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カデンツァ  作者: 三輪もとこ
第4章
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第4章 25節

 誰にも見られたくなかった。自分の惨めな姿を。


本当のところ、どうなるかはわからない。どこまで回復するかなんて、誰にもわからない。けど、プロにはなれないのだ……大好きなピアノでは。

泉はその後、薬が効いて浅い眠りに落ち、いろいろな夢を見た。




子供の頃に通っていたピアノ教室。練習してかないときもあったけれど、先生はちっとも叱らなかった。

父も母も、私がピアノを弾くのをすごく楽しみにしてた。発表会で母の手作りのワンピースを着て……すそに付いたひらひらのフリルがかわいくて、くるくる回って会場の鏡の前で目が回りそうになったっけ。


中学でも、高校でも、音楽室にいるのは楽しかった。

ブラスバンドのみんなと練習が終わった後で、歌謡曲を弾きまくった。

大学では叱られてばっかりだったけど……それでもピアノを弾くのは楽しかった。

Jで廉さんにはじめて会って、どんなに自分がだめかもわかって……けど努力さえすれば、多くを望まなければ、この先もピアノを続けていけると思ってた。


そして何より、私には才能があると疑ってなかった母。「どこかに才能があるって思ってたわ……」


けど、お母さん……私、ピアノが弾けなくなるかもしれないの……


あまりにも悲しくて涙がどっとあふれた。もう、弾けないかもしれない……泉は自分の涙で目を覚ました。

病室は真っ暗だった。何時かわからないが、たぶん夜中だ。涙でぼんやりした視界の中、泉は自分のベッドの脇にだれかが座っているのに気づいた。




「泉……」

その声は紛れもなく廉だった。寝巻きの上にガウンを羽織っている。


「廉さん……どうして……起きてちゃいけないんじゃないの?」

廉の手がさっきまで涙を伝っていた頬にあった。

「良くはないけど……君が心配だった」

廉の指が涙をぬぐっていく。


「すまない……僕のせいだ。こんなことになって。君に何て謝ったらいいのかわからない」

泉は頬に当たった廉の手に自分の手を重ねた。


暖かい。この人の手はいつも。

本当は起きあがりたかったが、まだめまいがひどいのでそれはできそうになかった。廉の手に自分の手を合わせていると心が落ち着くようだった。


「廉さん……あなたが死ななくて良かった……」

泉は廉の手を頬に感じながらそう口にした。


ついさっきまで自分はもうピアノが弾けないのだと、そのことが悲しくて仕方がなかったのに、廉の顔を見た途端、その考えはどこかへ行ってしまった。


私はもしかしたら、この人を失っていたかもしれないのだ……ピアノのことなど天秤にかけるべくもない。

軽井沢で廉は自分に、生きていくために私が必要だと言った。私もこの人が必要だ。自分が生きていくために。


「あなたが好き。あなたを愛してる……」

廉はそれを聞いて自分の無精ひげの伸びた頬を泉の頬に寄せ、頭を抱いてしばらくそのままでいた。





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