第2話 初の顧客
王都の酒場では、まことしやかに囁かれているらしい。
『北の森の廃屋敷には、魂と引き換えに真実を教えてくれる魔女がいる』と。
なんとも失礼な話だ。
魂なんて取らない。取るのは現金だけだ。
しかも私の屋敷は森の奥ではなく、貴族街の外れにあるだけなのに。
「……で? 貴方がその『魂を売りに来た』二人目のお客様?」
私は扇子で口元を隠し、目の前の巨漢を見上げた。
執事のセバスチャンが通した男は、部屋の入り口で頭をぶつけそうなほど大柄だった。
鍛え上げられた筋肉、歴戦の傷跡が残る顔、そして腰に帯びた剣。
王宮騎士団長、ガウェイン伯爵だ。
本来なら、謹慎中の悪役令嬢が口を利いていい相手ではない。
彼がその気になれば、私をその場で斬り捨てることもできるだろう。
「カルロの紹介だ」
ガウェイン団長は重々しい口調で言った。
その手には、ずっしりと重そうな革袋が握られている。
「あいつが言っていた。ここに来れば、解決の糸口が見つかると。……藁にもすがる思いなんだ」
私はため息をこらえた。
あの商人カルロめ、余計なことを。
感謝の手紙と一緒に高級な絹織物を送ってきたと思ったら、次は厄介ごとの種まで送ってくるとは。
私は冷たく突き放すことにした。
騎士団長なんて権力の中枢だ。関われば、元婚約者のセドリック殿下や、あの聖女リナに見つかるリスクが高まる。
「お帰りください。私はただの謹慎中の令嬢です。騎士団のご相談に乗る義理はありません」
「金なら払う!」
ガウェイン団長が革袋をテーブルに叩きつけた。
先日のカルロと同じパターンだ。
「金貨20枚だ。私の私財をかき集めた。これで話を聞いてくれ!」
私は眉をひそめた。
前回の倍だ。
相場の200倍とも言える。
断るつもりだったが、チラリと見えた金貨の輝きに、私の「経営者としての魂」が反応してしまった。
それに、この男の顔色はあまりに悪い。
目の下のクマはカルロ以上で、今にも倒れそうだ。
「……セバスチャン、椅子を」
私は諦めて指示を出した。
まあいいわ。話を聞いて、適当に無理難題を言って追い返せばいい。
金貨20枚あれば、屋敷のボロボロな屋根を修繕できる。
ガウェイン団長は椅子が軋む音と共に座り込み、深々と頭を抱えた。
「部下が……言うことを聞かんのだ」
質実剛健で知られる騎士団長の口から出たのは、意外にも中間管理職のような悩みだった。
「私の指導不足なのは分かっている。だが、最近の若手は緊張感がなさすぎる。訓練には遅刻する、装備の手入れは怠る、注意すれば『パワハラだ』と反抗する……。このままでは魔獣討伐で死人が出る」
「原因は何だか分かっていらっしゃるの?」
私が尋ねると、ガウェイン団長は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「……聖女様だ」
「リナが?」
「ああ。彼女が騎士団によく顔を出すのだ。『みんな頑張ってて偉いですね☆』と差し入れを持ってくる。それだけなら良いのだが……」
彼は拳を握りしめた。
「彼女は言うんだ。『怪我をしても私が治してあげるから、無茶しても大丈夫だよ!』と。そのせいで、若手たちは防御を捨てて突っ込むようになった。傷つくことを勲章だと勘違いし始めたんだ」
なるほど。
容易に想像がついた。
あの脳内お花畑のヒロインならやりかねない。
彼女にとって治癒魔法は無限のリソースかもしれないが、騎士たちの命は有限だ。
痛覚や恐怖心を麻痺させ、無謀な突撃を繰り返させれば、いつか即死級の攻撃を受けて終わる。
「それで? 団長である貴方はどうしたの?」
「注意したさ! 自分の命を大事にしろと。だが、聖女様が『団長さんは心配性すぎますぅ。愛があれば痛みなんて平気ですよね?』と庇うものだから、私の言葉は若手に届かん。私は……ただの口うるさい頑固親父扱いだ」
ガウェイン団長はガックリと項垂れた。
国の守護者がこの有様とは。
私は冷めた紅茶を一口飲み、扇子をパチンと閉じた。
「甘いわね」
「なっ……」
「貴方がよ、ガウェイン様。貴方は部下に嫌われることを恐れているでしょう?」
図星だったのか、彼がビクリと肩を震わせる。
「貴方はリナ……聖女の言葉を否定できない。彼女は王太子の婚約者候補で、国の象徴だから。だから部下に対しても強く出られず、物分かりの良い上司を演じている」
私は身を乗り出し、彼の目を真っ直ぐに見据えた。
「それが一番の罪よ。貴方の優柔不断さが、部下を殺すの」
「ぐっ……!」
「いい? 金貨20枚分の助言をしてあげる。心して聞きなさい」
私は指を三本立てた。
「一つ。聖女の立ち入りを制限しなさい。『軍事機密エリア』を指定して、許可なき部外者を排除するの。聖女だろうが王太子だろうが、現場の指揮権は団長の貴方にあるはずよ」
「し、しかし、それでは王太子殿下が……」
「『部下の安全管理のため』と言えばいいわ。反論されたら『では殿下が全責任を負って指揮を執られますか?』と聞き返しなさい。あの人は責任という言葉が大嫌いだから、すぐに引き下がるわ」
私は二本目の指を折る。
「二つ。評価基準を変えなさい。今までは『魔獣を倒した数』で評価していたでしょう? それを『無傷で生還した回数』と『連携行動の遵守』に変えるの。個人の武勇よりも、生存と規律にボーナスを出しなさい」
「生存に……ボーナス……?」
「そう。金と名誉の基準を変えれば、人は動くわ。そして三つ目」
私は最後の指を立て、意地悪く微笑んだ。
「明日から、貴方は『鬼』になりなさい。無駄口を叩いた部下には罰則を。装備の手入れを怠った者には減給を。聖女に鼻の下を伸ばしている暇があったら、グラウンドを百周させなさい」
「……彼らに恨まれるぞ」
「恨まれなさいよ。それが指揮官の仕事でしょう?」
私は冷たく言い放った。
「好感度が欲しいならアイドルにでもなればいい。貴方の仕事は、彼らと仲良くすることじゃない。彼らを生きて家族の元へ帰すことよ。たとえ『クソ上司』と陰口を叩かれても、彼らが生き残れば貴方の勝ちだわ」
部屋に沈黙が落ちた。
ガウェイン団長は呆然と私を見つめている。
怒るだろうか。
それとも、金貨を返せと暴れるだろうか。
しかし、彼の目には徐々に光が戻っていた。
迷いが消え、剣のような鋭さが宿る。
「……そうだ。その通りだ」
彼は立ち上がった。その巨体が、入室した時よりもさらに大きく見えた。
「私は間違っていた。部下に好かれようなどと……甘えていたのは私の方だ。彼らの命を守るためなら、私は喜んで悪魔になろう」
「分かればよろしい。お帰りはあちらよ」
私はシッシッと手を振った。
ガウェイン団長は深々と頭を下げた。
「ヴィオラ様。貴女は悪女などではない。誰よりも……」
「お世辞は結構。追加料金を取りますよ」
「ふっ。……かたじけない!」
彼は軍人らしい敬礼を残し、風のように去っていった。
◇
それから数日後。
屋敷の扉が再び叩かれた。
また厄介事かと身構える私とセバスチャンの前に現れたのは、部下を数名引き連れたガウェイン団長だった。
ただし、今回の彼は血色が良い。
そして、その後ろには山のような木箱が積まれていた。
「ヴィオラ様! これを!」
「……何よ、これ」
「王都で一番人気の焼き菓子店を買い占めてきました!」
「はあ!?」
ガウェイン団長は豪快に笑った。
「あのアドバイスの後、私は心を鬼にして改革を断行しました。聖女様の立ち入りを制限し、違反者には容赦なく罰を与えたのです。最初は反発もありましたが……先日の遠征で、成果が出ました」
彼は誇らしげに胸を張る。
「負傷者ゼロです。創設以来の快挙だ! 部下たちも『団長のおかげで死なずに済んだ』と泣いて喜んでおりました。彼らからの感謝の印も含まれています」
部下の騎士たちが、キラキラした目で私を見ている。
「この方が、俺たちを救ってくれた女神様か……」なんて囁き声まで聞こえる。
待って。
違う。
私は「あんな甘い騎士団なんて崩壊すればいい」と思って、無理難題を押し付けただけなのに。
「これからは、定期的にご指南を仰ぎたい。無論、相談料は弾みます!」
「いえ、私は会員制にする予定で……」
「では最初の会員になります! なあお前たち!」
「「「はいっ!!」」」
屋敷の前に響き渡る、むさ苦しい男たちの野太い声。
近所迷惑だ。
それに、こんな筋肉集団が出入りしていたら、いよいよ私の「静かな隠居生活」が遠のいてしまう。
「セバスチャン、塩を撒いて」
「おやお嬢様、高級なお菓子ですよ。ありがたく頂戴しましょう」
「裏切り者!」
金貨20枚と山のようなお菓子。
そして「騎士団の守護女神」という不名誉な(?)二つ名を手に入れて、私は頭を抱えた。
私の悪役令嬢計画は、どこで間違ってしまったのだろうか。
遠くの王宮で、聖女リナが「団長さんが冷たいのぉ!」と王太子に泣きついていることなど、知る由もなかった。
次回、さらに厄介な「不眠症の魔王」が来店するなんて、今はまだ考えたくもなかった。




