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第25話|白銀の境界線⑵




 しかし、覚醒したばかりの彼の魂は、主を失ったストレスに耐えられなかった。


 深夜。


 レイモンドは激しい悪夢にうなされる。


──知らない国。

──崩れ落ちる白亜の城壁。

──逃げ惑う人々の背中。


 燃え盛る街を背景に、絶望的な悲鳴が空を埋め尽くす。


 レイモンドは、意識のないまま神聖力を暴走させた。


 部屋の装飾品が震え、窓ガラスにヒビが入る。


 それを察知した護衛の騎士が部屋へ入ってきた。


「レイモンド様!」

「神聖力が暴走している!」

「すぐに教皇様を呼ぶんだ」


 しばらくして。


「……レイモンド!」


 騒ぎを聞きつけた教皇が部屋に踏み込み、その強大な神聖力で暴走を抑え込んだ。


 レイモンドは汗だくで目を覚まし、教皇の腕の中で肩で息をしていた。


「……こんなことは、以前にもあったのですか?」


「……いえ。ディアン様と一緒にいた時は、一度も……ありませんでした」


 教皇はその言葉を聞き、少年の依存の深さと、その裏にある力の不安定さを悟った。


(早急に、あの少年をここに呼ばねばならんな……)



 翌朝。


 差し込む柔らかな陽光に目を覚ましたレイモンドを待っていたのは、慌ただしい足音だった。


「レイモンド様、お目覚めでしょうか」


 扉が開き、専属使用人のメアリーを先頭に、数人の使用人たちが一斉に部屋へ入ってくる。


 困惑するレイモンドをよそに、彼女たちは手際よく着替えの準備を始めた。


「本日は祝祭の日。まずは教皇様と共に『始まりの礼拝堂』にて祈りを捧げることになっております」


 なされるがまま、レイモンドは白銀と金の礼装に着せ替えられ、静寂に包まれた聖宮の最深部へと導かれた。



 高い天井と七色の光が差し込む礼拝堂には、白銀の法衣を纏った教皇が穏やかに佇んでいた。


 その正面には、言葉を失うほど美しい石像が安置されている。


「この国の守護神、女神レフィーナ様です。さあ、こちらへ。共に祈りを捧げましょう」


 教皇に倣い、レイモンドは女神像の前で静かに膝をついた。


 目を閉じ、組んだ指先に力を込めた瞬間、視界が真っ白に塗りつぶされた。


 像から溢れ出したのは、凍えた体温を溶かすような、圧倒的に温かな白銀の奔流。


 それは確かな「祝福の光」だった。


 すると、レイモンドに、今あるべきはずのない記憶の断片が浮かんできた。



 どこまでも透き通った空の下、雲海が白くうねっていた。


 その上を、巨大な虹色の鯨がゆっくりと泳ぐ。


 自分たちを見下ろす、天を覆うほどの巨大な目。


 そして、万物の価値を量るかのように、静かに揺れる銀色の天秤。



 感嘆の声を上げる教皇の傍らで、レイモンドは光に包まれながら不思議な感覚に陥っていた。


 自分がここにいることを、世界が優しく肯定してくれているような。


 そんな温かな確信に、レイモンドは静かに満たされていた。



 礼拝が終わると、余韻に浸る間もなく、彼は再び使用人たちの手によって大広間へと連れ出された。


 巨大な扉が開かれた瞬間、数千の視線と地を揺らすような拍手がレイモンドを襲った。


 教皇に導かれ、壇上へと進む。


 煌びやかなシャンデリア、上位貴族たちの羨望の眼差し。


 教皇が新たなる聖王子の誕生を宣言した後、レイモンドの視界に、信じられない姿が飛び込んできた。


 そこには、正装に身を包んだディアン、そして母サラと父アダムが立っていた。


 本来なら国家レベルの行事には、上位貴族しか参加できないが、教皇が特命でブラッドベリー男爵家を呼び寄せたのだ。


「レイ!」

「ディアン様……っ!」


 レイモンドは、聖王子としての矜持も忘れ、壇上から駆け下りた。


 再会の喜びを分かち合う時間は短かったが、アダムはレイモンドの手を取り、力強く頷いた。


「レイモンド君、立派になったな。

……これからは、ディアンが君の盾になる。私たちの息子を、よろしく頼むよ」


「はい……はい、お父様!」


 レイモンドの瞳に、ようやく生きた光が戻った。


 そんな感動的な再会の場に、涼やかな声が割り込んだ。


「少しよろしいでしょうか?」


 一人の令嬢が声をかけてきた。


 その少女は、夜の星空をそのまま織り込んだような不思議な色の髪を持ち、ジト目気味の瞳には、子供とは思えない冷徹な知性が宿っていた。


 その傍らには、太陽を宿したような髪を持ち、若くして完成された、鋭い眼差しを持つ少年が控えていた。


「これから、レイモンド様のペイジになることになりました、オーロラ・セレスティア・クロスウェルです。以後お見知り置きを」


「そして、その婚約者のヴィクター・フェニックス・シュバリエです。私はペイジではありませんが、王子の学友として、これから共に魔法訓練に参加する許可を教皇様より頂いております。以後、よしなに」


 二人を見た瞬間、レイモンドとディアンの背筋に、氷を押し当てられたような激しい「既視感」が走った。


(……こいつら、なんだ?)


(初めて会うはずなのに、どこかで……ずっと前から知っているような気がする)


 オーロラとヴィクター。


 二人の放つ空気は、この華やかで温かな再会の祝祭の中で、そこだけ時間が止まったような、異質な影を落としていた。




 祝祭が幕を下ろそうとしていた頃、別れの時が来た。


 レイモンドとディアンは、聖宮に残る。


 サラとアダムは、男爵領へと戻らなければならない。


「ディアン、元気にやるのよ。

 わがままを言ってレイちゃんを困らせちゃだめよ。

 これからは、あなたがレイちゃんを守る番なんだからね」


 サラが涙を拭いながら、ディアンの頬を優しく撫でる。


「わかってるよ、お母様。俺、絶対にこいつを守る魔法騎士になるから」


「また会えるからな。……頑張るんだぞ、二人とも」


 アダムが二人の肩を、砕けんばかりに強く抱きしめた。


 走り去る男爵家の馬車を、レイモンドとディアンは並んで見送った。


 夕闇に包まれる聖宮。


 その巨大な建物の影の下で、二人は再び、固く手を繋いだ。


 守る者と、守られる者。


 聖王子の物語は、この白銀の檻の中から、本当の産声を上げた。





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