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契約内容

屋敷に戻ると、メイドたちは丁度夕食の時間だったようで、慌てた様子で出迎えられた。私の酷い顔を見て、若いメイドたちは狼狽えた。遅れてやってきた一番古株のメイドのロゼは、慌てた様子で出てくると、駆け寄って大きくて柔らかな体で私を抱きしめてくれた。私が何も言わないから、彼女は何も聞かない。温かい腕の中で、私は涙を滲ませた。


「お夕食はお済みですか。今日は旦那様もお外ですので、大したものは用意しておりませんが」


「ありがとう…ごめんなさい、今日はいいわ。もう部屋に戻ります」


「…分かりました。何かあれば呼んでください」


項垂れるように頷き、私は二階にある自分の部屋に戻った。リュイに向かって静かに啖呵を切ったはいいものの、あれでは自分から婚約破棄を肯定したようなものだ。あーあ、どうしたら良かったのか。あそこで「嫌だ」なんて言ったら、袖にされた女が縋るみたいでどうにも嫌だったし、何か言おうものなら次はきっと「そんなに王妃になりたいか」という話になっていただろう。リュイの隣にいた女にそっくりそのまま言ってやりたいが。


「くそむかつく……………………………えええええん!酷い!酷すぎる。あれはあんまりじゃない???普通考えても実行する?公衆の面前で、隣に女を侍らせて三行半突きつけるなんて。許さん…本当に許さん。あの野郎バーニーだって絶対何か入れ知恵してるに違いないし。…信じられない人として!!!」


部屋で布団を被りゴロンゴロンとのたうち回りながら怒ったり嘆いたりしていると、馬車の音が聞こえてきた。…お父様だ。今日は会食で遅くなるはずなのに、早過ぎる。


(まずい、もう耳に入ったかしら)


サッと血の気が引くのが分かった。あんなに大勢が見ていたのだ。がんばって火消しをしても追いつくわけがない。どうしようどうしよう。ずっと幼いころから「この婚約はとても大事なものなんだよ」と、何度父に言われたか分からない。期待していた娘の結婚が破談になりそうだと知ったら何て思うだろう。そう考えている間にも階段をドタバタと上がってくる音が聞こえてきた。もうダメだ。私はぎゅっと布団を握りしめ、ノックを待った。


バン!!!!!

「サレナ!!!!どういうことだ!!!」


ノックなんて無かった。いきなり入ってきた。ぎぎぎ、と布団から少し顔を出す。目が血走っている父と目が合った。普通に怖くて泣きそうになる。


「……」

「……ぐすっ」



耐え切れずに鼻をすすった。





父はゼエハアと荒れた息を何とか整えると、布団にくるまる私の前に座った。


「サレナ。出てきなさい」


「…」


もそもそと布団から這い出る。父はぐしゃぐしゃになった私の顔を見て、酷く悲しそうにした。私はもう相手が怒れないくらいにしょんぼりしているしか防御の手は無い。父と第二ラウンドする元気も気力も残ってはいないのだ。父は項垂れる私を正面に座らせた。完璧に尋問スタイルである。父は固い声で私に尋ねた。


「サレナ。リュイ君が他の女性を選んだというのは本当か」


「…」(こくり)


「パーティの最中に言われたんだな?」


「…?」(こくり)


「大勢の目の前で」


「…はい」


ダン、と父は床を拳で殴った。私の体は驚きでびくっと跳ねた。予想だにしない父の行動に唖然としてしまう。


「コールデン…許さんぞ…」


父は聞いたことのないくらい低い声で呟いた。


「で。相手は?センシール家のとこの子か?」


「は、はい…」


私は震える声で答えた。


(やっぱり知っていたんだ。色々と問題になると思ったから黙っていたけれど…そりゃ噂になってたよね…今までどう思っていたのだろう)


父は「はああああ」と怒気と呆れを含んだ大きなため息をついた。私はというと、さっきまで怒りと悲しみで我を失っていたが、今や見たことのない父の様子に圧倒されている。しかしどうやら私に対して怒っているわけではないということが窺えた。そうなると口を開く勇気が出る。私は良心の呵責に耐えかねて、事の顛末をおずおずと白状した。


「あ、あの、お父様…私、解消するつもりなら正式に書面で出せって言ってしまいました…」


「聞いた。よく耐えたな。流石ランジット家の娘だ」


ガシガシと、父は私の頭を撫でた。


「…………」


「…ご、ごめんな、さい…!大事な…結婚…」


「違う。それはいい。悪かったな」


悪かったと繰り返す父に、私の目からドンドン涙が溢れてきた。嗚咽を堪えながら、頭をブンブンと左右に振る。


「いいえ、わ、私が至らなかったんです。もっと、うまくやるべきだったのに、自分の感情を優先してしまった…」


バーニーが現れてから、ずっと怒りで隠していた自責の念を私はやっと吐き出すことができた。そう言って泣く私の頭を父はずっと労わるように撫でてくれた。


「子供のころからの付き合いだ。辛かったろう」


父は何度も私に謝り、私も父に謝り続けた。




私がようやく落ち着いたころ、私のお腹がグーと鳴り、父はフッと笑った。父はメイドに軽く食事を用意するよう命じた。自身と私の二人分だ。父も食事をとらずに家に飛んできたのだと分かった。



ロゼの用意してくれたスープとパン、蒸し鶏の入ったサラダを食べ、食後の紅茶を飲んで一息つくと、私は父に尋ねた。


「さっき聞きそびれてしまったのですが、破談になってしまったら、この家は…」


「お前が分別がつく年になったら話そうと思っていたら、どんどん遅くなってしまったな。もうこんなに大きくなったというのに」


父は苦笑しながら続けた。


「そもそも、この結婚は先代の王からうちに申し出があったのが始まりだ。次生まれてくる子がそれぞれ男と女だった時には婚姻を結ばせたいと。そう言われてから都合よくすぐにお前たちが生まれてきた」


王の方からというのは興味深い。歴史はあるけれど、他を差し置き一介の伯爵家のうちにどうして?なぜ?と頭に疑問符を次々浮かべていると、父に「まあそう急くな」と宥められた。


「私たちは今、ずっとこの王都に居を構えているが、実際の私たちの領地はどこだ?」


そこで私は「あ」と思わずもらした。「ピンときたな」と父は顔を緩ませ、解説を続ける。


「ランジット領は国の沿岸部を占めている。今我が国の交易を担う重要拠点だ。昔は陸路が発達していたけれど、船の技術が進歩してからは海の玄関が賑わっている。我が家はこの交易業でかなり発展したわけだ。というわけで、商業の要として我が領地が重宝されているのがまずひとつ。そして、沿岸部には違う顔もある」


「外の敵からの標的になる…」


「その通り。だから沿岸部にはいつも見張りの兵を置いている。それも今はランジット家が担っている。これが二つ目」


「うちの領地は、国からすると商業の一大拠点でもあるし、敵の侵入口でもあるから、絶対に守っておきたいところなのですね」


「そう、それに…」


「逆に、もしもランジット家が海の向こうの敵と手を組み、国を裏切ったら…かなりの痛手になってしまう。国は海側が封鎖されてしまうから」


父は驚いたように「よくできた」と笑った。


「ランジット家からしても、攻め入られたときや商売をよりやりやすくするためには、国の後ろ盾があると有利だと判断して、この縁談を受け入れたということだ。一番強い契約は血を結ぶことだから」


私は意外に大きな政略婚を担おうとしていたことに驚いた。これは国からしたら大事な取引だったに違いない。それをあのひとたちは…。婚約者(仮)とバーニーはこの事情を知ってか知らずか、大変なことをしでかしたものだ。知っていてやったのであれば本当に救いようがないのでは…。


「…じゃあこのまま破談となるとお互いに困ってしまうのでは」


「うーん。家からすれば、別に今まで国に背くようなことはしてきていないのだから、正直な話、痛いことはない。国の威を借りないでもうまくやっていける。それに、今回はあちらに非がある。むしろひとつ貸しができた。もし攻め入られたときには今回のことを引き合いに出させてもらう」


なるほど貴族ながら交易で財を成した一族の長だけある。損益勘定がしっかりしている。我が父ながら私は改めて感心した。


「わかりました。あの、それで私は解消されるのを待つ身なのでしょうか。こうなったからにはこちらから差し戻すということは…」


父の話を聞いてなおさら、このまま泣き寝入りするのはおかしな話だという気持ちが強くなった。王家に貸しを一つというのはちょっと気持ちが良いけれど。それにこのまま微妙な感じにずるずる結婚へ…というのはあまり歓迎できない。いっそのこと本当に婚約解消できるなら…。何せ私自身はリュイに捨てられてまで彼に付いていくほどの情熱は残っていないし、『王妃』という立場に執着も無い。


「うん…そうだな…こちらから断りを入れたとして…」


(計算している…)


父が長考に入っているのを固唾を飲んでジッと見ていると、我が家の玄関が騒がしくなった。嫌な予感を感じつつ、どうしたのかと思っていると、メイドが一人部屋に入って来た。


「旦那様」


「どうした」


「王様の使いの方がお見えです」


「通しなさい」


私はげんなりして、父に向って「私は部屋に戻っていいですか」という視線を送ったが、「駄目」という否定の言葉と共に素敵な笑顔が返ってきた。


本当に!今日という日は!!!


お読みいただきありがとうございます!

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