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第22話|名をくれた手⑵




 腕の力が驚くほど強い。


 ぎゅっと身体が圧迫され、息が詰まりそうなのに、不思議と苦しさは感じなかった。


 むしろ、その圧迫感こそが、自分がここにいてもいいという証拠のように思えた。


「一緒に湯浴みに行こう! その後は、庭で一緒に遊ぶぞ!」


 レイモンドはまた、ぎこちない、けれど先ほどよりは確かな笑顔を浮かべた。


「……はい」


 案内された湯浴みの部屋。


 お湯は驚くほど熱くて、そして眩しかった。


 髪にこびりついていた汚れが落ち、肌に刻まれていた傷が丁寧に洗われていく。


 曇った鏡に映った自分は、まるで別人みたいに白く、清潔だった。


 用意された新品の服に袖を通す。


 布地が信じられないほど柔らかい。


 ディアンが脱衣所から覗き込み、感心したように声を上げた。


「レイ! お前、本当に可愛いな。見違えたぞ」


 また、頭を撫でられる。


 レイモンドは嬉しくて、耳の先まで熱くなるのを感じた。


 ディアンはそれを見て、ますます上機嫌に笑顔を広げた。


「よし、庭行くぞ!」


 広大な庭で、二人は庭園の迷路へ入り出口を目指した。


 金色の髪が優しくなびく。


 頬を打つ風が冷たくて、けれどそれが飛び上がるほど気持ちよかった。


「ふふっ」


 くすぐったいような笑い声が、喉から自然に漏れ出たことが、自分でも信じられなかった。


 そして、夜。


 ディアンの父が仕事から帰宅した。


「お父様! おかえり!」


 ディアンが玄関まで駆け出し、父アダムの胸へと飛び込んだ。


「ただいま、ディアン。今日は一段と元気がいいな」


「えへへ〜」


 アダムは息子を抱き上げたまま、傍らに立つレイモンドに視線を向けた。


「今日から従者になったという子は、その子か?」


 ディアンが得意げに胸を張る。


「うん! レイモンドって言うんだ。俺が名付けたんだぞ」


 アダムは一瞬だけ驚いたように目を見開いたが、すぐに表情を崩し、柔らかく笑った。


「そうか。ディアンが名を……」


 それから、レイモンドへ向けて穏やかに告げた。


「レイモンド君も、今夜一緒にディナーをしよう。新しいブラッドベリー家の家族の歓迎会だ。盛大に祝おう。期待しておいてくれ」


 ディナーの席は、これまでの人生で知ったどんな場所よりも温かかった。


 色とりどりの料理が並び、心地よい笑い声が絶え間なく響く。


 少年は、今日一日でどれだけレイモンドが素晴らしい子だったかを、興奮気味に両親へ話し続けた。


「レイはコーンスープを飲むと笑顔になるんだ! その笑顔がとっても可愛いんだよ。それから庭園の迷路もすぐ突破して──」


 アダムは楽しそうに頷きながら応じる。


「そうかそうか。ディアンはレイモンド君が大好きなんだな」


 サラは微笑みながら、そっと給仕に耳打ちした。


「コーンスープをレイちゃんに持ってきてあげて」


 レイモンドの前に、再び黄金色のスープが置かれた。


 立ち昇る湯気。胸の奥が、じんわりと、熱いほどに温かくなっていく。


 だが、アダムは少しだけ声を落とし、厳格な父親の顔に戻った。


「だがディアン、護衛の目を盗んで一人で外出して危ない真似をしたのはいただけない。罰として、しばらく外出禁止だ」


 ディアンが露骨に肩を落とした。


「そんなー。明日、レイと街巡りしたかったのに……」


 サラがその様子を見て「ふふっ」と楽しげに笑った。


 レイモンドは、その幸福な光景をただじっと見つめていた。


(……これが、家族)


 かつては物語の中だけのものだと思っていた空間が、今、目の前にある。


 ずっと、ずっとここにいたい。


 レイモンドはまた、ぶきっちょな笑顔をこぼした。それを見て、テーブルを囲む三人も同時に笑みを零す。


 ディアンが椅子から身を乗り出した。


「レイ! 今日は一緒に寝ような!」


(……一緒に)


 夜。


 レイモンドは、ディアンの広い自室へと案内された。


 これまでに見たこともないほど大きなベッド。吸い込まれるような柔らかい布団。


 慣れない環境に緊張して眠れないのではないかと思ったが、ディアンは当然のような顔をして布団へ潜り込むと、レイモンドの身体をぐいと引き寄せ、腕を回した。


 抱きしめられる。


 自分を救ってくれた手の温もりが、背中から、胸から、ダイレクトに伝わってくる。

 ディアンはレイモンドの髪を撫でながら、静かな夜の闇の中で言った。


「レイ、これからはずっと一緒だからな。俺がお前を守ってやる」


 その誓いの言葉が、レイモンドの心の最深部へと、静かに、けれど深く落ちていった。

 重いのに、不思議と怖くはない。


 レイモンドは、その圧倒的な肯定感と温かさに浸りながら、ゆっくりと、深く、目を閉じた。


 生まれて初めて。


 明日という日が来ることを、少しだけ、信じることができた。




ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

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