アンサー?
人の良いアガトは私と話ができると喜んでお茶とお菓子を用意してくれた。紅茶にはフルーツがたっぷり浮かべられている。焼き菓子からは香ばしい香りがして、気分が急上昇した。
「で、お友達がどうかされたのですか?」
私に友達がいない(作ってはいけない)ことを知らないアガトは、ごく自然に話に乗ってくれた。よかった!事情を知らなくて!自分のことにしないなら幾分か話しやすい。
私はあくまで『友達』のこととして、アガトに相談した。相手の気持ちが分からなくてモヤモヤしていること。キスした理由はなんだったのか。口元にするってどういう意味なのか、等々。話すにつれて、アガトの表情が段々と固くなってきた。
一通り話し終わり、「どう思う?」と尋ねる。アガトはとても困惑していた。何拍か間を置き、何度も首を傾げて「うーん」と唸っている。やっぱりこれは難しい問題だったのかと、ドキドキしながら年長者の回答を待った。
「ううん、え、それってその。サr、お友達はあのそもそも、キスされたことはお嫌ではなかったのでしょうか」
物凄く聞きづらそうに、アガトは言った。私はその問いに対して真剣に考えた。嫌ではなかった…そういえば…前に膝に乗せられたときは幼いころからの条件反射もあって、すごく抵抗があったけれど。…んん?ヴァン君の行動に対して「どうして」、「なんで」という疑問を解くのを先行してしまっていたが、嫌かどうかと自分の気持ちを問われると…。
「い、嫌ではなかった…らしいわ…」
危ない危ない。友達の話なのだから、全部それっぽく言わないと…。アガトは私の答えを聞いて顔をぎゅっとさせた。どうしたのだろうか。再び、彼女は「言っていいものかしら…」と呟きながら思案している。私は堪え切れず、彼女に「言って!」と強く求めた。アガトは「お友達のお話ですよ?」と念を押した。
「お聞きしていると、『お友達』は、なんの気も無くキスされたのではないかと不安になっておいでのような気がいたします。だから理由が知りたいのかと…。そして大変申し上げにくいのですが…」
「い、言って!!」
「その、中途半端なところにされたのがちょっぴりご不満だったのではないかというのが、お話の中で窺えましたが…いかがでしょうか…?」
「え!?」
アガトはとんでもないことを言い出した。待て待て待て…。それって総合すると、「何の気も無いならキスしないでよ、するなら私のこと好きな上で然るべきところにキスしてほしい」ってこと!?
「…」
「サレナ様?…サレナ様?」
あまりに大胆かつ破廉恥な思考に、脳内活動は完全にストップした。無自覚に何てことを考えていたのかと、ものすごい羞恥に襲われた。まさか客観的に見るとそんな風だったなんて…。アガトが何か言っているが、全然耳に入ってこない。これは、ヴァン君よりも一度自分を見つめ直さないといけないぞ…。何とか気力で立ち上がり、「ありがとう、『友達』によく考えてねって言っておくわ…」と相談相手に告げた。
「あちゃー」
私はひとりで頭を抱えていた。何て相談をしてしまったのだ。自覚無しにえらいことを考えていたものだ。そしてなんと言っても相手が強敵すぎる。人間として。それに親戚ってどうなの???ヴァン君が私を大切にしてくれていることは分かっているけれど、私は彼にとってどういう人間なのだろう。いや、それよりも、彼は私にとってどういう人?友達?親戚のお兄ちゃん?それとも…。
「それにしても…この数か月でこんなに印象が変わるなんて…」
と、呟いたところで私の頭に浮かんでくるものがあった。叔父さんの家で気づきかけて消えてしまったもの。
(そういえば…ヴァン君が帰ってきたのって…)
私はヴァン君を探してうろうろしていた。
「た、たいへんだ…」
「どうされました?サレナ様?」
挙動不審になっている私を不自然に思ったのか、アガトに声をかけられた。ヴァン君はどこかと尋ねると、昼食をたっぷり食べた後外に出てから戻っていないらしい。どうしよう、何しに外に出てるんだろう…。
(まさかお父様や叔父さん達のところに…?)
数時間前まではヴァン君とどんな顔をして会ったらいいのかとビクビクしていたのに、今の私は一刻も早くヴァン君に会いたかった。情緒不安定のようだが、大事なことに気が付いてしまったら、居ても立ってもいられなくなった。
「あの…ヴァリエール様にお会いして大丈夫なんですか…?お気持ちの整理は…」
「ついてないけどそれよりも大事なことが!」
私はそう言ってヴァン君を探しに外に飛び出した。アガトが後ろから何か叫んでいるが、走り出した足は止まらなかった。
(どうしよう。ヴァン君が王都に戻ってきたのって、私が婚約破棄されて、お父様が王都を離れてしまったから呼ばれたと言っていたよね…。じゃあ、婚約破棄の手続きが決まったら、またどこかに行ってしまうのだろうか。締結までまだ時間はかかるだろうけれど…)
ヴァン君がどこかに行ってしまう。考えるだけで泣きたくなった。彼は自由な人だ。それに自由でいて欲しい。けれど…もうこれから学園でお昼を一緒に過ごしたり、教室で彼の動向にハラハラしたり、そういう時間が無くなってしまうと思うと…。
「ヴァンくーーん!」
私は彼の愛称を叫びながら、人のいない坂道を駆け下りた。
「じゃあ、ヴァリエール。ご苦労だったな」
「ああ」
「サレナには…」
「俺から言う」
ヴァリエールは不愛想に答えると、早々に席を立ち、後ろ手にゆるく手を振りながら部屋を出た。大通りに出ると、色んな匂いが混ざり合っていた。異国の情緒が混ざり合った、王都にはない独特の空気。ヴァリエールには好ましい雰囲気だった。しかし、雑踏の中に気になるものを認めると、途端に眉間に皺を寄せた。
悠然とこちらに向かって歩いてくる男の人。赤くて細い髪が向かい風を受けてふわふわとたなびいて、鮮烈な存在感を放っていた。周りが振り向くのも気にせずに、私の方へ真っ直ぐやってくる。ただし、いかめしい顔で。あれだ、性懲りもなくまた一人で出歩いているからだ。予想通り、彼が私の目の前までたどり着くと、私は開口一番「お前な」とお叱りを受けた。私はしょんぼりと謝り、ヴァン君を探していたことを告げた。
「そんなの屋敷で待っていたらいいだろうが」
「さ、左様ですよね…」
だって、本当に帰ってくるのか心配だったのだ。でも彼の口ぶりからすると、帰ってくる気だったと分かり一安心する。どこに行っていたのかと尋ねると、やっぱり父と叔父さん達のところに行っていたとのことだった。何の話か「聞く・聞かない」を逡巡している間に、ヴァン君はさらっと「お役御免を言い渡された」と明らかにした。
「お、お役御免!!!」
ガーン。既に私の「お世話係」は終了宣言がされてしまった。そうしたらこれからは本当にヴァン君の自由意思で行動するだろう。だめだ!あんな息苦しい学園に戻るという選択の優先順位ってものすごく低そう!
「おい、どうした」
急に立ち止まった私に、ヴァン君が声をかける。やれやれという顔で、彼は私の手をとった。
「行くぞ」
「…ハイ」
(………さ、最近普通に繋いで来るよね…)
「……」
いかん!照れている場合じゃない!今後の予定を聞かなくては…!
私は勇気を振り絞って、「これからどうするつもりなの?」と訊いてみた。ヴァン君は「家に帰るが」と言いながら、「何言ってるんだ、こいつ」という顔をした。私はガクッとよろけた。ググ、と顔を上げて気を取り直し、そういう直近の予定ではなく、お役御免になった後のヴァン君の心境が知りたいという旨をきちんと告げた。
彼の一挙一動にゴリゴリと精神を削られている私をよそに、再び彼からは「は?」という反応が返ってきた。
「だから!ヴァン君は自由になったわけだけど、王都に戻るのか、また留学に出ちゃうのか、どうするのかって聞いているの!」
「自由になったと言われてもな。今回だって別にあいつらに頼まれたから帰ってきたわけじゃない。お前が婚約破棄になると聞いたから戻ってきただけだ」
今度は私が「は?」という顔をする番だった。
「…もっと分かっているかと思ったが…」
ヴァン君は私の反応がお気に召さなかった様子で、ものすごく顔をしかめた。ぐいと繋いでいる手が引っ張られ、ヴァン君の隣にぴったりと並ぶ。正面から差してくる夕陽がとても眩しかった。ヴァン君の前髪は向かい風を受けてふわりと立ち上がり、顔が露わになっていた。切れ長の目が私を捉えている。
「俺は人のものに興味はない」
「…………」
私はあんぐりと口を開けた。
「やっと退屈から解放されるな」
ヴァン君は私の呆けた顔を見てニヤリと笑うと、ギュ、と手を握り直した。ズンズンと歩き進める彼の背中を必死に追いかける。それは幼いころとは違って、とても大きくなっていた。
私は体中が痺れてしまったような気がした。
『お前がコールデンに『婚約破棄』されたと聞いてな。心配で心配で飛びかえってきたわけだ』
数か月前の彼の言葉が蘇る。ヴァン君は最初から自分の意志で動いていたのだ、と今になってやっと分かったのだった。私は繋いでいる手に少しだけ力を込めた。
(ありがとう)
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