第28話|秘密の夜⑴
聖宮のテラスは、夕暮れ時の穏やかな風に包まれていた。
ディアンは椅子に背を預け、遠く地平線に沈みゆく夕日を眺めながら、ふと思い出したように口を開いた。
「そういえば、第一聖王子と第二聖王子が見当たらないな。この数日、一度も顔を合わせていない気がするぞ」
その問いに、オーロラが手元のティーカップを口に運んでから答えた。
「長男は聖域巡礼で遠征中。次男の聖王子は学園の寮にいるから、帰って来れないらしいよ」
オーロラの答えは簡潔で、どこか他人事のような響きがあった。
「そうか。
だが、聖域巡礼なら分かるけどさ。
次男の方は……学園にいるって言っても、初等部だろ?
顔出すくらいはできたんじゃないのか?」
「どうだろうね。神殿の判断じゃない?」
ディアンは、納得できない様子で小さく眉をひそめた。
一方で、オーロラは隣に立つ少年の様子に気づき、声をかけた。
「レイ、どこ見てるの?」
「いえ、街の方が賑やかで。あんなに遠くなのに、笑い声がここまで届きそうな気がして」
レイモンドの視線の先、聖宮の麓に広がる城下町は、数多の提灯と魔導ランプで彩られていた。
それはまるで、深い夜の闇に宝石箱をひっくり返したような、眩いばかりの輝きを放っている。
「街では今、一週間かけて、新しい聖王子──レイの誕生を祝う祝祭が開かれているんだよ」
「君が主役のパーティーっていうわけ」
オーロラの説明を聞いて、レイモンドは少し申し訳なさそうに視線を落とした。
「私のために……。
あの明かりの下には、たくさんの屋台が出ているのですよね?」
レイモンドの瞳が、期待に小さく揺れた。
「屋台巡りしたいのか?」
ディアンに真っ直ぐ覗き込まれ、レイモンドは慌てて首を振った。
「いえ、なんでもありません。私が出歩くわけにはいきませんから」
レイモンドは自分に言い聞かせるように微笑んだが、その横顔には隠しきれない寂しさが滲んでいた。
オーロラとディアンは、一瞬だけ無言で顔を見合わせる。
彼女は少しだけ楽しそうに、企みを含んだ視線をディアンに投げた。
その夜、聖宮が深い静寂に包まれる頃。
レイモンドとディアンが共に過ごす寝室の窓を、コンコン、と小さく叩く音がした。
ベッドの中でまどろんでいたレイモンドが驚いて顔を上げると、そこには塀に腰掛けたオーロラの影があった。
「ディアン、レイ、起きて。遊びに行くよ。準備はできてる?」
「オーロラか。待ちくたびれたぜ」
ディアンは最初から分かっていたように跳ね起きると、驚くレイモンドに民衆が着るような簡素な服を放り投げた。
オーロラの囁き声に、パジャマ姿のレイモンドが飛び起きた。
「ディアン様、オーロラ様!? こんな夜更けにどうしたんですか」
「どうしたもこうしたもない。花火を見に行くんだよ」
ディアンはそう言って、レイモンドに民衆が着るような簡素な服を放り投げた。
「こんなことしたら、バレて怒られてしまいますよ!」
「大丈夫だよ。私が虚像魔法をかけてあげるから。他の人達には、今のレイは別人の少年に見えるはずだよ」
オーロラが事も無げに指先をパチンと鳴らすと、淡い光がレイモンドを包み込んだ。
「さあ、行こう。君が行きたいって言ってた屋台、片っ端から案内してあげる」
三人は隠し通路を抜け、夜の帳に紛れて聖宮を脱出した。
城下町の入り口では、落ち着かない様子で周囲を警戒している少年の姿があった。
「お前ら、誰にも見られてないだろうな?」
ヴィクターだ。
普段の騎士の制服を脱ぎ捨て、一般市民のふりをした装いで立っていた。
「うん。大丈夫。完璧に欺いてきたよ」
「よし、じゃあ行くぞ。今夜だけは羽目を外していい」
一歩街の中へ踏み出すと、そこは昼間のような明るさと熱気に満ちていた。
香ばしい肉の焼ける匂い、至る所で奏でられる楽器の陽気な音色。
「すごい……! みんな楽しそうですね」
レイモンドの瞳が、見たこともないような輝きで周囲を追う。
「おい、お前ら。はぐれなよ!」
ヴィクターの言葉に、四人は並んで歩き、珍しい屋台を片っ端から巡っていった。
オーロラは「これ、意外と美味しい」とわたあめを淡々と平らげていく。
ディアンは、くじ引きをしていたが、見事に、全てハズレた。
ガラガラと虚しく響く抽選器の音を聞いて、ヴィクターがおちょくる。
「ハハハッ!残念だったな〜。日頃の行いってやつだ」
「くっ……」
「ディアン、その残念賞のお菓子、全部私にちょうだい!」
オーロラは、ディアンの手元にある残念賞の菓子袋をちらりと見やると、何の前触れもなく、ひょいっと指先でつまみ上げた。
「あ」
ディアンが間の抜けた声を出した。
「おい、返せ」
「じゃあ、これあげる」
それは、オーロラがどっかの屋台で買った、見るからに禍々しい色をした「地獄の激辛焼き鳥」だった。
オーロラはそれを、吠えているディアンの口に、躊躇なく、無理やり押し込んだ。
「んぐっ!? ……カハッ、……な、ッ!!! 辛っっっっ!!!!」
ディアンは顔を真っ赤にし、物理的に口から火を吹かんばかりの勢いで悶絶した。
「お、お前……! よくもやってくれたな!! 水、誰か水を……ッ!!」
ディアンは、のたうち回りながら、傍らで爆笑しているヴィクターに狙いを定めた。
「おい、ヴィクター、道連れだ!!」
「なんで俺なんだよ!バッ、よせ、こっちに来るな!!」
ディアンは激辛のタレがついた手でヴィクターを掴もうとし、取っ組み合いを始めた。
「あ!あっちのチョコバナナも美味しそう」
二人の横で、オーロラは涼しい顔をして、既に次の屋台を見定めている。
あまりにも無秩序で、けれど最高に騒がしい三人の姿を見ていたレイモンドから、思わず笑いがこぼれる。




