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嫌われたい悪女の法外な相談室  作者: 月雅


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第3話 王弟の来訪



私はインクの染みたペンを置き、大きく背伸びをした。


深夜二時。

屋敷は静まり返り、聞こえるのは暖炉の薪が爆ぜる音だけだ。

「悪役令嬢として優雅に隠居する」はずが、昼間は会員制サロンの準備、夜は帳簿整理に追われている。

前世の社畜根性が染み付いているせいか、暇ができるとつい仕事を探してしまうのが私の悪い癖だ。


「お嬢様、そろそろお休みになっては?」


セバスチャンが夜食のホットミルクを持って現れた。

この老執事は、いつ寝ているのか不思議なくらい常に控えている。


「ありがとう。これを飲み終えたら寝るわ」


そうカップに手を伸ばした時だった。


ドォン、ドォン。


重く、腹に響くような音が玄関から響いた。

ノックというよりは、扉の強度を確かめるような叩き方だ。

セバスチャンの目が鋭くなる。

老兵としての空気を纏い、無言で私を背にかばった。


「……こんな時間に?」

「尋常なお客様ではなさそうですな。私が追い返してきましょう」

「待って」


私は窓の隙間から外を覗いた。

月明かりの下、フードを目深に被った男が一人立っている。

微動だにしないが、その立ち姿には隙がない。

同時に、どこか今にも崩れ落ちそうな危うさも感じた。


「通して。私の勘が『客だ』と言ってるわ」


セバスチャンは渋い顔をしたが、主人の命令には逆らわない。

警戒態勢を解かずに扉を開けた。


入ってきた男は、泥のように重い空気を纏っていた。

濡れたフードを脱ぐと、整ってはいるが血の気のない顔が現れる。

銀色の髪は乱れ、紫色の瞳は焦点が定まらずに揺れている。

そして何より、目の下のクマが濃い。

三日は寝ていない顔だ。


男は私を見るなり、ふらりとソファへ倒れ込むように座った。

不敬極まりないが、そんなことを気にする余力もなさそうだ。


「……ここが、噂の相談室か」


声は低く、威圧感がある。

だが、その奥には隠しきれない疲労が滲んでいた。

着ているコートの生地、指に光る指輪の意匠。

どう見ても高位貴族、下手をすればそれ以上だ。

関わりたくない相手ナンバーワンである。


私は扇子を開き、あえて尊大に振る舞った。


「営業時間外よ。それに予約のないお客様はお断りしているの」

「金なら払う」

「貴方の悩みを聞くには、深夜料金を含めて金貨50枚いただくわ。嫌ならお帰りを」


相場の500倍。

さすがに怒って帰るだろう。

そう思った瞬間、男は懐から革袋を取り出し、テーブルに放り投げた。

ジャラリ、という重い音が、私の計算を狂わせる。


「……足りるか?」

「…………」


足りるどころか、お釣りが来る。

私はため息をつき、セバスチャンに目配せをした。

金を受け取った以上、プロとして仕事をするしかない。


「いいでしょう。それで、貴方の悩みは?」

「眠れない」


男は短く答えた。


「あらゆる薬を試した。魔法も、聖女の祈りも試した。だが、目を閉じると思考が止まらない。誰かが私の首を狙っている気配がして、意識が覚醒するんだ」


「なるほど」


私は彼を見る。

ただの不眠症ではない。

極度の人間不信と、過剰な防衛本能による神経の摩耗。

常に誰かに命を狙われる立場の人間――やはり、相当な重要人物だ。


「貴方は賢すぎるのね」


私が言うと、男が怪訝そうに眉を寄せた。

紫の瞳が私を射抜く。


「どういう意味だ」

「周りの人間が全員、敵か無能に見えるでしょう? 食事には毒が入っているかもしれない、寝室には刺客がいるかもしれない。そうやって24時間、脳の警戒アラートが鳴り止まない」


男の指先がピクリと動いた。

図星だ。

彼は腰の剣に手を伸ばしかけ――そして、力なく落とした。

私を斬る気力さえ残っていないのだ。


「誰のことも信用できない人間に、安眠なんて訪れるわけがないわ。貴方に必要なのは薬じゃない。『ここは安全だ』という確信よ」


私は立ち上がり、棚から数種類の乾燥ハーブを取り出した。

ラベンダー、カモミール、そして微量のバレリアン。

前世の知識で配合した、最強のリラックスブレンドだ。


「飲んで」


湯気を立てるカップを差し出す。

男は警戒したように中身を睨んだ。


「……毒か?」

「金貨50枚も払ってくれる上客を殺してどうするの? 毒殺なら、もっと安上がりにやるわよ」


私の軽口に、男は虚を突かれたような顔をした。

そして、フッと自嘲気味に笑う。


「違いない」


彼はカップを口に運んだ。

毒見もせずに。

どうせこのまま眠れないなら死んだ方がマシ、とでも思っている投げやりな態度だ。


しかし、一口飲んだ瞬間、彼の肩から力が抜けた。


「……なんだ、これは。体が……熱い」

「血行が良くなってるだけよ。さあ、そこのソファに横になりなさい。今夜の警備は私の家の老兵セバスチャンがやるわ。彼は貴方の近衛兵より優秀よ」


男は抗おうとしたが、瞼が鉛のように重くなっていた。

私の言葉が暗示のように染み込んでいく。

ここは利害関係のない場所。

金で雇われただけの、ドライな関係。

だからこそ、裏切られる心配がない。


「君は……魔女、か……」


男は呟き、そのまま深い闇へと落ちていった。

数秒後、規則正しい寝息が聞こえ始める。


「やれやれ」


私は空になったカップを受け取り、肩をすくめた。

セバスチャンが毛布を掛けながら、苦笑している。


「お嬢様、この方をご存知ないのですか?」

「知らないわよ。知りたくもない」

「……左様でございますか」


セバスチャンは何か言いたげだったが、賢明にも口を閉じた。


 ◇


翌朝。


小鳥のさえずりと共に、男は目を覚ました。

飛び起きるように上半身を起こし、周囲を見渡す。

そして、自分の手が震えていないことに気づき、驚愕の表情で掌を見つめた。


「……寝たのか? 私が?」


「おはようございます。追加料金は頂きませんから、安心して」


私が朝食のトーストをかじりながら声をかけると、男は信じられないものを見る目で私を見た。


「頭が……軽い。霧が晴れたようだ」

「それは良かったわね。お帰りはこちらよ」


私は扉を指差した。

長居は無用だ。

しかし、男は帰ろうとしない。

むしろ、興味深そうに私を凝視し始めた。

獲物を見つけた肉食獣のような目だ。


「名前は?」

「ヴィオラです。ただの銭ゲバ女ですので、お見知り置きなく」

「ヴィオラか。……面白い」


男は立ち上がり、私に近づいてきた。

昨夜の死にかけの病人はどこへやら、圧倒的な覇気と色気が溢れ出している。

危険だ。

本能が警鐘を鳴らす。


「金貨50枚の価値はあった。いや、それ以上だ」


彼は私の手を取り、指先にうやうやしく口付けた。

貴族の礼儀作法だが、その視線は熱っぽい。


「私はリアムだ。また来る」

「いえ、もう来ないでくださ……」

「必ず来る」


リアムと名乗った男は、ニヤリと笑って去っていった。

その背中は、来た時とは別人のように力強かった。


バタン、と扉が閉まる。

私はその場にへたり込んだ。


「……セバスチャン」

「はい」

「リアムって、まさか……現国王陛下の弟君で、冷酷無比と恐れられる『影の大公』のリアム殿下?」

「そのまさかでございます」


私は頭を抱えた。

一番関わってはいけない人間を、完治させてしまった。

しかも「また来る」と宣言された。


「どうして私の隠居計画は、こうもハードモードなのかしら……」


テーブルに残された金貨の山が、慰めにもならず輝いていた。

私の相談室は、今日から国の重要機密スポットになってしまったようだ。

聖女リナがこのことを知ったら、また面倒な騒ぎになるに違いない。


けれど、逃げる場所はない。

私は覚悟を決めて、二杯目の紅茶を飲み干した。

次に来た時は、倍額……いや、三倍額を請求してやる。


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