イライラとモヤモヤ
私が部屋に戻ったのは夕陽が赤く染まってからだった。今までどうしていたかというと、それはもうこってりぎっとり叱られていたのだ。父から始まり、叔父さん×4。エクストラでアガトとユリアン。私はもう干からびたモヤシのようにへろへろだった。相応のことをした自覚はあるのでそれぞれに大人しく叱られた。
(もうだめ…)
ふらふらとベッドに向かい、崩れた。ぼふっと音を立てて布団が沈んだ。ああ、帰ってきた。どうしてか今やっと安心できた気がする。攫われたときはどうしようかと思ったし、親方達が自ら降伏してしまったときも生きた心地がしなかった。
夕陽が部屋に入り込み、あらゆる物の影をくっきりとさせる。床に伸びる影を見つけて初めて、私は部屋に自分一人ではないことに気が付いた。そう…まだあなたがいらっしゃいますよね…。私はまだ叱られていない人間が残っていたことを思い出した。最後の力を振り絞って私はベッドに正座した。
「すみませんでした」
額をベッドに付けて謝る。何というか、今回も結局ヴァン君のおかげで助かった。私の思い描いた結果とは違ったけれど、一番良いところに落ち着いた。まさか船に爆薬を仕掛けているとは思わなかったが。手伝わされたらしいユリアンがヴァン君に泣きながら怒っていたので、あんなに爆発するとは思っていなかったか、爆薬と聞かされてなかったかのどちらかだと思う。そんな無茶をしていたとしても、とにかくヴァン君には謝っても謝り切れないし、感謝してもし切れない。
窓際にジッと座っていたヴァン君はのそりと身を起こすと、私の土下座するベッドまでやってきて、ギシッと音を立てて腰かけた。
(さあ、どうぞいくらでも叱ってください!心の準備はできています!)
流石に7人に怒られた後では覚悟もすんなり決まる。雷か、なじりか、拳骨か、もっとひどい目かと色々想定していると、ヴァン君は私の頭をガシガシと撫でた。
「?」
私は顔を上げた。髪がぼさついているのが分かった。ヴァン君はなお私の頭を撫で続ける。何も言わないヴァン君に、違和感を覚える。一番、大変なことを任せてしまったのに。彼の手はひたすらに優しい。私と目が合うと、ヴァン君はゆっくりとほほ笑んだ。
「―――…」
―――――お、
怒ってる!!!!尋常じゃないくらいに!!!
私はピシリと固まった。顔は笑っているが、これは無茶苦茶怒っている。どこがというのではなく、自分の本能が警鐘を鳴らしていた。部屋の温度は高いはずなのに、どうしてか急に寒くなった。鳥肌が立ち、お腹の底が震えている。
「俺はなあ、サレナ」
やっとヴァン君が口を開いた。じっとりと、言い聞かせるような話し方だった。蛇に睨まれた蛙どころか、私はもっと弱い生き物になったような気分だった。怖い。今日の中で一番怖い。
「お前が危険なことをしたから怒っているのではない」
え、違うの?私は目が点になった。怒られる理由としてはそれしかないと思っていたのに。そうなると、何に怒っているのか皆目見当がつかない。余計に不安と恐怖が増す。
「さっき、おっさん達が話していたことを教えてやろう」
(お、お父様たちが…?)
「例の商会と高官の責任を、国に訴えることにしたそうだ」
「――そ、それで?」
私の胸はざわざわと騒ぎ出し、つい逸る気持ちで続きを尋ねてしまった。
「与えられた不利益に見合う多額の損害賠償を請求」
「…」
「危険な目に遭わされた故、娘をやることを拒否することにした、と」
「………っしゃああ!!!」
私は思わずガッツポーズをした。が、ヴァン君は私の頭を片手でみしりと掴んだ。私は自分の失態に、「まずい」と冷や汗が垂れる。頭を掴むヴァン君の手に力が込められた。「いたたたたた!」と本気の声を上げると、ヴァン君は不機嫌MAXの顔を近づけてきた。
「お前…こうなることを狙ったな?」
ぎくり。私の計画が全て余すところなくバレた。意識していないのに目が泳いでしまう。そんな私をヴァン君は逃がさない。ガシッと両手で顔を掴まれた。嫌でも彼と目が合う。ギラギラと、夕陽を映す灰色の目が燃えているかのように光っていた。
「―す、すみませんでした!本当に自分勝手で利己的でした!でも考えついたのは商会と高官がNOを出したときなんです!それまでは他所に売られたくないの一心でした!」
これは紛れもなく事実だ。両方に相手にされなかったからこそ、ひらめいた。「あれ?これで私の家が五千万イールを出して私を救出したら、チャンスはあっても助けてくれなかった商会と高官の責任を国に問えるのでは?人の領地の治安を乱した挙句、領主の娘が誘拐される事態にまでなったって結構なことだよね?それに身代金だって賠償請求しちゃえば家が払わなくてもいいのでは?」と。それからはずっと「やった感」と「後ろめたさ」との闘いだったのだが。
うまくいけば街の問題も、自分の婚約の問題もこれで一挙解決となるが、うまくいくためには、身代金受け渡しから私の解放までが必要な条件となる。ランジット家が『私の誘拐』を許すはずがなかったので、親方たちをどうにか逃がさなければならないと思っていた。『学年一位』の肩書を思い出して、必死に計画を練った結果、果たして思った通りではないが、うまくいったわけである。
「ベストな結果になったのは、ひとえにヴァン君のおかげです」
心からの感謝の言葉に、ヴァン君の顔は見たことも無いくらい歪んだ。余計に気に障ってしまったらしい。あまりの迫力に気圧されてしまう。
「お前は、俺も家も利用したわけだ…結果として、だが」
私はやっと気が付いた。彼は利用されたことを怒っているのだ。当たり前だ。利用されていい気分な人間などいるわけがない。そんなことに気が付かないとは。こんなに自分が自己中心的な人間だったなんて…。自己嫌悪に襲われながら「すみませんでした」ともう一度心を込めて謝罪した。
するとヴァン君は「はああああああ」と大げさにため息をつき、苦々しく呟いた。
「……俺が、お前の考えが読めんとは。腹が立つ」
「え?」
「チッ!!」ときつい舌打ちをして、ヴァン君は私の顔をぎゅ、と潰した。
(…?わたしの?かんがえが?よめなかったから?おこっているの?え?そういうこと??)
「あの…私に怒ってるんだよね…?」
叱られようとしていた身としては、何だか矛先がちょっと違うような状況にどうしていいか分からない。一応確認した。私はどういうスタンスで今顔をミシミシ掴まれていればいいのだ。
ヴァン君は明らかに困っている私をひと睨みすると、不機嫌なまま私の頭を抱えるように抱き込んだ。ますます意図が分からなくて私はどうすることもできず、大人しくされるがままになった。ヴァン君は私の肩に顎を乗せると、そのまま低い声で話し出した。吐息が耳にかかってぞわぞわした。
「危険で無鉄砲で勝手なことをしたことは許さん。次はない」
「…はい」
そして。一呼吸おくと、酷く優しい声で、ヴァン君は言った。
「……無事でよかった」
「……」
大きな手が、後頭部をやさしく撫でている。
どうしてだろう。今まで色んな人に散々叱られたけれど、申し訳ないという気持ちだけでなく、こんなにも胸が苦しくなるなんて。喉がつっかえて、何も言うことができない。鼻の奥がツンとして、唇を結んだ。こらえきれずに自然と零れてしまった涙は、ヴァン君の袖を濡らした。「ありがとう」と何とか声を絞り出したが、掠れるような小さい音しか出なかった。ヴァン君は私の頭をぽんぽんと触ると、顔を私の肩から離した。
そのまま、少し顔をずらしたかと思ったら、ヴァン君は私の口の端に自身の唇を寄せた。口の左端に、あたたかく柔らかいものが押し当てられた。それは一瞬だったけれど、すべての動作がとてもゆっくりに見えた。
(…んん?)
目をぱちぱちとさせる私にお構いなく、ヴァン君はごくごく自然な様子でベッドから降り、座ったままの私に手を伸ばした。
「飯だ。行くぞ」
ヴァン君はひょいと私の手を掴むと、ベッドから引き起こした。
??
(今の行為は…???)
私は頭に大量の「?」を生産しながら手を引かれるまま階段を下りた。
夕食中も、湯あみ中もずっと脳内でさっきの感覚と映像が繰り返された。周りは私のぼんやりした様子を、疲弊しているからだと思ったようだったが、ひたすら混乱していただけである。
………。
「き、キスじゃん!!!!!!!」
眠るために再びベッドに横になってから、私はやっとツッコめるところまで回復した。追って羞恥がやってくる。かあああと熱くなる顔。このどうしたらいいか分からない感情を発散させるように、ベッドでじたばたと暴れまわった。布団がぐちゃぐちゃになった頃、私はさっき「おやすみ」と挨拶をするまで、ヴァン君の態度が普段と変わりなかったことを思い出した。
彼は私の考えが分からなかったと腹を立てていたが、今は私が彼のことが分からなくてモヤモヤしている。なぜあのようなことをしたのか。私はどう受け止めたらいいのか。大体どうして私のことが分からなくてあんなに怒るのか。
「ね、眠れん………」
静かな夜がゆっくりと更けてゆき、私は一睡もできないまま朝を迎えたのだった。
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