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第5章 傘がない

 悪い冗談だろう。


 あの日、家に帰ってから、部屋の灯りをつけ、明るい場所でこの傘を開いてを眺めてみた。


 私は1本1本、この傘の骨を確かめた。だが、何も見つけることはできなかった。


 まさか、下駄の男の傘と同じように、この傘にも仕掛けがしてあるのか。いや、そもそもどんな仕掛けをしたところで、傘を盗んだあの男に起きた事故と関係があるはずがない。そんなこと、まともな人間の考えることじゃない。


『呪いごとは信じない』


 あのDVD……、あの天気予報……、傘を盗んだあの男にさえ出くわさなければ……。

 これほどに気分の悪いことはなかった。


 信念の曲げて、いい結果は得られない。


 私は、下駄の男の掌の上で遊ばれているような気分がして、とても不愉快だった。が、不思議と下駄の男を「あの」と呼ぶ気にはなれなかった。


「まったく、とんだインチキ野郎だ! だが、侮れない」


 しかし、程なくして、下駄の男がインチキ野郎でない事、そして侮れないと私が感じた事、この傘が『特別な傘』に変わったという事が明らかになる。


 数日後。朝から小雨の降る日だった。仕事で外出した際、私が電車に傘を忘れそうになると、隣に座っていた女子高校生が、私を呼び止めた。


「あのー、この傘を忘れていますよ」


 まさかと思い、その夜、初めて入る店でわざと傘を忘れた。店を出てすぐに、店員が駆け足で追いかけてきた。


「お客さーん、傘! この傘お客さんのですよね」


 なるほど。なぜそうなるかわからないが、これは面白い。この傘には、持ち主が置き忘れても必ず戻ってくる仕掛けが施してあるようだ。


 この傘は、大事に使おう。


 ビニール傘が嫌いな私は、2000円程度で売っている、少し大きめの黒い傘を好んで使っていた。それでも年に1度くらいはどこかに置き忘れてしまうし、誰かに持って行かれたり、人に貸してそれっきりになったりする。だが、私はすっかりこの傘が気に入ってしまった。だから他人に貸したりはしないし、置き忘れないように心がけた。


 そして、あの日、私のこの傘への愛着が、まったく別の感情に変わってしまう出来事が起きたのだ。


 あの日。


 土曜日の昼過ぎ、昼食をとりに近所の中華料理店に出かけようと、家の玄関を開けた。

外は雨、午後から振り出した雨は、今日の予報になかったのか、傘を持たない人が、カバンを頭の上にかざしながら雨をよけていた。


 私はお気に入りのこの傘をさして、家を出た。


 中華料理店の前には傘立てが置いてあり、ビニール傘や私の傘と似たような黒い傘が何本か置いてあった。一瞬、店内に傘を持ち込むことを考えはしたが、『大丈夫、この傘は持ち主の元を離れることはない。』と思い、丁寧に畳んで傘立てに置き、席についた。


 決して絶品というほど美味しくはないが、値段と量と味のバランスで言えば、この辺りでは、まずまずの店である。


 今日は醤油にしよう。


『セットメニューは注文しない』


 私はカウンターで醤油ラーメンを啜りながら、ふと、会計をしよとしている男に目が留まった。


「あの男、どこかで見たような……」


 男が会計を済ませて外に出るまで私は、どこか嫌悪感のようなものを感じながらも、魚介類のだしを使った醤油ラーメンを堪能していた。


「なんだろう? あの男。どこかであったはずなんだが……」


 次の瞬間、店のすぐ前で、激しいブレーキ音とドーンという鈍い音、それに続く女性の悲鳴……。


「きゃぁあー!」


 店員が外の様子を伺う。どうやら交通事故のようだ。店の前は信号がなく、車の通りもそれほど激しくない。しかし、私も何度か路上に駐車した車の死角から道路を横断しようとして冷やっとさせられたこともある。


 雨の日であれば、なおさら視界が悪い。だが……。


「あれー? さっきのお客さんじゃないか」

 店員が言う。


 私はその時ようやく、あの男のことを思い出した。


 雨。交通事故? そして、あの男! そうだ! あれはあのときの、傘を盗んだ男だ!


 思い出したことと同時に、私はある仮定にたどり着いた。

「傘? まさか……、も、もしかしたら、あの男、私の傘を!」


 私は会計を済ませて店の外の傘立てを覗いてみた。


 傘がない。


「ちぃい!」

 私は雨の降る中、事故のあったところに様子を見に行った。


 そこにはバンパーがつぶれた乗用車と、先ほど会計をすませて、おそらく私のこの傘を盗んだあの男が、頭から血を流して倒れている。


「こ、これは……」


 男は打ち所が悪かったのか、すでに意識はなく、身体をピクピクと痙攣させている。


「助からない……か。なんということだ!」


 この傘には、この傘には、まさか、そんなことが!


 アスファルトは雨に濡れ、男の血は行き場を探すように水面を駆け巡る。その横で、私の傘が逆さまになり、風にあおられてクルクルと回っていた。


 この傘をどうするべきか?


 雨は激しさを増す。


 ――が、私はただ、雨の中、立ちすくむしかなかった。


20121130修正

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