進まぬ会議
アガトの書いてくれた通り、ヴァン君に手を引かれながら街を歩き、私たちはスジェット伯父さんの屋敷に着いた。ヴァン君はくるりと周りに注意を配ると私の手を放す。私は何かを気にするヴァン君を不思議に思って「どうしたの」と尋ねた。ヴァン君は軽く首を傾けると「いや」と言うだけで、教えてはくれなかった。
黄色とオレンジ、焼けたアイボリー色のレンガが敷き詰められた前庭を進む。庭側に面した大きなガラス戸は居間に備えられたものらしい。暑いのか、土地柄オープンなせいなのか、ガラス戸は開け放たれていて、中の様子がよく見えた。なめらかな黒髪を後ろで一つに束ねた伯父さんが私たちの来訪に気が付つき、「来たぞ」と中の人々に声をかけた。すると、とても大きな声で「開いてるから入って来い!」と聞こえてきた。恐らく声の主はスジェット伯父さんだろう。私とヴァン君は顔を見合わせて玄関の方へと進み、ドアのノブを引いた。「お邪魔します」とおずおずと入ると、中からバタバタと誰かが走ってきた。
「ちょっと!!ちゃんと出迎えてあげなさいよ!!!」
スジェット伯父さんの奥さんのエレナ伯母さんだった。相変わらずスタイルが良い。非常に女性らしさが目立つ体つきだ。「ごめんねえ、今メイドが外に出てて。やだあもう!久しぶりだわ!!さあさあ上がって頂戴!!」とパッと私たちに向ける笑顔は化粧っ気が無く、良く日に焼けていたが、シミひとつなく、顔の造りの美しさが輝いていた。
「お久しぶりです、伯母さん」
「ほんとねえ、いつ振りかしら。ヴァンも男前になったわね!」
「……」
伯母さんに案内されながら居間に到着すると、そこには父の兄弟が全員揃っていた。その他には見慣れない少年が一人。皆部屋の中心に向かって座っている。
私たちに向かって来い来いと手を振っているのがスジェット伯父さん。兄弟の一番上で、非常に筋肉質な体に加えて陽気で豪快な性格、砕けた言葉遣い…言われなくては一見貴族に見えない。私的な場ではそれこそ漁師と並べても見分けがつかないような人だ。スジェット伯父さんは私たちの頭をガシガシ撫で、「よく来た!!!」とにっかり笑った。
籐で編んだ椅子に座って柔らかな笑みを向けてくれるのが二番目のジェイン伯父さん。さっき私たちに気が付いてくれた人だ。スジェット伯父さんと違い、大人しい人で、この地にいながら肌の白さを保っている。きっと机仕事が多いのだろう。ランジットの経済をうまく回せているのは伯父さんの力が大きい。私はジェイン伯父さんに向かって頭を下げた。伯父さんも、会釈を返してくれる。
すると横から「大きくなったな!!」とドスッと抱き着かれた。そして犬か猫のようによしよしと撫でられる。ふわふわした髪が顔に当たりとってもくすぐったい。アガトの雇い主のカリム叔父さんだ。隣に居たヴァン君が叔父さんをべりっと引きはがしてくれた。すると叔父さんはヴァン君にもよしよしとまとわりつく。ヴァン君は一瞬物凄く嫌そうな顔をして叔父さんを自力で遠のけた。ヴァン君の冷たい対応に口をとがらせているが、何せいい年をしたオジサンなので、特にかわいくも無く、私は苦笑いをした。
「あのさあ、小さいころならまだしも、今やったら犯罪だよ」
「俺にとってはずっとかわいい姪なんだよ!」
「悪いねサレナ。大きくなったなあ。それにとてもきれいになった」
「ありがとうございます、バージェル叔父さん!」
ニコニコと嬉しい言葉をくれたのは、末っ子のバージェル叔父さん。ヴァン君にも「やあ、いつのまにそんなに背が伸びたんだ」と気さくに声をかけた。
「ユリアン、おいで」
叔父さんに「ユリアン」と呼ばれた少年は、トコトコと私たちの方にやってきた。私は「あれ?」と記憶を辿る。確か、昔に会ったことが…。私は目の前に立つ青い目をした、見目麗しい少年をしげしげと見つめた。周りに何かキラキラと飛んでいるかのような眩さだ。
「ええ!大きくなって!!」
今度は私が成長を驚く番だった。数年前に会ったときはまだ私の半分くらいしか背がなかったのに!舌っ足らずに「さえな(サレナ)ちゃん」と呼ばれ、天使のような可愛さに悶えていた記憶が蘇る。しかし、目の前の美少年は大人びた笑みで「またお会いできて嬉しいです、サレナちゃん」と立派に挨拶をしてくる。幼児からの変身はあまりに振れ幅が大きかった。
「ヴァリエールさんですね、初めまして」
「…ああ」
ユリアンは礼儀正しく、ヴァン君にもぺこりと頭を下げる。ヴァン君は相変わらずの素っ気なさだった。もう!
一通り挨拶が終わると、私たちも座るところがもらえた。今はどういう話をしていたのだろう。そしてどうして話し合いの席にユリアンまで連れてこられているのだろう。雰囲気からして、私たちと挨拶をするためだけに来ているのではなさそうだった。彼は慣れた様子でバージェル叔父さんの隣に座っている。私はそわそわと状況を見守った。寡黙な二番目の伯父が口を開いた。
「では…どうする?引き続き先の領地の問題について続けるか?それとも、サレナが来たことだし、コールデンとの話にするか?」
(領地の問題?)
私は「何か知ってる?」と目でヴァン君に問いかけたが、彼も聞いていないらしく、わずかに首を振った。
「お父様、領地の問題って?何か起きたの?」
私は隣に座る父に尋ねた。父は困ったように眉を上げ、「ちょっとな、交易の市場が荒れていて、領地の治安が少し乱れている」と手短に教えてくれた。「このこともあって中々帰れなくなった。悪かったな」と付け加えられる。それは軽い問題ではないことは私にも分かった。本当に些細なことであれば、統率の行き届いた私兵や住民の力で自然と治癒するだろう。叔父さんたちが全員顔を突き合わせてこうも長く話し合うということは、中々に困った事態だということだ。
「信用第一の商売だ。一度だけならまだしも、何度もやりやがって」
「しかし手が出しづらいやつらだ。上を突くにしても末端の奴らがしたことだと取り合わんだろうな」
「伯父さんたち、勝手に話を始めないでください。どうするんですか、サレナちゃんの件は後にします?」
驚いたことに、場を仕切ったのはユリアンだった。親のバージェル叔父さんは満足そうに見ている。早々に熱くなってしまったスジェット伯父さんはボリボリと首の後ろを掻きながら「いや、悪い。サレナの方にしよう」と、私を気遣ったのか、私に聞かせたくないからなのか、話の向きを変えた。この人たちは、あまり大人の話を私に聞かせたがらない傾向がある。配慮なのだろうが、私は何となく疎外感を感じてしまう。
「じゃあ、先日まで絞った条件は…」
カリム叔父さんがユリアンに目配せすると、彼は心得ているという風に、メモを出して読み上げ始めた。
「ええと。カリム叔父さんの『名誉棄損で訴える』、スジェット伯父さんの『おたくの息子はいらんから家の娘もやらん』、ジェイン伯父さんの『国の後ろ盾は遠慮するから港からも出ていけ』が今有力なやつです」
(……………)
私は父をジロリと見たが、父は真っ直ぐ前を向いたまま微動だにしない。明らかに努めて私と目が合わないようにしている。
(こ、これで…)
「…これで交渉できるか」
ヴァン君が私の心の声を唱えたかのように、ぼそりと呟いた。いつか彼が、叔父たちは「私のことになると途端に阿呆になる」と言ったのを思い出した。叔父さんたちはヴァン君の呟きは聞こえなかったらしく、各々自由に意見をぶつけていた。聞いている限り、全員「許さん」という主観が強すぎて、まともな意見が出てこない。私は唖然としてしまったのと同時に、成程これは話が進まないわけだとある意味非常に納得ができた。
結局今日も話がまとまらないまま、日が暮れた。どうしても交渉条件を強気に出したい叔父たちは、私の「向うと摺り合わせて決めていくのではだめなのか」という意見を「温い」と秒で却下した。おまけに「お前がそんなに下手でどうする」と叱咤される始末だった。このままでは進まないと思って言ったのに。「後から譲歩していくのは当たり前なんだから、最初は大きく出ないと」ということらしい。ヴァン君は何か考えている様子ではあったけれど、発言は殆どしなかった。時間を見計らって、ユリアンが「今日はここまで」と宣言し、お開きになった。屋敷の外はもう暗くなっていた。私は別れ際、ユリアンに声をかけた。
「ユリアン、あなたも話し合いに参加しているの?」
「ええ。僕、最初はここに母からのお裾分けを持って、荷物持ち係で父に着いてきたんですけど。伯父さんたち、臨界までヒートアップすると全然収拾つかなくなっちゃうみたいで。ジェイン伯父さんとフォーヴ伯父さんまで白熱しちゃうとダメですね…。僕つい口を出してしまったんです。そうしたら次の日から何故か呼ばれて…」
ユリアンが遠い目をしている。私は彼に同情した。それにしても、弱冠12歳にして、ランジットの統領たちを仕切れる能力は決して人並みでない。私は再び、彼の成長に瞠目した。ユリアンは困ったように笑っていた。
ヴァン君に「帰るぞ」と声をかけられ、何故か再び手を取られる。なんで?父が「ヴァリエール」と訝しんで声をかけた。ユリアンも咎めるように見ている。けれどヴァン君は動じず、来た時と同じように辺りを見回した。すると父は「ああ…」と何かに納得するように頷き、それ以上何も言わなかった。ユリアンも「そういうことか」という風に得心がいったような顔をしている。私一人が状況を分かってないようで何だか釈然としない。ヴァン君に「どうしたの」と聞いても、「大丈夫だ」と答えになっていない答えを返されるだけだった。
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