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ただいま

領地を出発して二日が経った。ガタゴトと揺れる馬車の中、私は領地滞在中の出来事を思い返していた。ほんの二週間だったけれど、とても長い間過ごしたような気がする。出立には叔父さんたち、ユリアン、アガト、親方達が皆で見送ってくれた。またおいでと言ってくれる皆とあの情緒たっぷりの土地が名残惜しかった。空気、食べ物、景色、文化…どれも王都には無いものだった。私は近いうちにまた来ると心に誓った。


父の様子見のためと、コールデン家からの夏のお誘いを回避するための来訪が、思わぬ結果になった。私の婚約解消を含む、国への賠償請求の正式な書類は父が王都に戻ったら然るべきところに提出される予定だ。やっと帰れる算段がついた父は、私たちと共に領地を発った。私とヴァン君の乗る馬車の先を走っている。これで私の婚約者業も終わるのかと思うと、ちょっぴり感傷的になってしまった。


(今までのことは大事な思い出にしよう…決して悪いことばかりではなかったのだから…)

「おい」

(優しくて賢いリュイはもういないし…)

「おい。聞いているのか」


私は遠くの空に放り投げていた意識をハッと取り戻した。反射的に「はい何でしょう!」と答えると、ヴァン君は呆れながら手にしているノートをペンでコツコツと叩いた。


「手を動かせ」


「ハイ…」



ガタゴトと良く揺れる馬車の中、私たちが何をしているのかというと…。


「ヴァン君数学あとどのくら…ヒエエ!もう終わりじゃん!」


「そうだお前も早くしろ。あと文系科目が残ってるんだからな」



『夏休みの課題』に必死に取り掛かっていた。それぞれ科目毎に分担し、後から相手のを書き写す作戦だ。今回はたっぷり一週間かけて旅をするため、王都に着いてからでは到底間に合わない。というわけで、揺れや酔いと戦いながらこうして寸暇を惜しんでやっているのである。こつこつやるつもりで領地に持って行ったはいいが、違うことに頭と時間を費やしていたので、てんで「課題やろう」という気にもならなかった。というか、普通に忘れていた。思い出したのも、領地を出る際にジェイン伯父さんが「宿題やったのか」と訊いてきたからだった。明らかに「いっけね…」という顔をした私たちは父に二人揃って同じ馬車に放り込まれ、道中鋭意頑張るよう言い渡された次第である。



実は二人きりになって不覚にもドキドキと緊張していた私だったが、甘い空気どころかいつにも増して気だるそうな雰囲気を醸すヴァン君と、山のような課題を前にしたら浮ついている場合ではないと悟った。



私はヴァン君にお叱りを受け、ペンを握り直した。が、分からない問題に立ち止まっていたことを思い出した。困った。参考資料までは持ってきていない。ああああ…。またやる気が。どうしよう。ヴァン君は分かるだろうか。チラチラと彼の様子を窺うと、ヴァン君は走らせていたペンを止めた。


「どうした」


「あの…これ分かる…?」


おずおずと差し出したノートを受け取ると、彼は問題に目を通す。


「分からん。とばせ」


ヴァン君は簡単に言った。彼なら分かるだろうと思っていたので、私は面食らった。「分からないなんて意外」という失礼な思考を読んだのか、ヴァン君は「わざわざ学ばなくては知らん内容だ」と不機嫌そうに言った。


(あ…そうだよね、これ習ってないよね)


応用問題なら何とかなったかもしれないが、これは明らかにまだ基礎も知らない。予習のつもりで出題されたものだろうか。どうしてか、ヴァン君は何でも知っているし、できると思ってしまう。うん、それはいくら何でも失礼だ。気を付けなくては。


「お前…また無礼なことを考えただろう…」


私は件の問題を後回しにしてそそくさと次の問題に移った。



頭と三半規管を痛めつけながら一週間が経つと、私たちはやっと生まれ育った王都に戻ってきた。久しぶりの王都はとても懐かしかった。父は屋敷に一度戻ると、支度を整えてすぐに宮殿に向かった。ヴァン君も流石に自分の屋敷に帰って行った。


ロゼやリンやボギーといったメイドたちは主のいない屋敷の手入れを欠かさず、出かけた時と同じように家はきれいだった。私が誘拐されたという噂はどこかの風が届けたらしく、メイドたちは私を見てやっと安心できたようだった。私は改めて心配をかけたことをすまなく思った。


自分の部屋に戻ると、一番にベッドに転がった。ああ!やっぱり我が家の布団が一番だ。ゴロゴロと自分の寝床を堪能した。ローリングしながら、ふと、ある疑問が頭の中に浮かんできた。


(…何かが変わったのだろうか)


道中も、さっきの別れ際も、特に何もなく。意識しているのは私だけなのだろうか。何というか、私が浮かれる隙も与えられない感じで、ヴァン君は「いつも通り」だった。あれ?こういうもんなの?明言こそされてはいないが、ヴァン君は私のことが好きだと、あの夕陽の坂道で伝えてくれた。私も、遅ればせながらヴァン君のことを憎からず思っていると自覚した。


私にも備わっている乙女的思考からいくと、両想いであることが判明したらもうちょっとこう素敵な雰囲気に自然になるものかと思っていた。


(いや、相手はあのヴァン君だ…)


彼が王子様的なキラキラを背負ったふんわり甘ったるい人間でないことは明白の事実。放っておいてそんなメルヘンな雰囲気になるわけがない。というか、突然そうなられてもこっちも混乱するけど…。私は否応なく冷静になった。


繋いだ手を思い出して、自分の手をグーパーグーパーと動かしてみる。淡い気持ちがぷかりぷかりとあぶくのように浮かんできた。


(欲張りになっているんだわ…私が)


この物足りなさが、ヴァン君に恋をしたという証拠だ。リュイの時は叶わなかった。私の思いを伝える勇気も出なかった。それが今度はどうだ。相手も自分を思ってくれている。それだけで何て嬉しいのだろう。こそばゆさや嬉しさや形容しがたい気持ちが高まって、抱えていた掛け布団をぎゅううと抱きしめた。




父が帰ってきたのは夜が更けてからだった。私やロゼは父の帰りを食堂で待っていた。玄関で迎えた父は、疲れを滲ませながら「相手もなかなか手ごわいな」と笑った。賠償も婚約解消も、相手の抵抗とこちらの譲歩のいいところで妥協しなければならない。落としどころを求めて紛糾するものだ、と父は言う。ロゼが軽食でも、と勧めたが流石に疲労が勝ったのか、父は私の頭をひと撫ですると自分の寝室に向かった。




それから毎日話し合いに出かける父を見送り、数日が過ぎた。ついに明日から新学期だ。リュイはもちろん、バーニーもおそらく婚約解消が『正式』に進められていることは耳に入っているだろう。一度婚約破棄を宣告した相手に、やり返されるとは、どういう気分だろうか…。何か言われたら「どうだ、これが正式なやり方だ!」という顔のひとつでもできたらいいなと思っている。婚約者でなくなった自分は生まれて初めてだ。今までの自分は無駄だったわけじゃないと思うようにした。王妃教育で、立派に振舞う方法を教えてもらったのだからこれはこれで良かったのだ。


近い未来、もう試験で一番を取る必要はないし、好きに友達を作ることも許される日が来る。


「ソフィア嬢とも、仲良くしていいんだわ…」


私は目の前が広がってゆくような気がした。これまでの私の世界はとても狭かった。たくさんの制約・重たい肩書、そしてリュイ。


(リュイは…縛られたままなのよね…)


私はリュイの婚約者から外れれば、付随するたくさんの制約も無くなる。一方リュイは『私』という婚約者からは解放されるが、彼の持つ肩書やたくさんの義務からは逃れることができない。自分だけが解放されるという後ろめたさからだろうか、今なら少し理解できる気がした。せめて、結婚相手だけでも自分の望む相手をと願ったことが。


正直バーニーのどこがいいのかは全く分からないが、長い人生、リュイの傍にいる人はリュイの気に入った人であるといい。


私はとても久しぶりに、怒りや恨みなしにリュイのことを考えた。




『サレナは僕のお嫁さんだから、僕が守ってあげるからね』


その日の夜は、遠い記憶が夢になって現れた。暖かい日だまりのような夢だった。


お読みいただきありがとうございます!



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