第9章 名を持たぬ来訪者――合流
境界の街を少し離れた路地で、
エリアスとリュシアは足を止めていた。
さっきまでの話が、
まだ胸の奥に引っかかっている。
責任。
判断。
動けない構造。
考え続けると、
どうしても息が詰まりそうになる。
「……重たいな」
エリアスが、頭をかいた。
「はい」
リュシアも、素直に頷く。
「正直、
あまり気持ちのいい話ではありません」
「リュシアでも?」
「好きで知っているわけではありません」
「必要だから、
覚えただけです」
淡々とした口調が、
かえって現実の重さを際立たせていた。
⸻
「へえ」
——この街では、
声をかけてくる人間の方が異常だ
背後から、
場違いなほど気楽な声がした。
「二人とも、
ずいぶん難しい顔してるね」
エリアスが振り返る。
路地の入口に、
いつの間にか一人の男が立っていた。
軽装。
旅慣れた足取り。
だが――妙に落ち着いている。
「……誰だ?」
警戒すると、
男は軽く手を上げた。
「怪しまれるのは承知ですが」
「レグナ様の使いです」
その名を聞いた瞬間、
エリアスは小さく息を呑んだ。
(監察官の人の……?)
一方、
リュシアの反応はさらに早かった。
一瞬、目を見開き、
言葉を発しかけて――止める。
男が、
ほんのわずかに首を振る。
――言うな。
はっきりと分かる目配せだった。
リュシアは反射的に周囲を確認する。
人通り。
距離。
聞き耳。
問題なし。
「……そのようなお話は、
初めて伺いますが」
あくまで公的な口調で応じる。
男は、にやりと笑った。
「でしょうね」
「でも、
内容は合ってます」
「“境界を見てこい”と」
「必要なら、
現場判断で動け、と」
軽い言い方だった。
だが、命令を受け慣れた者の響きがある。
⸻
エリアスは、慎重に聞く。
「……つまり?」
「合流しろってことです」
男はあっさり言った。
「あなた方と」
リュシアは、低い声で告げる。
「ここは、
安全な場所ではありません」
「承知しています」
男は即答した。
「だから、
名も立場も出しません」
「レグナ様の“使い”」
「それで通してください」
一瞬の沈黙。
リュシアは、わずかに逡巡し――頷いた。
「……分かりました」
エリアスは、二人を見比べる。
「監察官の人の、使いってことで?」
「そういう理解でお願いします」
男は笑った。
「説明が一番早い」
エリアスは、それ以上踏み込まなかった。
ここが境界だということを、
もう理解していたからだ。
踏み込みすぎない。
それもまた、ここでの礼儀なのだ。
⸻
男は、話題を軽く切り替える。
「それにしても」
「さっきの話、
結構好きでしたよ」
「“誰も責任を取らない場所”ってやつ」
「聞いてたのか」
「聞こえちゃいました」
「声、
結構通ってたんで」
「……悪い」
「いえ」
男は笑う。
「ここじゃ、
聞かれて困る人ほど、
何も言わない」
その言葉に、
リュシアは小さく息を吐いた。
「……相変わらず、
軽い言い方ですね」
「軽くしてないと、
重たい場所ですから、ここ」
⸻
男は、名乗った。
「セリウスです」
「今は、
ただの連絡役」
リュシアは、視線を逸らしたまま言う。
「……今は、ですね」
エリアスは、思わず苦笑した。
「なんだよ、それ」
だが――
三人の間に流れる空気は、確かに変わっていた。
重たいものは、まだ残っている。
それでも、
境界の街に、
ほんの少しだけ風が通った。
——それは偶然ではなかった。
誰かが、意図して動かしたのだ。
そんな予感だけが、
確かにそこにあった。




