出奔
学期の終わり、数日バーニーが親の仇を見るように睨んできたけれど、特に何も勃発せずに私は無事夏の休暇に突入した。課題は山のように出ていたけれど、こつこつやっていれば特に問題なく終わる。しかし、私はいつもの夏休暇と同じように過ごすつもりはなかった。私はある決意をしたのである。
王都の街を馬車で走る。すると、大きな木々に囲まれた屋敷が見えてきた。何を隠そう、ここはヴァン君のお家だ。私は門を勝手に開け、屋敷のドアの前に仁王立ちした。そしてドンドンと扉を拳骨で叩きながら大声で叫ぶ。
「こんにちはー!!!!!」
するとすぐに執事さんが出てきた。長年ここの屋敷の世話をしている、ベテランの執事さんだ。どこか疲れたお顔なのは、お年を重ねたせいだけではないだろう。私は元気よく挨拶をすませ、ヴァン君はいるかと尋ねた。執事さんはにこやかに屋敷に迎え入れてくれた。
「お部屋にいるかしら」
「はい。すぐにお茶をお持ちしましょう」
勝手知ったる他人の家。私は階段を上がり、ヴァン君の部屋に向かった。どうやら今日もおじさんとおばさんは留守らしい。二人とも考古学の分野では中々偉い人らしく、興味のある話があるとピューンとどこにでも飛んで行ってしまう。一応王都に屋敷があるのは、研究機関に近いからだ。ヴァン君も不在だったこの二年間、屋敷はさぞかし寂しかっただろう。その割に屋敷の手入れが行き届いているのはひとえに執事さんのおかげに違いない。ピカピカに磨かれた廊下を進むと、目的の部屋に着いた。私は再び部屋の戸を叩こうとすると、中から「入れ」と声をかけられた。
(え、エスパー!)
私は驚きつつ、呼ばれてもいないが「来たよ~」と言いながらドアを開けた。部屋の中はとてもさっぱりしていて、机とベッド、ソファくらいしかない。何とも殺風景な部屋だと思った。部屋の主は壁際に置いてあるソファに寝転がっていた。髪はソファのあっちこっちに広がり、一部床についている。ごろりと私の方に寝返ると片手がソファからだらりと落ちた。人のことは言えないが、滅茶苦茶ダラダラしている。
「何の用だ」
「あのね、ちょっと相談があって」
ヴァン君は「珍しい」という表情で、気だるげに体を起こした。私はさっさと用件に入る。実はちょっと急いでいるのだ。
「ランジットの領地に行こうと思って。これから」
ヴァン君は一瞬大きく目を開き、にやりと笑った。
「それで、俺にも来―」
「だから、王都のランジットの屋敷をお任せできないかなと思って」
私とヴァン君が口を開いたのは同時だった。私はヴァン君が何と言ったのか聞こえなかった。一方ヴァン君の方は私の言葉がしっかり聞こえたらしい。なぜならとても不機嫌そうだからだ。先ほどの笑みは失われている。しかしこれは想定内の反応である。私は暴れ馬を宥めるように、「どうどう」と立ち上がろうとするヴァン君を止めた。
「分かっております分かっております。違うんですよ、ヴァン君に王都に残ってほしいって言っているのではないのですよ。そんな…私のために留学から急遽帰らされて、私のお世話と学園生活を強いられているヴァン君にそんな恐ろしいことお願いできるわけないじゃないですか」
「当たり前だな」
ヴァン君の血圧は幾分下がったらしい。私はさらに続けた。
「だからね、ヴァン君は自由にしていてください。うちのお屋敷は、メイドたちが手入れしてくれるけど、ほら、うちって男手が少ないでしょ?馬丁のジェフも私が連れて行っちゃうし。だから、困ったときにはここの執事さんたちを頼らせて欲しいの」
「いいだろう。好きにしろ。その代わり俺もお前と行くぞ」
実は一緒に来てくれると心強いと思っていた。けれど少し自分からお願いするのは気が引けていた。理由は先に述べた通りである。あと昨日突然決めたから。流石に急過ぎたかと思って。ちなみにロゼにはお許しをもらう代わりに苦言をたくさんいただいている。何にせよ、私は安堵から顔が綻ぶのが分かった。
丁度よいタイミングで、部屋の戸がノックされた。ティーセットを片手に持った執事さんがやってきた。執事さんは私が座りもせず話しているのを見て、ヴァン君にお小言を言った。
「ヴァリエール様、サレナ様にも座るところを。さあ、もっとそちらにつめて」
ヴァン君はのそのそとソファの中央から右端に移動した。なお元の位置に残るヴァン君の髪をお尻に敷かないように、私は手でヴァン君の方へホイホイと払った。執事さんは満足そうに頷くと、私たちに紅茶を出してくれた。慣れた手つきでササっと済ませると、一礼して部屋を出て行こうとする。ヴァン君が「待て」と声をかけた。
「どうされましたか」
「俺とサレナは屋敷を空ける。あっちもこっちも任せたぞ」
すると執事さんは思い切り顔をしかめた。そして私たちの正面に来て、膝をついた。
「いけません!いくらご親戚と言えど、若い男女が二人きりでご旅行とは!それにサレナ様は、色々とおありのようですが、次期国王のご婚約者様でございます!何かあったらどうなさいます!」
いかんあらぬ誤解をしている。私は言葉足らずだったヴァン君を責めるように睨んだ。しかし当の本人は面倒臭そうにため息をつきながら首を横に倒してあらぬ方を向いている。「これは説明を放棄しようとしている」と察した私は、早々に諦めて執事さんに向き直った。
「あの、すみません。そういうのではないのです。ランジットの領地に今お父様が行っておりまして。しばらく戻らないものですから、様子を見に行こうと。あっちには親戚もたくさんいますし、道中は違う馬車で行きますし」
執事さんは私の弁解を聞くと「なんだ」という顔をした。事情が分かれば「はいはい」と二つ返事で、私の家のことも快く承知してくれた。家主の不在には慣れたものらしく、急なことにも関わらず、全く動揺もしないどころか旅行セットのようなものをすぐに出してきた。私が紅茶を飲んでいると、あれよあれよという間にヴァン君の出発の準備が整ってしまった。ヴァン君は着替えて顔を洗っているだけだった。出発の時にヴァン君が私の馬車で行くと言って私&執事さんと揉めたが、結局ヴァン君の口には敵わなかった。恩がある私と、部下の執事さんは圧倒的に不利だった。
ガタゴトと、街を出る街道を進む。私たちは向かい合って座り、外の景色を眺めていた。ヴァン君が向かいの座席、つまり私が座っている方の座席に足を放り出している。人の馬車でここまで寛げるのも立派だ。車窓の縁に肘を置き、伏目がちに外に目を向けるヴァン君はとても絵になる。けれどその表情からは何を考えているのか読みとることはできない。私はおもむろに声をかけた。
「…執事さん、すごく手際がよかったね」
「あれは慣れているからな。…俺が居ないとまた庭いじりに専念できて内心喜んでいるはずだ」
私は送り出すときの執事さんの晴れ晴れとした顔を思い出した。成程、たくましい方だ。そうでなければあの家の執事など務まらないのかもしれない。
「そういうお前は、どういうつもりだ?」
私は「へ?」と間抜けな声を出した。ヴァン君は「何か企んでのことだろう」と付け足す。ば、ばれている…。膝裏に変な汗がにじんだ。確かに私は、なかなか戻ってこないお父様のことが心配だし、ほとんど何も教えてもらえない話し合いの状況を知りたいと思っている。もしかしたら教えることが無いほど停留しているのかもしれないという不安もぬぐい切れない。そして。
「リュイからの誘いは無いと豪語していただろう」
「絶対とは分からないじゃん!!!!!」
私はガバッと頭を抱えた。ヴァン君は的確に私の姑息な計画を突いてきた。そう、私は恐れていた。リュイというかコールデン家からの国巡りのお誘いは無いという自信はある。しかし、万が一という可能性は捨てきれなかった。家に居るならば、仮病以外に断る理由は持ち合わせていない。夏中仮病をしているのも不可能だ。だって元気だから。見舞いにでも来られたらおしまいだ。
「ででででもね、ヴァン君。勘違いしては困りますよ。コールデン家からのお誘いから逃げるのは二の次なんですよ。本当に私の婚約破棄がどうなっちゃうのか心配じゃないですか!」
私は必死に訴えた。ヴァン君は依然と座った目でこちらを見ている。お願いだからやめて!項垂れる私をしばらく観察してから、ヴァン君はまた窓の外に目を移した。
「まあでも、いい傾向だな。前向きなんだか後ろ向きなんだか分からんが」
ヴァン君の口元はかすかに笑っていた。破天荒で、何を考えているのか分からないし、強引だけど。私のことを心配してくれているというのはこの数か月でよく分かった。幼いころはよく泣かされたし、大きくなってからも理不尽な目に合わされてたという印象しかなかったが、今は違う。学園の昼休みを一緒に過ごすのは私が一人で寂しくないように。ブロッコリーは苦手だと訴えても無理矢理食べさせてくるのは、食べてさえいれば何とか元気が保てるから。これは私が勝手に思っていることだけど、多分当たっている。本人は口が裂けても言わないだろうから、答え合わせはきっと永遠にできない。
緩みそうになる口元を押さえている私を不審に思い、ヴァン君は「なんだ」と尋ねた。私はやっぱりこらえきれず、「へへ」と笑ってしまった。面倒見の良いはとこは「気持ち悪いな」と酷いことを言ったけれど、滅多にお目にかかれない穏やかな笑みを浮かべていた。
こうして私たちは、同じ血の故郷を目指した。
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