表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

7/24

初配信で規格外——S級をソロ蹂躙


目が覚めたのは、アラームより少し前だった。


深層では眠れなかった。地上では眠れた。たったそれだけのことで、身体の中の歯車が一つ噛み合った気がした。完全じゃない。まだ欠けている歯車のほうが多い。でも、一つ噛み合えば、次の一つが回り始める。


俺は仮面を手に取った。


白い仮面。顔に当てると、呼吸の音が変わる。《偽装》が馴染んで、声帯の振動パターンが書き換えられる。鳴海朔の声が消えて、伯爵の声になる。少し低い。少し硬い。別人の声。


端末を起動する。


昨夜の初配信。同接は最後まで三人だった。アーカイブの再生数は——47。寝ている間に少しだけ伸びた。AbyssLiveのアルゴリズムが「新規配信者」として微かに露出を上げたのだろう。


47人。天城の同接三万四千に比べれば、誤差にもならない。


だが、47人の中に一人でも「もう一度見たい」と思った人間がいれば、それで足りる。一人が二人になり、二人が十人になり、十人が千人になる。雪だるまと同じだ。最初の一握りが全てを決める。


俺が今日やることは、その「一握り」を作ることだ。


---


S級ダンジョン《灰嶺かいれい》。都内湾岸部。


霞門は選ばなかった。霞門は今、天城が物語を作る舞台だ。白石の監視が厚い。俺の匂いが残っている。早すぎる。


灰嶺は都市型のS級で、入口が公開されている。配信者も多い。だが最深部到達者はまだいない。昨年、大手ギルドが長期挑戦して、最深部の手前で壊滅した。それ以来、「灰嶺最深部は人類には早い」という空気が定着している。


空気を変えるには、ちょうどいい。


朝の灰嶺入口前広場。冷たい風が海から吹いている。湾岸の匂い。潮と排気ガスと、ダンジョンの微かな魔力の混合臭。


入口のゲート前に、探索者が数人いた。B級やA級の中層を回る日常組。俺が通りかかると、視線が集まった。


仮面が目立つ。当然だ。探索者が仮面をつけてダンジョンに入ること自体は規約違反ではない。だが普通はやらない。配信者なら顔を売りたい。そうでなければ、隠す理由がない。


隠す理由がある人間。それだけで、注目は集まる。


俺はゲート前で立ち止まり、配信ソフトを起動した。


プラットフォームはAbyssLive。昨日と同じ。白石の手が届かない海外基盤。


タイトルを入力する。


【S級ソロ:灰嶺最深部へ】


説明欄は空欄。サムネイルは仮面と灰嶺のゲート。


配信開始ボタンに指を置く。


昨日、三人に向けて喋った。今日は何人になるか分からない。分からないが、やることは変わらない。


(手順でいく)


押した。


---


赤いランプが点いた。


同接:18。


昨夜の配信を見た人間の一部が戻ってきている。18人。あの三人のうち、少なくとも何人かが「もう一度」を選んだ。


コメントが流れる。


> 「昨日の仮面の人だ」

> 「S級ソロってマジで言ってる?」

> 「AbyssLiveで探索配信珍しいな」

> 「灰嶺? あの灰嶺?」


俺はカメラを見て、短く言った。


「行く」


それだけ。説明しない。補足しない。見せればいい。


ゲートに足を踏み入れた。


空気が切り替わる。


外の潮風が消えて、灰色の霧が足元を這う。壁は黒い岩盤。天井は低い。都市型ダンジョン特有の、人工と自然の境界が曖昧な空間。


《構造看破》が常時起動している。Lv999に進化してからは、止めようとしても止まらない。目を開けている限り、世界が解体図として見える。


壁の裏の空洞。床の下を流れる魔力の配管。天井に張り付いている罠の残骸。前方三十メートル先の、敵の熱源。


全部見える。


Lv15の頃は、構造看破を使うたびにMPを消費していた。集中しなければ見えなかった。今は違う。呼吸と同じだ。見えることに、コストがかからない。


見える世界が変わると、恐怖の形も変わる。


Lv15の頃は、ダンジョンが怖かった。見えないものが怖かった。壁の向こうに何がいるか分からない恐怖。


今は、見えるから怖くない。


代わりに、別の恐怖がある。


地上の視線。配信の向こうの数万人。天城の目。白石の監視。正体がバレる恐怖。


ダンジョンの中のほうが、安全だ。


矛盾している。だが事実だ。


---


最初の階層。


角を曲がった瞬間、四体の影が跳んだ。


犬型。金属質の皮膚。刃のような歯。《灰嶺》の門番、灰牙。


通常はパーティで処理する敵だ。四体同時に来れば、A級の探索者でも一人は噛まれる。ソロで正面からやれば、確実に削られる。


だが——Lv15の世界の話だ。


構造看破で、四体の動きが全部見えている。跳躍の軌道。着地点。攻撃の順序。次の動作の予測。全てが、スローモーションのように分解されて脳に入ってくる。


俺は右手を振った。


それだけ。


Lv999のステータスが生む、純粋な物理の壁。手を振る動作に乗せた力が、衝撃波になって空間を走った。


四体の灰牙が空中で弾かれた。壁に叩きつけられる。金属質の皮膚が砕け、灰色の粒子になって床に散った。


一秒。


コメント欄が一瞬止まって、爆発した。


> 「は?」

> 「今何した?」

> 「手振っただけ??」

> 「門番ワンパンで草」

> 「え、バグじゃないよね?」


同接が跳ね始める。40。80。150。


コメントに一つだけ答えた。


「バグじゃない」


短く。冷たく。伯爵の声で。


「レベル差だ」


それ以上は言わない。レベルがいくつかは見せない。《偽装》でステータスは隠している。見せるのは「結果」だけだ。結果だけを見せれば、理由は視聴者が勝手に想像する。想像は、事実より拡散する。


---


二階層。三階層。


進むたびに敵は強くなる。だが強くなるほど、構造は太くなる。太い線は読みやすい。繊細な弱敵より、巨大な強敵のほうが、構造看破にとっては楽だ。


俺は戦っている、というより、歩いている。


壁を読んで、罠を避けて、敵が来たら潰して、通過する。玄舟が深層でやっていたことと同じだ。「戦うより通す」。ただし、通すための力が桁違いに大きくなっている。


中層に入ったところで、端末の通知が増え始めた。


AbyssLiveのチャットが加速している。コメントの流速が上がっている。


> 「今Twitterで拡散されてる」

> 「切り抜きもう出てる。早すぎ」

> 「『規格外の仮面、灰嶺でソロ無双中』ってタイトル」

> 「DiveStreamのトレンドにも載ってるぞ」

> 「AbyssLiveなのにDiveStreamで話題になるの草」


同接が跳んだ。


1000。3000。5000。


数字が加速していく。AbyssLiveの日本枠ランキングで一位に入ったのだろう。プラットフォーム内のレコメンドが回り始めた。


1万。


コメントの言語が増えた。英語。韓国語。中国語。海外プラットフォームだから、国境を越えて拡散している。


> 「who is this guy」

> 「S rank solo? fake?」

> 「look at the dungeon rank display. it's real」

> 「伯爵って何者」

> 「運営のやらせじゃないの」


運営のやらせ。そう疑われるのは想定内だ。想定内だが、都合もいい。「やらせかもしれない」と思った人間は、確認するために配信を見続ける。離脱しない。


俺は黙って歩き続けた。


中層のボスを、三十秒で倒した。手を振るのではなく、踏み込んで拳を当てた。一撃。ボスの体が後方に吹き飛び、壁を突き破って消えた。


コメント欄が悲鳴を上げた。


> 「物理で壁壊すな」

> 「ダンジョン側が可哀想」

> 「チートだろこれ」

> 「いや正規のステータスなら可能性はある。レベル差があれば」

> 「レベルいくつだよ」


答えない。


見せるのは結果だけだ。


---


下層。


空気が重くなる。魔力の濃度が上がる。壁の岩盤が赤みを帯びる。


霞門の中層で感じたのと似た空気。だが、あのときとは俺が違う。Lv15の鑑定士が怯えながら歩いた通路と、Lv999の伯爵が歩く通路は、同じダンジョンでも別の世界だ。


同接が2万を超えた。


AbyssLiveの日本枠だけでなく、グローバルランキングにも入っている。配信の存在が、もうプラットフォームの枠を超えて広がっている。


DiveStreamの大手配信者が、自分の配信中にAbyssLiveの画面を映しているらしい。ミラー視聴。プラットフォームの壁を越えて、伯爵の映像が拡散している。


エクレールの視聴者にも届いているはずだ。


天城にも。


---


最深部前。


広いホール。天井が低く、太い柱が不規則に並んでいる。戦闘には最悪の地形。視界が遮られ、機動性が制限される。パーティなら連携が崩れる。ソロなら逃げ場がない。


だが俺には、構造看破がある。柱の向こうも壁の裏も、全部見えている。


ホールの中央に、黒い扉がある。


S級の「本体」。最深部への門。


扉の前に、一体の人型が立っていた。


鎧。巨大。二メートル半はある。顔の部分は空洞で、中に灰色の霧が渦巻いている。胸の中央に、灰色の結晶核。


《灰嶺》の守護者——灰王。


昨年、大手ギルドを壊滅させた存在。S級の最後の壁。「人類には早い」と言わしめた怪物。


同接が3万を超えた。


コメントが洪水になっている。


> 「灰王きた」

> 「去年壊滅させたやつだ」

> 「さすがにソロは無理だろ」

> 「ここまで来ただけで十分すごい」

> 「逃げろ」

> 「いや逃げないでくれ。見たい」


俺は扉の前で立ち止まった。


カメラを正面に向ける。仮面の向こうに、三万人の目がある。


灰王を見た。構造看破が、守護者の全身を解体図に変換する。


鎧の構造。関節の可動域。核の位置。魔力の循環パターン。攻撃の予備動作。


全部、見える。


Lv999の目にとって、S級のボスは——読める。読めるものは、倒せる。


だが、ただ倒すだけでは足りない。


「規格外」を見せなければならない。


天城が長期で届かなかった場所を、俺は一日で踏破する。その事実が、映像として世界中に残る。数字として記録される。


これが、最初の一手だ。


俺は短く言った。


「——行く」


灰王が動いた。


床が割れる。一歩で距離が詰まる。剣が振り下ろされる。二メートル半の巨体が生む質量と速度。普通の探索者なら、反応する前に終わる。


俺は半歩だけ横にずれた。


剣が床を砕く。衝撃波が柱を揺らす。灰色の粉塵が舞い上がる。


コメントが悲鳴を上げる。


> 「避けた!?」

> 「半歩だけ!?」

> 「余裕ありすぎだろ」


余裕じゃない。計算だ。構造看破で剣の軌道を完全に読み取り、最小の動きで回避している。大きく避ける必要がない。見えているから。


灰王が二撃目を振る。横薙ぎ。


俺は屈んだ。剣が頭上を通過する。風圧で仮面の端が揺れる。


三撃目。突き。


俺は右手で剣の腹を叩いた。軌道がずれる。剣が柱に突き刺さり、灰王の体勢が崩れる。


——ここだ。


俺は一瞬だけ"代価"を払った。


《等価交換》。


宝物庫の結晶一つぶんの価値を消費する。対価は「外殻閉鎖系を一点だけ通過する権限」。等価交換は触れた対象にしか効かない。だから——触れに行く。


踏み込む。


灰王の胸——核の位置に、真っ直ぐ拳を打ち込む。


轟音。


拳が核に触れた瞬間、灰色の結晶にひびが走った。ひびは一瞬で全身に広がっていく。鎧が、内側から崩壊する。


灰王が膝をついた。


巨体が傾く。空洞の顔の中の霧が、散っていく。


俺は一歩下がった。


灰王が、崩れた。


灰色の粒子の波が押し寄せる。だが俺の前で止まる。衝撃波の残響が、壁になっている。


灰が静かに床へ落ちた。


ホールが、沈黙に包まれた。


そして——扉が開いた。


黒い扉の奥から、光が漏れる。最深部の光。誰もまだ見たことのない光。


ドロップアイテムが落ちた。


光の粒が凝縮して、形を成す。結晶。そして——リング。


細い銀色のリング。構造看破で見ると、内部の魔力回路が異常に精密だ。S級最深部の初踏破報酬。ここに到達した最初の人間だけが手にできる一点物。


市場価値は——構造看破が算出を諦めた。「算出不能」と出た。億単位では足りない。


コメント欄が、もう文字で埋まっていて読めない。同接表示だけが見える。


5万。


AbyssLiveの日本枠歴代一位。グローバルでもトップ10に入っている。


俺はリングを拾い上げた。


カメラに映す。銀色の光が、レンズに反射する。


「S級灰嶺。初踏破」


声は平らだった。感情を入れない。事実だけを言う。


コメントが爆発している。読めないほど速い。だが一つだけ、目に留まった。


> 「エクレールが長期挑戦して届かなかった場所を、こいつは一日で……」


それだけで十分だった。


俺はリングをポケットにしまい、最後にカメラを見た。


「次の配信で、このリングを必要な人間に届ける」


コメントが反応する。


> 「配る?」

> 「売れば億だろ」

> 「金いらないってこと?」

> 「スパチャ受け付けてないの初めて見た」


俺は答えた。


「金はいらない」


一拍。


「俺が欲しいのは、目だ。見届ける目。——それだけでいい」


そして、縛りを守る。


戦闘ログは端末の監査領域に落とした。改竄不能の署名つき。

公開はしない。必要な時にだけ出す。

“復讐は記録せよ”——その最初の一歩だ。


赤いランプを消した。


配信終了。


---


配信を切った瞬間、掌が汗で濡れていることに気づいた。


灰王との戦闘では汗をかかなかった。身体は余裕があった。Lv999とS級ボスの差は、それほど大きい。


汗をかいたのは、カメラの前で喋ったからだ。


三万人の視線。五万人の視線。数字が増えるたびに、仮面の裏で心拍が上がっていた。戦闘中は冷静だったのに、最後の一言を言うとき、声が震えそうになった。


深層の番犬より、地上の視線のほうが怖い。


それは、変わっていなかった。


俺はレンタルルームに戻り、仮面を外して椅子に座った。


端末を開く。


数字が回っている。


AbyssLiveの再生数がリアルタイムで伸びていく。切り抜きがDiveStreamに転載されている。SNSのトレンドに「伯爵」「灰嶺ソロ」「S級初踏破」が入っている。


そして——掲示板。


---


【新星】仮面配信者「伯爵」、灰嶺S級をソロ初踏破


1:名無しの探索者

まとめ

①無名の仮面配信者「伯爵」がAbyssLiveで配信

②灰嶺S級をソロで踏破(史上初)

③灰王を単独で撃破(推定戦闘時間30秒以下)

④ドロップの初踏破報酬を「必要な人に届ける」と宣言

⑤同接5万(AbyssLive日本枠の歴代記録更新)

⑥正体不明


8:名無しの探索者

は? S級ソロとかありえんだろ


12:名無しの探索者

切り抜き見たけどマジだった。灰王を拳一発で核ごと砕いてる


19:名無しの探索者

拳一発は盛ってるだろ。……盛ってなかった。見てきた


25:名無しの探索者

エクレールが灰嶺に挑んだとき何週間かかったっけ


29:名無しの探索者

>>25

長期挑戦。未到達で壊滅


37:名無しの探索者

エクレールさん……


42:企業勢ID:SPON

伯爵の今日の配信は収益換算で七桁後半相当。海外視聴者も含めれば八桁に届く可能性がある。国内スポンサーが接触するのは時間の問題。問題は伯爵が「金はいらない」と言っていること。スポンサーにとって金で動かない配信者は最も厄介であり、最も価値がある


60:考察班◆LOG監査

興味深い点が一つ。伯爵の戦闘ログが公開されていない。国内プラットフォームでは規約上、戦闘ログの開示が義務だがAbyssLiveは適用外。伯爵はステータスもレベルも非公開のまま配信できる。これは意図的な環境選択だと考える


---


俺は掲示板を閉じた。


エクレールとの比較が、始まっている。


俺が仕掛けたわけじゃない。数字が勝手に比較を生んだ。「長期挑戦して未到達」と「一日でソロ初踏破」。この二つの事実を並べれば、誰でも比較する。比較は疑問を生む。疑問は調査を生む。調査は——真実に近づく。


まだ何も暴いていない。天城の嘘にも、冤罪にも、一言も触れていない。


触れる必要がない。


今はただ、「伯爵」の数字を積み上げればいい。数字が大きくなれば、視線が集まる。視線が集まれば、天城との比較が始まる。比較が始まれば、天城の「英雄譚」に亀裂が入る。


全部、手順通りだ。


俺は端末を閉じて、天井を見上げた。


レンタルルームの安い蛍光灯。白い光。深層の闇とも、宝物庫の魔力灯とも違う、安っぽい光。


この安っぽい部屋から、世界を動かし始めている。


明日はスポンサーが動く。数字を見た企業が、接触してくる。金が武器になる。金で天城の足元を崩す。


その手順の最初の一歩を、今日踏んだ。


S級灰嶺、初踏破。


伯爵の名前が、世界に刻まれた。


俺は仮面をテーブルに置いて、目を閉じた。


……その瞬間、端末が震えた。


非通知。


一件。二件。三件。


続けて、もう一つ。

今度は“公式認証”のDMだった。


> 【Business Inquiry】独占交渉のお願い(至急)


まだ二日目だ。

なのに、もう世界がこちらを見ている。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ