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長い夜

私はジルに、なぜこのような犯行に至ったのかを明確に記し、バルベルデス商会と国の駐屯所にも手紙を送ったが、相手にされなかったという旨を丁寧にしたためさせた。ジルは脅迫の手紙を握りしめてアガトを探しに向かった。親分が眉を顰めて腕組みをしていた。私に何か聞きたそうに首を捻っている。どうしたのかと問うと、親方はぼりぼりと頭を掻いた。


「いや、あんな本気の身代金要求を書かなくても良かったんじゃねえのか?もうさっきの兄さんにはばらしたんだ。少しくらい安心させるようなことでも書いておけばいいじゃねえか」


私はぶんぶんと頭を横に振った。ランジットの皆には本気で誘拐されたと思っていてもらわなくてはならない。これが狂言誘拐だと知りながら、バルベルデス商会や国の機関を糾弾したとバレてしまっては元も子もないし、後から絶対に非を問われる。


「優秀なひとりでいいの。彼はきっとうまく動いてくれるから。私たちが望む結果は、ランジットのためにもなるのですもの」


親方はドカッと私の隣に腰を下ろした。月がほのかに照らす街を共に眺める。安心はしていられない。ここが見つかってしまうことだってあるのだ。私たちは、逃げおおせなくてはならない。ここは旧市街の外れ。いくつかある古くて住まわれていない家のひとつに私たちは隠れている。古い家は屋根裏や床下に敵から逃れるための空間を備えていて、いざとなったら私もそこに隠れるつもりだ。


「バルベルデスや高官が手紙に応じたときはどうなってたんだ?」


おもむろに親方は質問した。もちろんその可能性もあった。けれど、私は攫われたこと自体の根本的な原因追及を進めるつもりだったので、どこと身代金のやり取りがされようと、後の結果は同じだったと思う。誰がお金を出すか、というだけの違いだ。ということを親方に説明すると、気のいい彼は「お前さんのとこの家からは貰っちゃいけねえな…」と呟いた。


「…うちが払うのではないのだから、いいのよ」


聞こえるか、聞こえないかの声でぽつりと零した。親方は聞こえなかったのか、変わらず苦悶の表情で、街の揺れる灯を見つめていた。私の心はズキンと痛んだ。


(私だって、善意だけでやっているのではない…とっても利己的で、自分勝手な…)


まだ、自分の胸の中だけにしまってある目的がある。親方には関係のないことだ、と言い聞かせ、私はそのまま口を閉ざして長い夜に隠れた。





案の定、ランジット家は大騒動だった。当主の兄弟たちは私兵を集めて街中をひっくり返す勢いだった。アガトが泣きながら「サレナ様の命がかかってるんですよ!!」と止めなければ街は滅茶苦茶になっていただろう。スジェットの目前に突きつけられた脅迫文には『自分たちを探そうとすれば、娘の命は無い』と書かれている。スジェットは力いっぱい机を殴りつけた。ミシッと太い音を立て、木の机は割れた。


「許さん…犯人はもちろん、サレナを救うチャンスを逃し、危険な目に遭う可能性を見逃したあいつらも…」


サレナの父、フォーヴの屋敷に集まった一同は怒りで震えていた。



一方、バルベルデス商会にはフォーヴと兄のジェイン、ヴァリエールが赴いていた。手紙に書いてある事実を追求するためだ。バルベルデス商会の幹部たち、会長は何事かと肝をつぶした。表に出さないでいるが、怒り狂っている領主たちを片手で制し、ヴァリエールは彼らよりも一歩前に出ると、一番に口を開いた。


「突然申し訳ない。ここにうちの者が捕らわれていると聞いてな」


いきなりの罪を問われるような物言いに、商会の幹部たちは「な、何のことだ!」と仰天した。


「捕らわれているなんてとんだ濡れ衣です!お嬢さんは…」


ヴァリエールの目が三日月型に歪んだ。口を滑らせた幹部は蒼白になって口を覆った。フォーヴとジェインは一歩前に出た。


「一言も、娘とは言っていないが?」


「あ…」


「犯人から接触があったな?」


「いや、その…!まさか…!」


じりじりと後ろに下がる商人たちを追い詰めるように領主たちは前に進んでゆく。どんな言い訳も彼らには通じなかった。フォーヴとジェインは温度の無い瞳で商人たちを見下ろし、サレナの救助のチャンスが数刻遅れになっていること、誘拐という大事件の可能性を放置した罪を滔々と糾明した。数時間前、この部屋で嘲笑っていた自分達に知らせてやりたいと、商人たちは激しく後悔した。いくら積んでもいいから、ランジットの娘を取り戻せ、と。


ヴァリエールは豪華な執務机の上に大きな音を立てて飛び乗った。吸い込まれるような恐怖を与える、そこの知れない灰色の瞳がギラリと光った。さも楽しい話でもするかのようにヴァリエールは笑みを浮かべた。幹部の一人から「ひっ」という短い悲鳴が零れた。ジェインは悲鳴を上げた男を冷たい目で見据え、ランジットの港に入る男が情けない、と思った。


「誘拐犯はこう説明している。『バルベルデス商会の一言がきっかけで商売が立ち行かなくなり、困窮の果てに犯行に及んだ』と」


幹部たちの目が泳いだ。それぞれ、どれだ、誰だと記憶を辿っているようだった。会長だけは、勇ましくも「そんなの言いがかりだ、それこそうちの商売を邪魔しようとする輩の妄言だ」と声を張り上げたが、フォーヴの射殺すような視線は一層鋭くなるばかりだった。ジェインは懐から、近頃潰れた業者のリストと業者が扱っていた商品をその後どこが取引するようになったのかを追った調査書を取り出した。ヴァリエールはにやにやと領主たちの追及を見守った。


どれほど弁明しても無理だろう。力では無く理詰めで潰しにかかる連中だ。言い逃れしても逃げ切れないほどの調査事例も山ほど揃っている。こいつらはきっかけを待っていたにすぎない。加えてサレナの誘拐だ。万が一に備えて、最初にカマをかけたがその必要もなかったかもしれない。ヴァリエールは早々に飽き、一人で部屋からするりと出た。


夜空には月が浮かんでいた。波に光が反射して、黒い海に白い波が揺れる。



自分に腕を折れと言ったサレナを思い出した。べそべそ泣いていた子供の頃から随分強い目をするようになったと考えたが…割と最近も半泣きだったなと思い直す。何かを覚悟したかのような顔だった。領地の民を思っての必死さだろうか。にも拘わらず、誘拐という形を敢行した意図が図りかねる。ヴァリエールはサレナの考えが珍しく読めないことに苛立った。


(思い切ったことをしている割には、詰めが甘い。ここまで怒り狂ったランジットの領主兄弟が誘拐犯を無罪放免で逃がすわけがない)


彼女が何を企んでいるのかは分からないが、望むようにしてやりたい。危険を冒して自分だけと接触を図ったのには意味がある。ヴァリエールは首を鳴らすと、サレナの期待に応えるため、次の仕事にとりかかった。





ヴァリエールはその場で裁判まで始めてしまいそうだったフォーヴとジェインをひとまず回収し、抜け殻状態になったバルベルデス商会の人間たちを私兵に引き渡すと、次の目的地に向かった。駐屯所は既に灯が消えており、目当ての高官は自分の宿舎に戻っていたが、ヴァリエールたちは構わず乗り込んだ。むしろ寝ているなんて許さないという勢いだった。バルベルデス商会のときと同じように、ヴァリエールがカマをかけ、フォーヴとジェインが糾弾した。


高官はバルベルデス商会から、取引の占有と商品の独占に目を瞑るようにと、いくらかの金を受け取っていた。フォーヴたちは怯える高官を壁際に追い詰め自供をさせ、ヴァリエールは部屋を漁り金銭の受け渡しの帳簿を見つけた。きっかけと証拠を手にしている彼らには、簡単な仕事だった。


高官も私兵に引き渡すころには、すっかり深夜になっていた。商会も高官も、今後さらに詳しく取り調べをして相応の沙汰を出すことになった。



娘の安否を心配するフォーヴたちは屋敷に戻ると、今度は兄弟たちと誘拐犯との交渉について議論し始めた。どうやら寝ないつもりらしい。ヴァリエールは部屋の隅に身を置き、彼らの話し合いに耳を傾けた。今回ばかりはユリアンも動転して役に立たない。アガトと互いに慰め合いながら、夜食やら飲み物やらを用意する手伝いに回っている。



ヴァリエールは、不安そうにちょろちょろと動き回るユリアンを手で呼んだ。素直に「なんですか」と寄ってくる少年の首を掴まえ、耳元でこそこそと話をした。不思議そうに話を聞いていた少年の顔が段々と強張った。最終的には暴れて「ぼ、僕にそんなことを!?」とヴァリエールから距離を取ろうとしたが叶わなかった。


「サレナがどうなってもいいのか」とヴァリエールが低く脅すと、瞬時にユリアンはくてんと元気がなくなった。ヴァリエールはにやりと笑うと、ユリアンを連れて領主たちに「外の様子を見てくる」と言って屋敷を出た。全く聞いていない領主たちの代わりに、アガトが「目立たないように!!」と心配そうな顔で返事をした。



緩く結んだ髪を揺らしながら走るヴァリエールと必死に追いかけるユリアン。二つの影は夜の街を走った。


お読みいただきありがとうございます!


そろそろ王都に帰ります。たぶん。

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