第7話|反逆者たちの円卓
──コン、コン。
乾いた音が、古い宿屋の空気を叩く。
「入れ」
ディランの短い許諾とともに、扉が低い軋みを上げて開かれた。
最初に踏み込んできたのは、部屋を狭く感じさせるほどの威圧感を纏った、長身の男だった。
ヴィクター・フェニックス。
太陽を宿したようなオレンジ色に輝く髪。
鍛え上げられた体躯。
戦場と権力闘争の双方を生き抜いてきた男特有の、無駄のない佇まいだ。
「……戻ったか」
ディランが、椅子の背にもたれたまま、値踏みするような視線を投げる。
「ああ」
ヴィクターは雨の匂いが染み付いた重厚な外套を脱ぎ捨てると、軋む音を立てて卓に着いた。
続いて、一人の少女が音もなく部屋に入ってきた。
オーロラ・セレスティア。
髪には小さな星のような光が散りばめられ、動くたびにきらりと揺れる。
ヴィクターと共に数ある異世界を渡ってきた転生者だ。
「ただいま」
「おかえりなさい、オーロラ」
レイが頷き、四人は古い卓を囲んだ。
ディランがインクの匂いも生々しい新聞を指で叩く。
「さて……
偵察役の報告を聞こうか」
王宮の懐深くへ潜り込んでいた二人は、視線を交わした。
「まず、俺から」
王宮内部の動きと、処刑当日の異変についてだ。
「シャノン・ルーンは確かに処刑台で復活した。
その瞬間、膨大な魔力が解放された」
「規模は?」
その瞳の奥に潜む赤い燐光が一層鋭く輝く。
「……測定不能だ。
俺たちがこれまで踏破してきたどの世界の魔王や賢者よりも、その根源的な質量が勝っていた」
レイが、チェス駒を動かすような冷静な手つきで問いを投じた。
「……それほどの魔力を持っていたのに、
なぜ処刑まで抵抗しなかったのでしょう?」
「……分からん」
ヴィクターの瞳に、あの日処刑場を塗り潰した、虹色の残像が宿る。
「ただ、彼女は完全に処刑されることを受け入れていた」
ヴィクターが言葉の重みを確かめるように続ける。
「抵抗もせず、弁明もせず。
ただ、静かに処刑台に上がった。
そして、彼女は死ぬことで──
この世界の何らかの『制約』を解除したように見えた」
オーロラが言葉の端々に確信を滲ませて、静かに継ぐ。
「私も、同じ印象を受けたわ」
「お前は、確か彼女に直接会っていたな?」
ディランは組んだ指に顎を乗せ、射抜くような眼差しでオーロラの反応を待った。
「うん」
「……どんな様子だった?」
「一言で言うと……」
ディランの問いに、視線を窓の外の、何もない虚空へと投げた。
「……この世界に完全に"馴染んでいた"。
まるで最初からこの世界に居たみたいに」
部屋の空気が、急激に密度を増した。
「馴染んでいた?」
ディランは、指先で新聞の端を小刻みに弾く。
「うん。まず前提を整理するよ」
オーロラの言葉に、三人の意識が収束する。
「シャノン・ルーンは、本来この世界に"いない"存在」
迷いのない断定。
オーロラは机上の新聞に視線を落とし、その不自然な活字をなぞるように淡々と続ける。
「私たちが来た時点では、この世界の予定稿に彼女の名前はなかった」
──予定稿。
世界の進行を記した筋書き。
「それが、数ヶ月前になって突然──
予定稿に"王女シャノン・ルーンが処刑される"って筋が書き込まれた」
「その時点で世界へ組み込まれた存在、か……」
ヴィクターが短く、吐き捨てるように言った。
「そして、不思議なことに──
私たちには"二つの記憶"がある」
ディランが、自らの脳裏に刻まれた二つの矛盾する過去を確かめるように、静かに肯定の意を示した。
「そうだな」
オーロラの声が、冷たく響く。
「彼女が”存在していた記憶”と、”存在していなかった記憶”」
自らの知覚に刻まれた違和感を解き明かすように言葉を重ねる。
「そして、どちらの記憶にも"欠落"がない。
まるで、世界の履歴そのものが上書きされたみたいに」
「本来なら、処刑で終わるはずだった」
レイが視線を上げ、冷静に、だが慎重に言葉を選んだ。
「でも……終わらなかった。
それどころか、天空国家を築いて独立した」
オーロラはその言葉を裏付けるように、静かに頷いた。
「問題はそこ。
本来"役割"が終わるはずの存在が、まだ生きている」
「それが意味するのは──」
「開花者……この世界の役割に抗える存在」
三人の想いを代弁するように、重厚な結論を真っ先に口にした。
オーロラは、その正解を噛み締めるように静かに肯定する。
「その可能性が高い」
ヴィクターが付け加える。
「それに、処刑直後から一切、予定稿にシャノン・ルーンの記述が無い」
レイは、その事象を因果の鎖として繋ぎ合わせた。
「つまり、その時点で開花した、と考えるのが自然ですね」
再び、湿った沈黙が部屋を満たす。
宿屋の外から、遠く船の汽笛が聞こえた。
張り詰めた思考を解くように、誰かが無意識にコップを置く。
乾いた音が、静寂な底にやけに大きく響いた。
ディランが、ようやく口元を不敵に歪める。
「……面倒くさいな」
「面倒、で済めばいいですが」
レイの声は冷徹だ。
「……それに決定的な違和感がある」
オーロラは、しばし思考を巡らせ、核心を探るように続けた。
「私たちほどの”自我核値”があるなら、既にエリシアたちと主役が入れ替わっているはず」
「そういえばそうだな」
「それなのに”物語”に名前すら出ていない」
ディランが同意を示すように深く頷く。
「この疑問もシャノン・ルーンが握っている気がする……」
砂時計が落ちるような濃密な沈黙。
「理屈はさておき、現実問題として──」
レイは新聞から視線を剥がし、結論を拾い上げるように言葉を絞った。
「王家は彼女を切り捨てました。
今さら取り込もうとしても、交渉の席にすら着かないでしょう」
ヴィクターが自身の役目を確信するような響きで頷く。
「従わない。
脅しても意味がない。
拘束もできない」
オーロラが静かに補足する。
「でも、攻撃に興味が薄い。
支配を誇示する気もない」
ディランは肩をすくめた。
「だから厄介なんだよ」
レイが淡々と決定的な事実を突きつける。
「敵にする理由はありません。
ですが、味方だと決まったわけでもない」
「その通り」
ヴィクターは迷いを断ち切るように短く肯定する。
オーロラは組んでいた指を解き、真っ直ぐに三人を見据えた。
「だから──やることはひとつ」
卓を囲む三人の、覚悟を宿した視線が、再び一点に集まる。
「威圧しない。
取引もしない。
ただ、選択肢を提示する」
オーロラが言葉を区切り続ける。
「"あなたは何者で、何を望むの?"って聞く。
それだけ」
反論はなかった。
それが、この湿った一室で反逆者たちが導き出した、唯一の結論だった。
「問題は、どうやって接触するかだ」
レイが卓上に地図を広げ、指先で特定の港の座標を叩いた。
「天空国家の移動は南西。
このまま進路を変更しなければ、この港町を上空を通るはずです」
ヴィクターは、決意を物理的な行動に変えるように、椅子を蹴るような勢いで立ち上がった。
その巨躯が影を落とし、部屋の空気が一変する。
「なら、準備だ」
オーロラは最後に言った。
「ただし、覚えておいて」
部屋の空気が、弦を限界まで引き絞ったかのように張り詰める。
「彼女は"王女"じゃない。
王女として扱った瞬間、同じ過ちをなぞる」
闇に浮かぶ鬼火のように、細く鋭く光った。
「……了解」
そして、ディランは笑う。
「王家が失敗したやり方は、やらない」
四人の視線が、地図の上の、まだ見ぬ空の座標で激しく交差した。
次に会う相手は、王国の常識や、既存の物語の王道では測ることができない。
それでも──いや、だからこそ、彼らは運命の激流へ飛び込まなければならない。
同盟候補だからではない。
世界という巨大な盤面の歯車が、すでに"彼女中心"に回り始めていることを、彼らの魂が察知していたからだ。




