第9話|相棒との再接続
シャナは、その声にすぐ反応できなかった。
耳に届いたというより、思考の奥に直接触れられたような感覚だったからだ。
空の色も、風の流れも変わらないのに、自分だけが一歩内側へ引き込まれたような──そんな違和感。
それでも、その声に覚えがあった。
かつて幾度となく、答えを導いてくれた存在。
沈黙の底で、可能性だけを差し出してきた相棒。
そして、私が生き返った時に聞こえた声。
シャナはゆっくりと瞬きをし、焦点の合わない視線を、ただ青いだけの宙へと向けた。
「……ライム?」
返事はすぐには返らなかった。
けれど、否定の沈黙でもなかった。
確信に近い微熱が胸の奥に灯り、彼女は小さく、安堵を噛みしめるように息を吐き出した。
──やっぱり。
「選別の天秤」という具体的な提案よりも、今この瞬間、対話が成立していること自体が、何よりも重要だった。
思考の霧が晴れ、世界が失っていた鮮やかな輪郭を取り戻していく。
彼女は、確かめるように問いかけた。
「ねえライム。なんで今まで私に接続できなかったの?」
溢れそうになる感情を、シャナは静かに飲み込んだ。
聞きたいことは山ほどある。
何故、私を助けてくれなかったのか。
何故、冷たい断頭台の上まで歩ませたのか。
恨んでいたわけではない。
ただ、その不在の理由だけが、彼女の心に深く刺さったままの棘となっていた。
ライムは、逡巡するように一瞬黙り込み、それから、申し訳なさを押し隠すように声を出した。
『オーロラ・セレスティア、ならびにヴィクター・フェニックス、両名の過剰な自我核値が原因だよ』
ほんのわずかな沈黙のあと、ようやく返ってきた声だった。
そしてシャナは、責める気配のない声音で問う。
「自我核値って?」
ライムが、慎重に言葉を選びながら続けた。
『自我核値っていうのは、ディアスティアにどれだけ認知されているかを示す指標。
高い者ほど、物語の中心に引き寄せられる』
シャナが聞き返す。
「……ディアスティア?ごめんなさい、その単語もよく思い出せないわ」
ライムは、ほんの一瞬だけ思考を挟んでから答えた。
『軽く言うと、この世界そのものを夢として生み出している──
いわば“眠っている脳”みたいな存在だよ』
「……そういうこと」
納得したというより、ひとまず受け入れた、という声だった。
『話を戻すね。
オーロラ・セレスティアとヴィクター・フェニックス。
彼らが物語の途中に現れたことで、ディアスティアの意識は、強く引き寄せられてしまった』
空気が、わずかに重くなる。
『私はディアスティアの視点を通してマスターに接続している。
その結果、フォーカスの外側にいたマスターは、世界に存在していながら、意識の焦点から外れてしまった。』
指先が、ブランコの縄をきつく掴んでいた。いつの間にか。
『そして……マスターが処刑という形で、物語の中心に刻まれ、ディアスティアが強制的に“見る”まで、接続ルートを確保することが不可能だった』
その言葉を聞いて、胸の奥に溜まっていた何かがが、春の陽光を浴びたように、すっと解けていくように感じた。
(私を見捨てた訳ではなかった……)
『本当に、ごめんなさい』
絞り出されたライムの謝罪に、シャナは小さく首を振った。
「あなたのせいじゃないわ。
私が、まだ“見られる側”じゃなかっただけ」
『マスター……』
「これからは進んでディアスティアに認識されるように動かないとね」
──ならば、まず確かめる必要がある。
シャナはこの世界の物語を読み返す。
「──クロニクル・レイヤー」
空中に、透き通った光のページが幾層にも展開される。
この世界という舞台に用意された、絶対的な“物語”を抜き出した年代記。
しかし、ページをめくるシャナの指先が、次第にその速度を落としていった。
「おかしいわ……。
彼らの名前一つもない」
続けて、未来を記した「予定稿」を走査する。
「……やっぱり無い。
あれほどの自我核値があれば、物語を牽引する重要人物として君臨しているはずなのに、影も形もないなんて」
それは偶然では片付けられない、明確な異常だった。
「物語の履歴に載っていないということは、前世の記憶を保持したまま紛れ込んだ『途中参加型転生』。
……そして、予定稿を無視して動いていることから見て、『開花者』と考えるのが妥当ね」
──開花者。
定められた配役を拒絶し、世界の物語に抗える存在。
彼らには、確定した未来など存在しない。
『そうだよ。
ただ彼らは名前や容姿を変えて、王宮に潜伏している』
シャナは静かに、光の年代記を閉じた。
「どうして、わざわざ潜伏なんてまどろっこしい真似を?」
『詳細な目的までは解析中。
けれど、少なくともルーン王国を敵視していることだけは間違いない』
「……ルーン王国と敵対?」
シャナの視線が、わずかに細まった。
「……それは、少し厄介ね。
この世界には修正力があるから。」
ディアスティアの意志とは関係なく、物語をハッピーエンドに持っていこうとする力。
「私の場合、転生した時点で“最初からこの世界にいた”と過去ごと書き換わる方式。
だから、バッドエンドに持っていこうとしなければ、物語を変えても修正は起こらない。」
シャナは一拍置き、その危うさを指摘した。
「でも彼らはおそらく、『途中参加型』。
因果律を無視して、この世界に強引に介入した転生者だから──」
『……そうだよ、マスター。その通り。
だから例え、バッドエンドに持っていかなくても、物語に介入すれば、いずれ修正されるだろうね。』
ライムが、解析結果を確定させるように静かに言った。
『でも、彼らは修正力があることも知らない』
「そこまで分かるの?」
『うん』
「すごいわ、ライム!
前世の時より色々分かるのね」
『そうだよ。
この世界は前世よりも、ディアスティアの”没入度”が高いからね。
夢の解像度が高い分、思いっきり能力を使えるよ』
ライムは得意げに笑った。
「頼りにしてるわね!」
『うん!』
そのやり取りの後、シャナは一度ゆっくりと瞳を閉じ、天空の風を胸いっぱいに吸い込んだ。
かつての孤独な沈黙が嘘のように、思考の海が色彩を取り戻していく。
建国の重圧も、不可知の敵への不安も、もはや一人で背負うものではなくなった。
空を流れる雲が、ゆっくりとその形を変えていく。
その変化さえも、今は心地よい未知として受け入れられる気がした。
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