序章
決して派手な怖さではありません。でも、ちょっとした心の引っかかりになってもらえたらうれしいです。当たり前の数字の中に隠れているかもしれない恐ろしい事実というのが、世の中にはあるかもしれません。
『今日の東京地方の予報は、晴れのち曇り。ところによって、にわか雨が降るでしょう』
BGMは、ロッド・スチュワートのディス・オールド・ハーツ・オブ・マイン。だが、オリジナルは、確かそう、モータウンのなんとかブラザーズ。
「今日は、傘がいるなぁ……」
支度を済ませ、お気に入りのマグカップに注がれたインスタントコーヒーをからだに流し込む。
「ところによりにわか雨か……」
心が揺らぐ。どこかうきうきしている自分自身に嫌悪感を覚える。
あの日の昼間も、予報を見ていなければ、雨になるとは思えないような快晴だった。
あの日私が体験したこと――。それは、決して私にとって『不幸な出来事』ではなかった。しかし幸運と思うこともできなかったし、どちらかといえば後悔している。
人が後悔の念にとらわれる時、『あの時、ああしておけばよかった』とか『あんなことをしなければよかった』と自らの行動に対して、やり直したいという気持ちにかられるのだと思う。
しかし、私の言う『後悔』とは、あの時、あの場所に行って、何度試しても、結果的に、何も変えることはできないのではという無力感を伴うものであり、もはや『自分の存在を否定するしかない』という、救いのないたぐいのものである。
更に一巡して、己の業というものを受け入れることで、今日の平静を保つ事に甘んじてしまっている自分の軟弱さこそが、真の後悔の対象なのである。いや、単に自責の念といったほうが、わかりやすい。
確かにあの日、あの時、朝の天気予報を見なければ、こんなことにはならなかったのかもしれない。たとえ見たとしても、それを信じるか信じないか、備えるか、しないのかで、あの夜、偶発的な出来事に遭遇することは、なかっただろう。
だからこそ、こんな天気の日には……。
『私は、いてもたっても、いられないのである』
願わくは、私の周りの人すべてが、急な雨にも困らないように、傘を持って出かけて欲しい。不幸な事故にあわないためにも。
雨が降る日は、交通事故が多発する。とくに今日のような天候が不安定な日に多いそうだ。急に視界が悪くなるとか、路面が濡れてブレーキが利きにくくなるとか、歩行者なら傘のせいで視界がさえぎられるとか、容易に想像できることだ。
一説には、急に気圧が下がると、人間はイライラしたり、注意力が散漫になったりするという研究報告もあるらしいが、これは多分エセ科学のたぐいだろう。
統計は時に嘘をつく。望んだ研究結果を導き出そうと思えば、数字はそういう見え方をするものだ。しかし、私が否定的なのは、それだけが理由ではない。
それだけではないのだ。
雨の日に、いらいらしないが、うきうきする。注意力が散漫にならずに、洞察力が研ぎ澄まされる。
そう。この私のような、例もあるのだから……。
20121129 思うところあって改訂