第4話|ディールの輝き
(……私は、生きている)
シャナは、己の掌を見つめた。
指先で踊る光の粒子は、抑えきれない生命力を孕んでいる。
「何が起きた!」
「確かに首を切り落とされたはずなのに…!」
「生き返ってたぞ!」
玉座に深く沈んでいた王が、椅子の軋む音を立てて身を乗り出した。
「……なっ、何がどうなっている!」
エリシアの頬から、完璧に塗り固められた血色が引いていく。
「お姉様が……生き返った……?」
女王は喉を鳴らそうとするが、言葉は形を成さず、ただ驚愕の震えとなって消えた。
この凍りついた静寂を切り裂いたのは、レオナルドの、悲鳴にも似た怒号だった。
「呪いだ!やつは闇魔法に手をかけたんだ!!」
禁忌の闇魔法にだけ、死を欺く術がある ──その刷り込まれた教えだけが、彼の壊れかけた正気を支えていた。
だが、シャナは一瞥もくれない。
広場を埋め尽くす民衆のざわめきが、波紋のようにその質を変えていく。
「見ろ……人が生き返るなど、神への冒涜だ!」
「悪魔だ! 美しさに化けた異形が憑いているんだ」
人々の瞳には、剥き出しの敵意が宿る。
しかし、その波の中に、誰かの震える独白が混じった。
「……馬鹿を言うな。あんなにも清冽な光を放つ闇が、どこにある」
「あれは、神の所業ではないのか?」
広場は凪のような畏敬に包まれ始める。
人々の混乱をよそに、シャナはゆっくりと息を吸い込んだ。
胸の奥で、何かが“還流”しているのが分かる。
熱でも、冷気でもない。
──世界そのものと、皮膚の内側で触れ合っている感覚。
前世の記憶の断片に触れたことで、
その感覚に呼応するように、シャナの内側から奔流となって魔力が滲み出した。
それは周囲の空間を侵食し、世界の彩度を強制的に引き上げていく。
足元の石畳が、低周波を上げた。
王の咆哮が響く。
「騎士団! 魔法士!
あの女を拘束しろ! 今すぐだ!」
だが、騎士や魔法士たちは即座に動けなかった。
本能という名の鎖が、彼らの四肢を縛り付けていた。
剣を握る拳が、震動を止めることができない。
詠唱を紡ごうとする唇は、高濃度の魔力に圧し潰されて声にならない。
それでも、王命は絶対だ。
数名の騎士が、断末魔のような気合を吐き出し、剣を振り上げた。
そのとき。
──パキッ。
硬質な、けれどあまりにも脆い音がした。
「……え?」
直後。
バキィィンッ!
剣が、完全に砕け散った。
金属片が宙を舞い、石畳に降り注ぐ。
詠唱もない。
視線すら、向けていない。
それなのに、剣だけが崩壊していく。
「剣が……!」
騎士たちは、逃げるように後退した。
(悪いけど……今は邪魔されたくない)
騎士団の後方で、エイダンは静かに息を呑んだ。
(やはり……彼女は……)
彼だけが、この光景に驚いていなかった。
まるで、こうなると確信していた者だけが見せる静けさだった。
王はもはや取り付く余裕もなく、叫ぶ。
「魔法士ども、何をしている!
あの女を拘束しろ!」
王の絶叫に呼応し、上級魔法士たちが決死の面持ちで魔力を練り上げる。
緻密な幾何学模様の術式が展開され、多重の詠唱が重なり合った。
上級魔法士たちが、一斉に魔力を解放する。
──だが。
魔法は、発動しなかった。
「……な……?」
構築されたはずの魔力が、
放たれる前に、霧散する。
いや──違う。
奪われたのだ。
彼らの魔力は吸い上げられるようにシャナへと還流する。
上級魔法士たちは糸が切れた人形のように次々と膝をついた。
水、木、炎、光──
あらゆる属性の色彩が、すべて溶け合い、ひとつの虹色へと変質していく。
そして、シャナの内側に収まりきらなくなった魔力が、淡い光となって滲み出した。
(この感覚、懐かしい)
誰かが、掠れた声で漏らした。
「虹色に……世界が、塗り替えられていく……」
その光に呼応し、彼女の形さえもが聖域へと変容していく。
最初に変わったのは、瞳だった。
伏せられていた長い睫毛が上がった瞬間、
光が割れた。
七色が重なり、反射し合う。
宝石の内部を覗き込んだような、虹色の輝き。
次に、髪が波打った。
風など吹いていない。
ただ彼女から溢れ出す魔力の奔流が、一本一本を虹の糸へと染め上げていく。
染まる、というより──
魔力が、そのまま色として現れている。
「髪が……」
「虹色に……?」
人々の声から、恐怖が削ぎ落とされ、純粋な驚異だけが残る。
玉座に座る者たちは、もはや言葉を紡ぐ権利さえ奪われたかのように立ち尽くしていた。
やがて、一人の老学者が掠れた声で呟く。
「……虹色の魔力……」
「光を分け、重ね、反射する性質……」
別の者が、はっと息を呑む。
「まさか……」
「ディールの、輝き……?」
『ディールの輝きを宿す者、
世界の頂点に君臨する』
その言葉が落ちた瞬間。
怒号に満ちていた広場から、音が消えた。
全員が、ただ見惚れ、祈り、恐れた。
やがて、ひとりの老人が震える膝をつき、古い神託が記憶の底から引きずり出された。
「神託が……本当に……」
太陽よりもなお鮮烈な七色の輝き。
それはかつて、この国の祖が跪いたという、創世の光そのものだった。
王族席で、エリシアが凍りついた。
「……うそ……」
「そんな……そんなはず……っ」
瞳に蓄えていた嘘の涙も、計算された憐れみも、この絶対的な光の前では灰となって消えていた。
隣のレオナルドは、言葉を発しようと唇を震わせるが、舌が痺れたように動かない。
(何が、どうなっているんだ……)
誰もが知っていたはずの、しかしおとぎ話として埋もれていた神託。
それが今、肉体を持ち、圧倒的な現実として顕現していた。
「……空、眩しいな」
シャナの唇から、小さな溜息のような言葉が零れた。
その虹色の瞳は、もはや地上の喧騒を映してはいない。
彼女が見つめるのは、ただ一点。
──誰の記述も届かない、あの果てしなく高い、自由な空だった。




