懐古
ヴァン君がリュイとバーニーをやっつけてから。あの場に居た生徒たちが話を広め、ヴァン君は一部の生徒から『兄貴』と呼ばれるようになった。もちろん本人のいないところで。態度は悪いが賢いらしいと囁かれている。相変わらず本人は周りに興味が無いようだけれど。そして私の一位が決して形だけのものではなく、実力に基づいたものだということが知られるようになった。ソフィア嬢が何だか誇らしげにしている。
一方、リュイとバーニーから言わせると、ヴァン君のやり方は非常に粗野で恥ずかしいとのことだった。あまりに驚いて、何も言えなかったそうだ。あんな風に自分のテストを人に見せつけるなんて、紳士のすることではないと非難しているのを人づてに聞いた。
(ああ言えばこう言う…突っかかってきて返り討ちは恥ずかしかっただろうな…)
「あ、そうだヴァン君」
そよそよと、ヴァン君の前髪が風に揺れていた。おでこが見えている。いつもより少し幼く見える彼に、思わず顔が綻んだ。
「あのね、今日ちょっと時間ある?」
「なんだ」
「ロゼがね、パイを焼くって。試験が終わるといつも労ってくれるの。ヴァン君もどう?」
「…」
足を組み、テイクアウトしたコーヒーに口を付けながらヴァン君は「ん」と答えた。いいよってことでいいのだろうか。良かった、実はこないだリュイとバーニーを引き受けてくれたお礼がしたいと思っていたのだ。私一人では相手できなかっただろう。うっかり手を出してしまっていたかもしれない。頭の中ではボコボコにしていた。
(ふふふ…ロゼのパイ以外にも私が作ったプディングがあるのよ…!)
「…何か企んでいるんじゃないだろうな」
いけない。顔がにやついていたらしい。
「サレナ。行くぞ」
「えっ!早い!」
終礼中何かごそごそやっていると思ったら、さっさと帰り支度を進めていたらしい。私が今から荷物をまとめようとしているのに、ヴァン君はすでに席を立った。見下ろされ「早くしろ」という圧をかけられながら、私は慌ててカバンに教科書やらノートやらを仕舞う。カバンをのふたを閉じると、つかつかと教室から出て行ってしまうヴァン君を大急ぎで追いかけた。なんでこんなに巻きなの!?ま、まさか本当は今日は別の用事があって、家に寄っている暇なんてなかったのでは?という可能性に気づいた。それならさっさと行きたいわけだ。
「ヴァン君!何か急いでる?今日は用事があった?家でお茶してて大丈夫?」
するとヴァン君はピタリと止まった。私はヴァン君を見上げたが、彼は目を合わせてはくれなかった。その代わり、「そういうわけではない」とぽつりと言うと私の歩調に合わせて歩き出した。
(え、変なの…。他に用事がないならよかったけど…)
私たちは並んで歩きながら校門をくぐった。ええとお迎えの馬車は、といつも止まっている方を見ると、うちの馬丁のジェフが誰かと話している。その人物は、私たちがやってきたことに気が付くと、私たちに向かってニコニコと手を振った。私の隣からは低いため息が聞こえた。
「二人ともおかえりなさい」
「イレムさん、お久しぶりです。どうなさったのですか」
「久しぶり。ヴァリエール殿もご立派になられましたね」
「…」
ヴァン君が返事もしないことを気にする様子も無く、イレムさんは話を続けた。
「突然失礼いたします。今日はリュイ様をお連れして行くところがあって。丁度二人にお話ししたいことがありましたもので、こちらでお待ちしておりました」
「お話?」
「お気を悪くなされないよう、お願いしたいところですが…」
イレムさんは申し訳なさそうに眉を下げる。
「先日、リュイ様と試験のことで揉めましたか?」
(リュイったら…家で話したのね…)
私の気まずそうな顔から、事実を確認したイレムさんは苦笑いをした。
「リュイ様が少々ご機嫌斜めでして。ヴァリエール殿、お手柔らかにお願いいたします」
「売られた喧嘩を買い取ったまでだ」
ヴァン君はそっぽを向いて答えた。私はイレムさんが気の毒になった。きっと私たちに釘を刺すよう煩く言われたのだろう。この有能な人をこんなことに使わないであげてほしい。
「イレムさんにご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。気を悪くするなどご心配いりませんわ。こちらこそ、嫌なことをさせてしまってお詫びいたします」
私は深々とイレムさんに頭を下げた。
「はあ…サレナ嬢…。リュイ様はあのようなご様子ですが…私は貴女がこのまま嫁いでくださればどんなに安心か…」
イレムさんはしみじみと言った。私はちょっと心が痛んだ。リュイのことはアレだが、古くから私たちを囲んで見守っていてくれた人のことは嫌いになれない。よく遊んでもらったし、構ってもらった。私は寂しさに襲われながら「ありがとうございます」と返すしかなかった。イレムさんは穏やかに笑い、恭しく一礼すると、コールデン家の馬車の方へ歩いて行った。
「…損な役回りだな」
「そうだね」
私たちはランジット家の馬車に乗り込んだ。
家に着くと、パイの焼ける香ばしくて良い匂いが漂った。私は心が躍った。ロゼが満面の笑みで私たちを出迎えた。丁度焼きあがったところだったらしい。私たちは急いで食堂に向かった。
「本当に、今回もご苦労様でございました。ヴァリエール様も二番だなんて誇らしゅうございます」
ロゼはヴァン君が私の次と聞いたとき、見たことも無いくらい驚いた。「あのヤンチャで全然言うことを聞いてくださらなかったヴァリエール様が…」と目がしらを押さえていた。小さいころは本当に手を焼いたらしい。
「ふん…食うぞ」
ロゼはいつになく嬉しそうにヴァン君の給仕をした。その様子を見て何だか私も嬉しくなってしまった。
(本当は、ヴァン君満点とれたんじゃないのかな)
私が一番をとらないといけないと分かっていてのことだろうから、聞くのも野暮というものだ。私は不愛想にパイを口に運ぶヴァン君を見ながら、自らもパイを頬張った。
パイやそのほかのお菓子を散々食べた後、ロゼが「あ」と何かを思い出した。
「サレナ様…サレナ様のアレ…」
「あ!!!」
私も言われてハッと思い出す。
「プディング!忘れてた!」
私とロゼはわたわたとヴァン君の様子を窺った。先ほど山のようなお菓子を食べた人間に聞くことではないが…。
「あの…ヴァン君、もうお腹いっぱいだよね…?」
明らかに他に何か出てきそうな聞き方に、ヴァン君は眉をひそめた。
「…お前の、と言ったか?…作ったのか?」
「言いました…作りました…」
「はー……持ってこい」
ヴァン君はため息交じりに言った。私とロゼは顔を見合わせて、急いでプディングを取りに走った。
「うすーく切るから!薄く!」
「…好きにしろ」
ぐちゃぐちゃにならない限界の薄さに挑戦してプディングを切り分け、ヴァン君に差し出した。ヴァン君はひょいと受け取ると、すぐに食べ始める。
「ど、どう?食べられる?あ、量のことじゃなくて」
「味はまあ食える」
と言いつつ、さらっとヴァン君は食べ切った。
「わーありがとう。よかった食べてもらえて。一応こないだのお礼だったから」
「礼を無理矢理食わすな」
ごもっともなご意見に私は「すみません」と項垂れる。うう、不覚…。楽しそうなロゼとどことなくご機嫌なヴァン君を見ていたらすっかり忘れた…。己の不届きを悔しがっていると、ヴァン君は乱暴に私の頭を撫でた。
「俺が勝手にしたことに礼はいらん」
「ヴァン君…」
「でもアレはもっと食えるときに食いたい」
思わぬ優しい言葉に、私は目を見張った。心の中で「あ、兄貴…」と思ったが口には出さないでおいた。代わりに、「また作ります!!!」と返事をする。
ヴァン君は少しだけ口元を緩め、わしわしとまた私の頭を撫でた。絶対髪がぐしゃぐしゃになっているけれど、全然嫌な気持ちにはならなかった。こんな人だったっけ。私は少しだけくすぐったい気持になった。
「え、持って帰るの?」
「ん」
「こんなもん?あ、もっとね…はいはい…」
(何ですかあの微笑ましいのは!)
(私も食べたかったけどいいですお譲りします…!)
(サレナ様もっときれいに盛ってあげて!!)
(ヴァリエール様…素直じゃないんだから…)
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