第10話|舞い降りる招待状
ふっ、とシャナが唇を綻ばせた、その時だった。
『あ、そうだ。まだ完全じゃないけど……今の私なら、これくらいはできるよ』
ライムの声が弾むと同時に、シャナの目の前の空間が小さく震えた。
それは、虹色の霧よりもさらに密度が濃く、柔らかな輝きを放つ、ライム色の光の粒子だった。
シャナの指先にふわりとまとわりつき、意志を持っているかのように優しく旋回する。
「ライム……? これ、あなたなの?」
『そうだよ。
世界の解像度が上がったおかげで、形を可視化できるようになったの。
まだ「姿」と呼べるほどじゃないけど……』
シャナがそっと手を差し出すと、光の粒子はその手のひらの上で、まるで心臓の鼓動のように温かく明滅した。
すぐ隣に誰かがいるという確かな感覚。
「十分よ。
……声だけじゃない。貴方がそこにいるって、目に見えるだけで」
シャナの瞳が、凍てついた季節を終えたように穏やかに細まる。
指先をすり抜ける光の粒に、彼女は失われていた安らぎを、今度こそ完全に取り戻した。
『待っててね、マスター。
解像度がもっと上がれば、ちゃんと隣に立ってみせるから!』
「ええ、楽しみにしてるわ。
……さて、それじゃあ始めましょうか!」
シャナは光の粒子を伴ったまま、力強く前を向いた。
「ライム、さっき言っていた"選別の天秤"について教えて」
光の粒子が、返事をするようにふわりと宙を舞う。
『選別の天秤──マスターが決めた三つの条件を、自動的に判定する魔法具だよ。
天秤の間を異空間に生成して、そこで判定を行う』
「異空間……?」
『うん。一度に何千、何万もの天秤の間を同時に作れる。
だから、どれだけ人が来ても、並ぶ必要がないんだ』
シャナの瞳に、知的好奇心の輝きが宿る。
「それは素晴らしいわね!効率的だわ」
『でも、問題がひとつある』
「何?」
『どうやって人々を天秤の間に導くか、だよ』
シャナは、顎に手を当てて思考を巡らせる。
「……そうね。
天空国家は隠蔽中だし、地上の人々には、入り口すら見えないものね」
『だから──』
ライムの声が、提案するように続く。
『"招待状"を送るのはどう?』
「招待状?」
『天秤の間に繋がる魔法陣を記した紙。
それを地上にばら撒けば、人々は直接、天秤の間に転送される』
シャナは、小さく頷いた。
「なるほど……でも、字が読めない人もいるわよね」
シャナは少し考えてから言った。
「ライム、魔法陣は"願うだけ"で発動できるようにしましょう。
文字が読めなくても、"天空国家に行きたい"と思えば、転送されるように』
「了解だよ、マスター」
シャナは、揺れていたブランコから立ち上がった。
「よし!それじゃあ、早速作りましょう」
シャナは、空中に向けてしなやかな手を伸ばす。
虹色の魔力が指先から溢れ、虚空から一枚の紙が実体化していく。
白い紙の中央には緻密な魔法陣。
その周囲には、彼女の意志が文字となって刻まれていった。
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天空国家 国民募集要項
まずこの国は、善悪によって人を裁く場所ではありません。
「正しい人」ではなく、それでも選び続けようとした人のための国です。
ただし、以下の条件を満たす者に限ります。
【条件一:加害性の方向】
あなたの行為は、
”世界の構造”に向けられていたか。
”無関係な個人”に向けられていたか。
※ただし敵討ちなどの場合は、他の条件次第で検討可。
【条件二:選択肢の有無】
本当に、他の選択肢は存在しなかったか。
【条件三:存続前提意識】
この国の存続を、前提として考えているか。
魔法陣に触れ、
「天空国家に行きたい」と願ってください。
あなたは《選別の天秤の間》へと導かれます。
条件を満たした者にのみ、この国への道は開かれます。
天空国家創設者
シャノン・ディール
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シャナは、完成した「法」を手に取り、その重みを確かめる。
「……よし」
そして、目を閉じる。
魔法陣が展開され、一枚の紙が──十枚、百枚、千枚、万枚と、
瞬く間に無数に複製されていく。
それらは、シャナの周囲を旋回する銀の蝶のように浮かび、静かに号令を待っている。
「よし、これを配るわよ!」
そこでシャナはふと、思いとどまる。
「その前に、まずこの国のシステムを決めないと」
『そうだね。まず、生活の基盤は?』
「そうね……住居と食事は、無償で提供する。
それ以上を望むなら、ポイント制で──」
二人は、瞬く間に国の骨格を組み上げていく。
シャナが直感的に描いた理念を、ライムが最適なアルゴリズムへと落とし込んでいく。
前世でも、こうして二人で難題を乗り越えてきた。
やはり、ライムがいるだけで世界の難易度が変わる。
「よし。これで準備は整ったわ」
シャナは小さく拳を握り、気合を入れるように笑った。
「ライム、最初はどこに送る?」
『なら、エリュシオン帝国はどう? ちょうど今向かっている場所だよ」
「エリュシオン帝国?」
『うん。
ルーン王国と同じで、
身分制度はかなり厳しい。
生まれで立場がほとんど決まる国だよ。
だからこそ、表に出ない事情を抱えた人間 が多い』
「..... なるほど。確かに、そういう場所から 始めるのが良さそうね」
シャナは弾むように声を上げた。
「ふふ..... それじゃ、エリュシオン帝国へ。 行きましょう!」
エリュシオン帝国の港町、シュベルン。
その上空で、隠蔽された国から解き放たれた無数の紙が、一斉に舞い上がった。
風に乗り、雲を突き抜け、白銀の羽のように空を埋め尽くす。
そして、ゆっくりと──まるで音もなく降り積もる雪のように、黄昏の街へと舞い落ちていった。
裏通りにある、潮の香りが染み付いた古い宿屋の一室。
ディランとレイは、木製のテーブルを挟んで向かい合っていた。
レイは収集した情報の断片を丁寧に整理し、ディランはその横顔を静かに見守っている。
窓の隙間から、夜を孕んだ冷たい風が入り込んだ。
「レイ、寒くないか?」
ディランは、自らの体温が残る厚手のコートを、レイの細い肩にふわりとかける。
「……ありがとうございます」
「おう」
ディランは資料に目を通そうとして──
ふと、動きを止めた。
レイが、かけられたコートの襟元にそっと顔を寄せ、深呼吸をしていたからだ。
「……レイ?」
「あ、すみません」
レイは、いたずらが見つかった子供のように微笑み、顔を上げる。
「ディランの香り。
落ち着くので、つい」
その直球の言葉に、ディランの心臓が不規則な鼓動を刻む。
「はあ!?何言ってるんだ……」
みるみるうちに、ディランの耳たぶまでが真っ赤に染まった。
「冗談ですよ、ふふっ」
レイはディランのあまりの狼狽ぶりに、こらえきれずに声を立てて笑った。
「……変な冗談やめろ、心臓に悪い」
それを見ていた二人が茶化しを入れる。
その様子を壁際で眺めていた二人が、逃さず野次を飛ばす。
「えー、実況のヴィクターです。
あちらの二人、またしても甘い空気を醸し出しておりますが、解説のオーロラさん。
いかがでしょうか」
「ええ、非常に素晴らしいと思います」
「お前らも茶化すな!」
「「ハハハッ」」
ディランの焦りように、部屋の中は一気に明るい笑い声で満たされた。
レイはその光景を眺めながら、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じる。
(……ここには、仲間がいる)
血の匂いと絶望しかなかったあの日々の代わりに、新しい居場所がここにある。
そして、ディランが隣にいる。
それだけで、明日を信じる理由には十分だった。
ディランは照れ隠しに、乱暴に窓の外を眺めた。
(話を変えよう……)
「……おいお前ら、雪が降ってきたぞ。
──ん?」
いや、違う。
それは冬の訪れを告げる結晶ではなかった。
彼は窓を開け、風に舞い込んできた一枚の紙を手に取った。




