第九幕 謎に包まれたギヤマン御殿の恐怖
突如正親たちの前に現れた妖婆黒刀自の出現により、事態は急展開を見せていたが…それでも正親たちは妖婆黒刀自の妨害を諸ともせず、正親と導満は飛鳥を護衛する形で戦闘体勢を整えていた。
しかし、妖婆黒刀自は何としてでも黒獅子ヶ島へ行かせまいとあらゆる手段を用いて妨害しようとしていたが、すかさず正親は術を施して妖婆黒刀自を遠ざけていったのである。
だが、妖婆黒刀自も負けじと大きな数珠を天空に掲げて怪しげな呪文を唱えて正親たちを更に窮地に追い込もうとしていた。
『お、おのれ…。この黒刀自に刃向かうとは愚かな輩たちじゃな。ならば、我が妖術を以て貴様たちに引導を渡してやる…。』
「そうはさせるか…。」
正親たちは妖婆黒刀自の妖術を防ごうと一斉に攻撃を仕掛けていくが…圧倒的な妖力を誇る黒刀自の前では為す術も無く、逆に黒刀自の妖術《雷光磁幻覇》を放ち…正親たちは黒刀自の前に敗れてしまうのだった。
「ば、馬鹿な…。」
「あの妖婆…あんな恐ろしい妖術を使いやがって。」
『ひゃっひゃっ…。愚かな者め、この黒刀自に勝てるとでも思うたか…。所詮人間なんてのは弱い存在としか思えぬわい…。』
「何が弱い存在だ…。貴様だけは絶対に許さない。」
『許さないだと…。ひゃっひゃっ…お前たちに何が出来ると言うのじゃ。我々の御大将である婆沙羅将軍に楯突く輩にはそれなりの罰を与えねば気が済まぬからのう…。』
すると黒刀自は、気絶している飛鳥を見つけると…不敵な笑みを浮かべながら飛鳥の身体を腕に抱えながら連れ去ろうとしていた。
「なっ、飛鳥どのをどうするつもりだ…。」
『こやつは人質として預かっておく…。取り返して欲しくば、伝説の神器・八卦退魔鏡を渡す事じゃな。』
「ひ、卑怯だぞ…。」
『何が卑怯じゃ…。もし、八卦退魔鏡を渡さぬのならば…この小娘の命は無いと思えっ。』
そう言って、黒刀自は飛鳥をその場から連れ去り…何処かへ消え去ってしまったのである。
それからしばらくして、飛鳥を連れ去られた事を悔やんでいた正親と導満は…一刻も早く八卦退魔鏡を見つけようとしていたが、この事実を知らない晴明と流ノ介の二人にどう説明しようか悩んでいた。
「正親様、飛鳥どのが黒刀自に連れ去られた今…晴明にどう説明したらよいのか分かりません。」
「だが、晴明は今庚申塚の調査をしているから…今更呼ぶ訳にはいかないだろ。」
「しかし、飛鳥どのは晴明にとって大切な存在…。その飛鳥どのが居なければ旅が続けられなくなってしまいます…。」
「そうか、晴明の奴…前から飛鳥どのの事が気になっていたなんて知らなかったな…。だが、今は飛鳥どのを救出するのが先決だ。」
「しかし、飛鳥どのが何処へ連れ去られたのか…居場所さえ分かれば助ける事が出来るんだがな…。」
と、そこへ白装束を身に纏った剣士が正親たちの前に現れ…連れ去られた飛鳥を助ける代わりに黒獅子ヶ島に眠っている八卦退魔鏡を入手して欲しいと正親たちに話すのである。
「そ、そなたは一体何者で御座いますか…。」
「私の名前は立花数馬と申す者…。先ほどからあなた方のお仲間が妖婆黒刀自に連れ去られたと聞き…もし差し支えなければ是非ともこの私に手伝わせて頂けないでしょうか。」
「そなた、どうやら妖婆黒刀自に因縁がある御様子…。よろしければお力添え願えないだろうか…。」
「無論、互いに同じ敵を追う者同志…。力を合わせて妖婆黒刀自を倒しましょう…。」
「正親様、心強い助太刀が現れたとでも申されましょうけど…肝心の八卦退魔鏡の方は如何なされますか。」
「…そうだな、飛鳥どのの救出は数馬殿に任せるとして、俺と導満は黒獅子ヶ島へ赴き…八卦退魔鏡を探す事にしよう。」
「分かりました…。では数馬殿、飛鳥どのの救出…よろしくお願いします。」
「心得ました…。」
その後、正親と導満の二人は八卦退魔鏡か隠されていると言う黒獅子ヶ島へ…一方の数馬は黒刀自に連れ去られた飛鳥を助ける為、一路南南西の方角へ向かっていった。
丁度同じ頃、妖婆黒刀自に連れ去られた飛鳥は、気を失った状態で岩牢に閉じ込められていたが…しばらくして岩牢の奥から話し声が聞こえ、虚ろ気味ではあるがゆっくりと起き上がると…そこには不気味な骸骨が無数散乱していて、床には夥しい血の痕がびっしり拡がっていた。
「…ん、此処はいったい何処なの。それに、薄暗い洞窟の様にも見えるけど…。」
飛鳥は此処が何処なのか全く知らぬまま連れて来られたせいで、殆ど記憶を失っており…時々頭に激痛が走る現象をも引き起こしていた。
「私はどうして此処に居るのか全く思い出せないわ…。でも確かあの時、正親様と導満様が近くに居た様な…。」
どうやら飛鳥は先の戦いで記憶を完全に失っている様子らしく、その後またゆっくり気を失う形で横たわってしまうのである。
それから数時間後、再び目を覚ました飛鳥は少しずつ意識を取り戻して岩牢越しから聞こえてくる声に反応し…岩牢の陰に隠れて様子を伺っていると、牢番らしき人物が飛鳥の耳を疑う衝撃的な会話を耳にするのであった。
『おい、聞いたか…。』
『何をだよ…。』
『囚われたあの娘…とある国の姫君だと言う噂をな。』
『嘘だろ…。何を証拠にそんなでたらめを言ってるんだ。』
『いや、確かにこの耳で聞いちまったんだよ。あの娘が身に付けている守り袋には《黒鷲》の刺繍が施されていたのを…。』
『黒鷲の刺繍と言えば、確かそれに似た紋章を見た事があるぞ…。』
『えっ、それって何処で見たんだよ…。』
『このギヤマン御殿の主である更科弾正様の紋章に酷似しているとの噂が…。』
飛鳥の身に付けている守り袋の紋章がギヤマン御殿の主・更科弾正の紋章に酷似しているのではとの話を聞き、自分がもしかしたら更科弾正の娘なのかと錯覚を起こしてしまう程衝撃を受けてしまうが、でも西園寺家に生まれたのだから絶対に有り得ないと気を落ち着かせて再び様子を伺っていた。
『しかし残念だよな。もうすぐあの娘は弾正様の所へ差し出されるんだからな…。』
『ああ…。まだ若いのに、弾正様の妾として更科家へ嫁がれるとなれば…一生弾正様の言いなりになるなんて気の毒だよな。』
牢番から衝撃的な真実を聞かされた飛鳥は、このままでは更科弾正の妾にされてしまう恐怖に陥るのではと不安を感じられずには居られなかった。
「ど、どうしよう…。このまま更科弾正の妾になってしまうのかしら…。でも、今はこの岩牢を脱出する方法を考えなきゃ…。」
と、その時だった。
突如妖婆黒刀自が飛鳥の目の前に現れ…不気味な声で飛鳥に話し掛けてきたのである。
『ひゃっひゃっ…。やっと目覚めたようじゃな…。』
「あ、あなたは…。」
『何もびっくりする事はないぞえ…。儂はこのギヤマン御殿の主・更科弾正様に支えし妖婆黒刀自じゃよ…。』
「妖婆黒刀自…。」
『お前さんは何も覚えてはおらぬようじゃが、そなたはあの安倍晴明と言う男に騙されているのじゃよ…。』
『せ、晴明様が…。そ、そんなの嘘よ…。』
『嘘なもんか…。あの安倍晴明はどんでもない男なんだよ。その証拠に、お前さんの父親を殺しているんだからね…。』
「お父様が…。晴明様はそんな人を殺める様な事をする方ではありません。」
『お前さんは何も知らないからそんな風に言えるんだよ…。それに、あの安倍晴明と言う男は平気で人殺しをする卑劣な輩じゃからのう…。』
妖婆黒刀自は安倍晴明が飛鳥の父親を殺害したと有らぬ噂を話し、自暴自棄に陥る飛鳥を落ち着かせようと懐から髑髏葛の煎じ薬を飛鳥に飲ませていった。
『ひゃっひゃっ…。相当衝撃を受けたようじゃな…。ならば、この妙薬を飲まれるがよかろう。』
「こ、この薬は…。」
『これは南蛮舶来の気付け薬じゃ…。こいつを飲めばたちどころに正気に戻るじゃろうて…。』
黒刀自は飛鳥に髑髏葛の煎じ薬を飲ませ、しばらくして飛鳥の表情は怒りと憎しみの憎悪に満ち溢れ…悪鬼の心に支配されてしまうのだった。
「おのれ、憎き安倍晴明…必ずこの手で殺してやる。」
『ひゃっひゃっ…。どうやら上手くいったようじゃな。髑髏葛の煎じ薬を飲ませておけば、さすがの安倍晴明もどうする事も出来まい…。』
髑髏葛の煎じ薬を飲まされ、悪鬼の心に支配された飛鳥を見事操る事に成功した黒刀自だったが、これだけでは満足する訳でもなく…次なる策を練る事にした。
一方その頃、正親たちと別れた数馬は…囚われたの身となっていた飛鳥を救出すべく単身ギヤマン御殿へ乗り込もうとしていた。
しかし、厳重な警備の中ギヤマン御殿へ侵入するのはあまりにも危険と判断した数馬は夜になるのを待ち、警備が手薄になったところで再びギヤマン御殿の内部への潜入を試みた。
「この屋敷に、飛鳥が囚われているのか…。それにしても妖婆黒刀自め、我が妹を連れ去るとは命知らずな輩だな…。しかし、こう警備が厳重だと侵入するのは難しいな。もう少し様子を見てから出直すとするか…。」
そして辺りがうっすらと暗くなり、所々に松明の灯りがゆらゆらと照らされる中…数馬は足音を立てずにギヤマン御殿の塀を乗り越えてゆっくりと着地し、警備が手薄になったところで足早に屋敷内へ侵入していった。
「さて、侵入したのはいいが…飛鳥は何処に囚われているのか。これだけ広い邸内を探索するのは時間が掛かるし、かと言って無闇に粗捜しするのは帰って敵に見つかる可能性がある。しばらくは足音を立てずに内部を探索するしかなさそうだな…。」
数馬はゆっくりとギヤマン御殿の内部を歩いて一部屋ずつ調べていったが、変わった様子もなく更に奥へ進んで行くと…奥の部屋だけ煌々と蝋燭の火が灯されていて、数馬が部屋の障子を開けようとした次の瞬間…突然廊下がガクンと開いて数馬は真っ逆さまに奈落の底へ落ちてしまうのだった。
『ひゃっひゃっ…。飛んで火に入る夏の虫とはこの事じゃて…。』
「き、貴様は妖婆黒刀自…。」
『ほう…誰かと思えばあの時の剣士じゃないか。何を企んでいるかは知らないが、此処は泣く子も黙る地獄の城・ギヤマン御殿と知って侵入致したか。』
「おのれ黒刀自、貴様こそ飛鳥を誘拐して何をするつもりだ…。」
『お主、どうやらあの小娘と何か関係があるようじゃが、今は大事な祝宴の最中ゆえ…お主の様な不届き者に邪魔をされたくないのでな。しばらくそこで大人しくしてるがよい…。』
そう言って、黒刀自は開いている廊下の蓋を閉めて数馬を奈落の底へ幽閉させていったのである。
それからしばらくして、黒刀自はギヤマン御殿の主・更科弾正の居る放れ座敷へ向かい…侵入者である数馬が奈落の底へ落ちた事を報告していった。
『親方様に報告致します。先程この屋敷に侵入者が忍び込み、からくり廊下の罠に嵌まって奈落の底へ落ちましてございます。』
『何っ、我がギヤマン御殿に忍び込みとは不届き千万…。黒刀自よ、いったい其奴は何者だ。』
『さぁ…顔は覆面にて覆われて素顔は見えませぬが、恐らく其奴は捕えた小娘に横恋慕致そうとしているに違い在りませぬ…。』
『ふんっ、何処の馬の骨だか知らない輩にあの小娘を渡す訳にはいかぬ…。早々に其奴を始末致せ。』
『御意に御座いますとも…。何れ近いうちに奈落の底へ落ちたあの白装束の剣士を必ずや始末致しますゆえ…どうか今夜はゆっくり楽しまれたらよろしいかと存じます。』
『さぁ…今夜は宴だ。お前たち、どんどん飲め飲め…。思う存分たっぷり楽しんでいってくれ…。』
すっかり上機嫌の弾正はその後もありったけの酒を浴びる様に飲み干し、黒刀自も弾正に進まれるがまま盃に注がれた酒を飲み…いつの間にか酔い潰れてしまい気が付けばぐっすり眠ってしまう有り様に至っていくのである。
だが、気掛かりなのは髑髏葛の煎じ薬によって豹変してしまった飛鳥は…果たして元に戻る事が出来るのだろうか。
更には、不覚にも奈落の底へ落とされた数馬は無事脱出する事が出来るのか…。
難攻不落の要塞ギヤマン御殿の主・更科弾正の魔の手が刻一刻と迫る中、妖婆黒刀自は安倍晴明が来る事を想定に次なる罠を仕掛けていくが…次回予想外の展開を見せる事になる。
第十幕に続く…。