第4話 聖女の暴走
「『ひどいですぅ! ヴィオラ様が、お金のないかわいそうな人を追い返したって聞きました!』……と、聖女様が王太子殿下に涙ながらに訴えたそうです」
朝のティータイム。
執事のセバスチャンが、無表情で王宮からの密偵レポート(という名の井戸端会議のまとめ)を読み上げた。
私は焼きたてのスコーンを喉に詰まらせそうになった。
急いで紅茶で流し込み、呆れたため息をつく。
「……相変わらずね、リナは。自分の脳内ファンタジーを現実に持ち込まないでほしいわ」
「左様でございますね。その結果、王太子殿下よりこのような書状が届いております」
セバスチャンが銀のトレイに乗せて差し出したのは、王家の紋章が入った封筒だ。
ペーパーナイフで開封し、中身を一読する。
『元婚約者ヴィオラへ。
聖女リナの悲しみはお前の罪だ。
直ちに悪徳商売を中止し、民衆のために無料で奉仕せよ。
さもなくば、さらなる厳罰を与える』
インクの滲み具合から、セドリック殿下が怒りに任せて書きなぐったことが分かる。
私は読み終えた手紙を丸め、そのまま暖炉の火の中へ放り込んだ。
「あ」
「あら、手が滑ったわ」
私は優雅に微笑んだ。
セバスチャンも「では、届かなかったということで」と即座に頷く。
「無料奉仕なんて、冗談じゃないわ。タダで手に入るものに、人は価値を感じないの。それに、依存を生むだけよ」
「おっしゃる通りです。しかし、聖女様は諦めていないご様子。広場で『対抗イベント』を開催されるとか」
私は窓の外を見た。
王都の中央広場の方角から、何やら騒がしい音楽と歓声が聞こえてくる。
「……勝手にやっていればいいわ。私は私のやり方で稼ぐだけ」
私は決めた。
これ以上、変な客や王宮からの干渉を受けないために、敷居を高くする。
「誰でもウェルカム」ではなく、「選ばれた者だけのサロン」にするのだ。
「セバスチャン、看板を書き換えて。これからは『完全会員制』よ。相談料は金貨30枚。紹介状のない一見さんはお断り」
「承知いたしました。……これなら、さすがに客足も途絶えるでしょう」
セバスチャンは期待を込めて言った。
私もそう願っている。
金貨30枚は大金だ。
それを払ってまで、私ごときの説教を聞きたい物好きはいないはずだ。
◇
それから数日。
私の読みは、半分当たり、半分外れた。
客足は確かに減った。
しかし、その代わりに「質」が変わった。
深夜に忍んでくる貴族や、偽名を使う大商人が増えたのだ。
彼らは皆、金に糸目をつけず、誰にも言えない悩みを抱えていた。
おかげで私の懐は潤い、屋敷の修繕も進んだ。
一方で、広場の聖女リナの「無料お悩み相談会」は、別の意味で大盛況となっていたらしい。
らしい、というのは、その被害者が私のところへ逃げ込んでくるようになったからだ。
「ヴィオラ様……助けてください……!」
その日、裏口から転がり込んできたのは、街でパン屋を営む女性だった。
以前、私の屋敷にパンを配達してくれた縁があり、顔見知りだ。
彼女はやつれ果て、目は充血していた。
「どうしたの? 相談料は高いわよ」
「払います! お店の権利書を担保に入れてでも! だから……夫を、店を救う知恵をください!」
彼女がテーブルに叩きつけたのは、なけなしの貯金袋だった。
金貨30枚には届かないが、その必死さは本物だ。
私はため息をつき、セバスチャンに目配せして茶を用意させた。
「話してみて」
彼女は涙ながらに語り始めた。
「店の経営が苦しくて、夫と喧嘩ばかりしていたんです。それで、広場の聖女様の相談会に行きました。無料だし、聖女様の奇跡なら何とかしてくれるかもって……」
「それで? リナは何て?」
「聖女様は言いました。『お金なんてなくても、愛があれば幸せですよ! 旦那様の手を握って、毎日感謝の言葉を伝えましょう☆』って……」
私は頭痛がしてこめかみを押さえた。
予想通りの回答だ。
「それで、夫に実践したの?」
「はい……。でも、夫は『借金取りが来てるのに、何を寝言を言ってるんだ!』って激怒して、余計に仲が悪くなって……。そしたら聖女様が店に来て、『旦那様の心が荒んでるのは、パンに愛が足りないからです! 私が祈りを込めますね!』って、売り物のパンに聖水を振りかけたんです!」
「はあ?」
私は素っ頓狂な声を上げてしまった。
パンに水。
一番やってはいけない組み合わせだ。
「パンは全部ベチャベチャになって売り物にならなくなりました……。聖女様は『これで浄化されました!』って笑顔で帰っていって……。夫は絶望して、酒に溺れてしまいました。もう、どうしたらいいか……」
女性はテーブルに突っ伏して泣き崩れた。
これはひどい。
善意による破壊活動だ。
悪意があるならまだ対処のしようがあるが、本人は「良いことをした」と信じているからタチが悪い。
私は扇子を閉じた。
怒りが湧いてくる。
それはリナに対してではない。
そんな馬鹿げた理屈がまかり通る、この世界の不条理に対してだ。
「……泣くのはおよしなさい。涙で借金は減らないわ」
私は冷たく言い放ち、帳簿を取り出した。
「金貨30枚には足りないけれど、今回は特別に『出世払い』で契約してあげる。その代わり、私の言う通りに動きなさい」
「は、はい……!」
「まず、ベチャベチャになったパンを『聖女様の聖水入り・奇跡のラスク』として焼き直して売りなさい。信者相手なら高値で売れるわ」
女性が目を丸くする。
「そ、そんなことが……」
「転んでもただでは起きないのが商売人でしょう? 聖女の知名度を利用するのよ。そして、その売上で新しい小麦を仕入れて、今度は『悪魔的なまでに美味い、バターたっぷりのクロワッサン』を作りなさい」
私はペンを走らせ、レシピと販売戦略を書き記したメモを渡した。
「愛だの浄化だの、曖昧な付加価値はいらない。客が求めているのは、カロリーと糖分、そして背徳感よ。夫にはこう言いなさい。『一緒に地獄へ落ちる覚悟で、最高に美味いパンを焼こう』って」
女性はメモを受け取り、呆然としていたが、やがてその目に力が戻った。
「……悪魔的な、パン」
「そう。人は清廉潔白なものより、少し悪いものの方に惹かれるの。今の私のようにね」
私がニヤリと笑うと、女性もつられて笑った。
涙で濡れた顔だが、その笑顔は強かった。
「ありがとうございます、ヴィオラ様! 私、やってみます。聖女様のラスクで稼いで、悪魔のパンで店を立て直してみせます!」
彼女は何度も頭を下げて帰っていった。
その背中は、来た時よりもずっと逞しかった。
◇
その後、街では奇妙な現象が起きた。
聖女リナの無料相談会は、連日のトラブル続きで閑古鳥が鳴くようになった。
「借金を返せと言ったら『お金への執着を捨てて』と言われた」
「病気の子供を連れて行ったら『笑顔が足りない』と説教された」
そんな悪評が広まり、誰も寄り付かなくなったのだ。
一方で、私の相談室の評判はうなぎ登りだった。
パン屋の夫婦が開発した「悪魔のクロワッサン」が大ヒットし、行列ができる店になったからだ。
彼らは完済した借金の証書と、利子代わりの大量のパンを持って、毎週私に挨拶に来るようになった。
「またヴィオラ様の信者が増えましたな」
セバスチャンが呆れたように言う。
私の机の上には、高額な相談料を支払ってでも入会したいという希望者のリストが積み上がっていた。
「……不本意だわ」
私は焼きたてのクロワッサンをかじった。
バターの香りとサクサクの食感が口いっぱいに広がる。
確かに、これは悪魔的に美味しい。
「私はただ、リナの尻拭いをして、適正価格でビジネスをしただけよ。なんで私が『真の聖女』なんて呼ばれなきゃいけないの?」
「民衆は正直ですから。口先だけの愛より、腹を満たすパンをくれる悪女の方がありがたいのでしょう」
セバスチャンが的確な分析を述べる。
私はふん、と鼻を鳴らした。
「勝手に崇めればいいわ。ただし、私の相談室は高いわよ。覚悟のない人間はお断りだもの」
私はリストの次の名前を見た。
そこには、王弟リアムの名前があった。
しかも備考欄に『至急。不眠は治ったが、別の病(恋煩い)にかかったようだ』と書かれている。
「…………」
私は見なかったことにして、リストをそっと閉じた。
クロワッサンが喉に詰まりそうだった。
聖女の暴走よりも、こっちの「魔王」の暴走の方が、よほど深刻な問題になりそうだったからだ。




