第5話 商売繁盛
あなたなら、どちらを選ぶだろうか?
甘い言葉で飾られた破滅か、それとも苦い言葉と共に差し出される救済か。
王都の人々は、どうやら後者を選び始めたらしい。
「ボス、今日の売上っす!」
「集計終わりました! 経費差し引いて純利で金貨80枚です!」
元気な声と共に、泥だらけの少年たちが執務室に入ってくる。
彼らはスラムの孤児たちだ。
かつては路地裏で観光客の財布を狙っていた彼らを、私はまとめて雇用した。
といっても、慈悲深い慈善事業ではない。
「ご苦労様。ルカ、計算が合ってるわね。トト、こっちの帳簿は字が汚いから書き直し」
「へい! すんません!」
私は彼らに「読み書き」と「計算」を叩き込み、手足として使っている。
彼らは街の裏道に精通しており、情報の収集や伝達において大人よりも優秀だ。
報酬は金貨ではなく、屋敷の離れでの寝食と、将来への教育。
彼らにとって、それは金よりも価値ある「生きる術」だった。
「ヴィオラ様、また依頼の申し込みが来ております。隣国の宝石商からです」
セバスチャンが銀盆に載せた手紙を持ってくる。
私はため息をつきながら、それを「保留」の箱に放り込んだ。
「後回し。今は『西の荒れ地』の開拓計画が先よ」
私の机の上には、王都西部に広がる不毛の地の地図が広げられている。
ここは、相談料が払えなかった没落貴族から担保として巻き上げた土地だ。
岩だらけで耕作には向かないと放置されていたが、前世の知識を持つ私には宝の山に見えた。
「地質調査の結果、あそこは良質な粘土層があるわ。煉瓦工場を作りましょう。王都の人口増加に伴い、建材の需要は高まる一方だから」
「さすがはお嬢様。転んでもただでは起きませんな」
「転んだつもりはないわ。私はただ、手元にある資産を最大効率で運用しているだけ」
金は貯め込むものではない。回すものだ。
工場ができれば雇用が生まれ、孤児たちの就職先にもなる。
彼らが自立してくれれば、私の老後の安泰にも繋がる。
全ては私のための、極めて利己的な投資だ。
……それなのに。
「ボスのおかげで、俺たち人間らしい暮らしができてます!」
「一生ついていきます、姐さん!」
少年たちがキラキラした目で私を見上げる。
違う。
私はあなたたちを搾取している悪徳経営者なのよ。
なんでそんなに忠犬みたいな目で見るの。
「……さっさと仕事に戻りなさい。無駄口を叩く時間は給料に入れないわよ」
「はいっ! 行くぞお前ら!」
少年たちは風のように去っていった。
私はこめかみを押さえた。
おかしい。悪女として恐れられる計画が、どんどんズレていく。
◇
その夜。
私は執務室で一人、新しい事業計画書を練っていた。
窓の外は漆黒の闇。
屋敷の周囲は静まり返っているはずだった。
ガシャーン!
突然、1階の窓ガラスが割れる音が響いた。
続いて、怒号と悲鳴が聞こえてくる。
「なにごと!?」
私はペンを置き、立ち上がった。
襲撃か。
私の成功を妬む輩か、あるいは高額な相談料を逆恨みした客か。
護身用の短剣を懐に忍ばせ、部屋を出ようとした時だった。
「お嬢様、出ないでください」
廊下の暗闇から、セバスチャンが音もなく現れた。
その手には、普段は見せない鋭利なナイフが握られている。
「鼠が入り込んだようです。ですが、心配には及びません」
「……鼠にしては騒がしいわね」
「ええ。躾のなっていないドブネズミですが、すでに掃除は終わりました」
終わった?
私が怪訝な顔をしていると、階下から野太い声が聞こえてきた。
「確保ぉぉッ!!」
「痛え! 放せ! 俺は貴族の使いだぞ!」
聞き覚えのある声だ。
騎士団長ガウェインの部下たちだ。
私はセバスチャンの制止を振り切り、階段を降りた。
玄関ホールには、惨めな光景が広がっていた。
黒装束の男たちが数名、縄でぐるぐる巻きにされて床に転がっている。
その周りを取り囲んでいるのは、筋骨隆々の騎士たちと――手にパチンコや棒切れを持った孤児たちだった。
「あ、ボス! こいつら裏庭から入ろうとしたんすけど、俺らが仕掛けた落とし穴にハマってました!」
リーダー格のルカが得意げに報告してくる。
「落とし穴……?」
「へへ、防犯用に掘っておいたんすよ。そしたら騎士の旦那たちが来て、あっという間に捕まえてくれて」
騎士の一人が兜を脱ぎ、私に敬礼した。
「ヴィオラ様、夜分に失礼しました。ガウェイン団長より『ヴィオラ様の屋敷周辺を重点警備せよ』との命令を受けておりまして。不審な動きを察知して駆けつけました」
「……そう」
私は捕縛された男たちを見下ろした。
彼らは安っぽい雇われゴロツキのようだ。
「誰の差し金?」
私が冷たく問うと、男の一人が震えながら叫んだ。
「ば、バーンズ伯爵だ! お前が調子に乗っているのが気に食わないと……聖女リナ様を悲しませる悪女に天罰をと……」
バーンズ伯爵。
王太子派の取り巻きで、リナの狂信的な支持者の一人だ。
借金まみれのくせに、リナに高価な宝石を貢いでいるという噂の。
「くだらない」
私は吐き捨てた。
逆恨みもいいところだ。
自分の無能さを棚に上げて、私を排除しようとするなんて。
「衛兵に突き出しなさい。不法侵入と器物破損、きっちり償ってもらうわ」
「いえ、その必要はない」
玄関の扉が開き、夜風と共に一人の男が入ってきた。
その場にいた全員が――騎士たちさえもが、息を呑んで道を空ける。
王弟リアム殿下。
今夜もまた、闇に溶け込むような黒いコートを纏っている。
ただし、その表情はいつもの気だるげなものではなく、凍てつくような冷笑を浮かべていた。
「殿下……?」
「こんばんは、ヴィオラ。騒がしくしてすまないね」
リアムは私の前まで歩み寄ると、まるで散歩の途中でゴミを拾ったかのような軽さで言った。
「バーンズ伯爵家なら、先ほど終わったよ」
「……はい?」
「彼が長年行っていた横領と脱税の証拠が揃ったのでね。今頃、憲兵が屋敷に踏み込んでいるはずだ。爵位剥奪、全財産没収。当然、君への襲撃を依頼した罪も加算される」
私は絶句した。
仕事が早すぎる。
というか、この襲撃に合わせてタイミングを計っていたとしか思えない。
「君に害をなす虫は、私が駆除すると言っただろう?」
リアムは私の頬に飛び散った(実はインクの)黒い染みを、親指でそっと拭った。
その指先は冷たいが、触れ方は恐ろしいほど優しい。
「君の安全は国家の利益だ。……そして、私の精神安定のためにもね」
「……頼んでません」
「知っている。だが、これは私が勝手にやったことだ。礼には及ばない」
床に転がるゴロツキたちが、リアムの顔を見てガタガタと震え出した。
「影の大公」の噂は、裏社会の人間にとってこそ恐怖の対象なのだ。
「連れて行け。全て吐かせて、鉱山送りにしろ」
リアムが短く命じると、影から現れた彼の直属の配下たちが、ゴロツキたちを音もなく引きずっていった。
騎士たちも、孤児たちも、その手際の良さに圧倒されて言葉を失っている。
玄関ホールに静寂が戻った。
「さて」
リアムは空気が変わったように、ふわりと笑った。
「掃除も終わったことだし、お茶でも頂こうか。今日は眠るためではなく、君の新しい事業の話を聞きに来たんだ」
「……深夜料金、割増しですよ」
「構わない。私の全財産を投じても惜しくない」
彼は慣れた様子で、いつもの特等席へと向かっていく。
私はその後ろ姿を見つめ、深いため息をついた。
外堀が埋まっていく。
騎士団長を味方につけ、孤児たちを手懐け、そして国の影の支配者が私のボディガードを自称している。
これでは「嫌われ者の悪役令嬢」どころか、「聖域の女主人」ではないか。
「セバスチャン、最高級の茶葉を。……どうせ金はたっぷり取れるんだから」
私は諦めて、リアムの元へ向かった。
彼が待つソファの隣には、なぜか当然のように私の席が空けられていた。
逃げ場のない甘い閉塞感が、心地よいような、恐ろしいような。
商売繁盛は結構なことだ。
だが、その代償として支払っているのは、私の「平穏な独身生活」なのかもしれない。




