーニー様…」


愛嬌たっぷりにバーニーは私に向かって笑いかけた。反対に私はピシッと顔が強張った。バーニーの目は笑っておらず、どこか怒っているかのようにも見えた。私が破談になったら喜ぶはずなのにどうして怒る理由があるだろうか。いやでも彼女は根本的に私と思考回路の作りが違うし…と逡巡していると、バーニーは私の方にずいっと身を乗り出し、ビシッと指を指した。


「攫われたことはお気の毒と思いますが、どういうおつもりですの?あなたの方から婚約を破談にするなんて。たかが伯爵家が公爵家に断りを入れるなんて、一体どういうことかしら?身の程が分かっていらっしゃらないの?」



「「………」」


私は息を飲み、教室に空前の緊張が走った。


「筋としては、あなたがリュイの断りを受け入れるべきでしょう。あまりに傲慢なやり方でなくて?」


私が何も言わない間に、バーニーは次々と言葉を繰り出した。ちなみに、何も言わなかったのではなく、言えなかったのだ。何故なら理解が追いつかなかったから。初期から失礼なひとだなあと思っていたけれど、ここまで極まった失礼だとは思わなかった。もはや一周回って感心してしまう。是非行動原理を一度教えて欲しい。人伝で。


戸惑って呆然としてしまったが、こんなことを言われる筋合いこそない。当人同士ならまだしも、第三者のバーニーに。ここは、ついに「うちは結婚してもらう側ではない」ということをはっきりと言うときが来たのかもしれない。それでできれば自分の教室にお引き取りいただきたい。激昂せずに…あくまで穏やかに…。


「バーニー嬢」と口を挟むと、バーニーは顔をしかめた。彼女に話しかけることすら「不敬」と言わんばかりだ。


「さっきからおっしゃる意味がよく分かりかねますが。この結婚が国と我が領の一大経済を担った取引だったことはご存じでしょうか。私、国の方から結婚を望まれて今まで育てられましたの」


「なんて上からモノを言うの!?」


あなたには言われたくないわと思ったが、グッと堪えた。何だかもうびっくりやら次の反応が怖いやら色んな意味でドキドキしてしまう。バーニーが言い返してくる前に頑張って喋り続けなくては。


「望まれたのとは違う形ですが、我が領での取引は今後も発展してゆくでしょう。お分かりですか?国の経済と交易が関わってますのよ?リュイとの結婚は国にとって有益でなくてはなりません」


バーニーの顔が一瞬強張った。彼女の痛いところを突けたらしかった。


「王妃教育も、次の方に課せられるでしょう。この歳です。身に着けるのは一苦労かもしれませんが、あれで王妃となるための『覚悟』を試されているのですから、仕方ないですわね」


教室がシン、と静まり返った。私はバーニーからの反撃を待ったが、彼女の顔がみるみると変わっていくのを見てギョッとした。思い切り眉を寄せて、涙が滲み始めた。私は内心ものすごく慌てた。さっきまでの強気はどこにいったのだ。いや、これは本泣きなのか?私が泣かせたみたいになってはいないかと変な汗が見えないところに噴き出た。


「そんな…まるでリュイが私と結婚しても何もいいことが無いような…それにリュイを思う心が偽りのような…」


(違う!リュイを思う心ではなく、問われるのは「王妃」としての覚悟と責任!)


微妙に歪曲されてヤキモキしてしまうが、相手は未だに瞳をうるうるとさせている。成程守ってあげたくなる画ではある。ああん!どうしたらいいんだ!どう帰ってもらったらいいの!


「バーニー、何をしている」


「リュイ!」


(まずい!!最悪な時に最悪な人物が!!)


教室口に現れたのは登校してきたリュイだった。彼はこの教室の奇妙な空気を察し、不審そうに生徒を見渡した。バーニーは可憐に涙をこぼしながらリュイに駆け寄り、いつかのように彼の袖にしがみついた。


(リュイと第二ラウンド…)


いよいよ精神を大幅に削ることになった。私は静かに彼らの方を見据えた。ゴングを鳴らしたのはバーニーで、涙声で「サレナ様がひどいことを…」と訴えた。リュイは私の方へ視線を向けた。バチっと目が合い、私はお腹に気合を入れた。しかし、リュイはただ私に向かって「無事か」と一言声をかけただけで、くるりと背を向けて困惑しているバーニーの肩を抱いて去って行った。


私は何が起こったのか分からず、間抜けな顔でしばらく教室の出入り口をポカンと眺めた。


(無事か…って、私のこと?ん?どういう確認??)


まさかまさか、休暇中に攫われたということで、心配でもしてくれていたのだろうか。彼の言葉に合点がいかず、私は「???」と首を捻らせた。


とりあえず、惨事にならなくてよかった…。リュイと始めたら泥沼だっただろう。バーニーはもちろん、リュイの行動もイマイチ分からず釈然としないけれど、よかった。私は強張っていた体から力を抜き、椅子にもたれかかった。周りからも、安堵のため息が聞こえてきた。クラスメートには気を遣わせて本当に申し訳ないと思っている。



その後遅刻ぎりぎりでやってきたヴァン君に報告をすると、「あいつ相変わらず面白いな」という斜め上の感想が返ってきた。あいつとはバーニーのことだ。流石の私でも褒めていないことは分かった。


それからしばらく、私は厳戒態勢を敷いていたけれどあれからバーニーに何も言われることもなかった。姿を見ればそれはきつく睨まれたけれど、彼女の顔はどことなく疲れているように見えた。






「そろそろこの辺で妥協しないか、わが友フォーヴ」


「ええ、そうですね。お互いに限界でしょう」


連日、コールデン家の一室で二人の紳士が話し合いを続けていた。一人はランジット家の当主、もう一人は現国王を務めるコールデン家の当主である。フォーヴが持ち込んだランジット家の総意の文書の扱いについて、協議を進めていた。国王は疲れを滲ませ、深いため息をついた。


「じゃあ、賠償とランジットの領地での交易については議会へ。……うちの息子とサレナ嬢のことは、内々でやろう」


「承知いたしました」


フォーヴは広げていた書類を仕舞うと、席を立った。使用人が開けたドアへと向かう背に、コールデン家の当主は声をかけた。


「お嬢さんのことを、我が家で軽んじたことなど一度も無い。非常によく出来た子だ」


フォーヴは恭しく一礼すると「存じております」と言って部屋を出た。



フォーヴが部屋を出るのを見計らって、上品に身を整えた現王妃、コールデン夫人が部屋に入って来た。彼女の顔からは心配と不安がありありと読み取れた。王は王妃の肩を優しく抱き、今しがた終わった交渉の結果を伝えた。


「そう…賠償は免れたのね…」


王妃は呟いたが、彼女が「国」を案じているのではないということを王は知っていた。気が付かないフリをして続けた。


国は賠償の支払いを免れる代わりに、ランジットが頑として譲らなかった交易監察権を認めた。今後、全ての交易の船のルートと取引内容はランジット家の目を通る。加えて、責任者として新しい国の高官が要求された。そもそも、一貴族が国に対して賠償を求めるなど前代未聞だったが、ランジット領の担っている役割は軽視できず、今後の交易・商業を固くするためには妥当な協議だと、国の重鎮たちもしぶしぶ受け入れた。国としては今回のことを無償で寛恕される方が不安と判断したのである。


そして、ランジット家との婚約は、国に責任を問う形で辞退が申し出られるというコールデン家としては不本意な体裁だったが、先ほど両家で合意が成された。



夫人は話を聞き終わると、青白い顔でソファに腰を下ろした。


「じゃあサレナちゃんは家に来ないのね…。彼女をご存じない親戚の方々は、もっといい縁談などゴロゴロあるとおっしゃいますけど、あの子は本当に真面目で、素直で優秀で…それにリュイのことも気に入ってくれて。嫁いでくれたらどんなに良かったか…。リュイったら…何を考えて、あんな落ちぶれそうな侯爵家の…」


「こら。お前が嫌う親戚一同と同じことを言っているぞ。一族の意見を無下にすることができず、彼女には悪いことをしてしまった。…私が王位を退いたら一緒に謝りに行こう。それまでは…イレムにまた頼むか」


コールデン家と国を背負う二人は、互いを労うように寄り添い合った。



お読みいただきありがとうございます!

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 二人の紳士が話し合いを続けていた。 一人はランジット家の当主、 もう一人は現国王並びにコールデン家の当主である。 ↑ 「並びに」という表現だと現国王「と」コールデン家当主 っていうふう…
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