第49章 教室に残るもの、残らないもの
教室は、いつも通りだった。
午後の光。
椅子を引く音。
紙をめくる音。
何も、変わっていない。
——はずだった。
「……一人、足りない」
カイオンは、小さくそう呟いた。
手元には、名簿がある。
教授から預かった、今学期の出席管理用だ。
彼は、無意識のうちに数を数えていた。
それは癖のようなものだった。
整理する。
確認する。
整合性を取る。
だから、気づいてしまった。
(提出された課題は、全員分ある)
(でも、今ここにいる人数は——)
名簿に視線を落とす。
名前を、一つずつなぞる。
(……この名前)
確かに、前回の課題にはあった。
出席も、していた。
だが今日は。
カイオンは、教室を見回した。
誰も気にしていない。
ざわめきもない。
教授も、何も言わない。
「どうした?」
フェリクスが、隣から覗き込む。
「いや……」
カイオンは、言葉を選んだ。
「数が、合わない気がして」
「気がする?」
「ああ。名簿上は全員いるはずなんだ」
フェリクスは一瞬、眉を上げたが、すぐに肩をすくめた。
「欠席じゃない?」
「……それなら、印がつく」
名簿には、何も書かれていない。
空白だ。
それが、逆におかしい。
⸻
授業は、何事もなく進んだ。
教授は黒板に向かい、
いつも通りの調子で講義を続ける。
出席確認は、行われない。
(……確認、しないのか)
カイオンは、名簿を閉じた。
今、口に出すべきか。
それとも、授業後か。
迷った末、何も言わなかった。
理由ははっきりしている。
証拠がない。
そして——
(もし、本当に欠席だったら)
(俺が、変なことを言っているだけだ)
合理的な判断。
正しいはずの判断。
それでも、胸の奥がざわついた。
⸻
放課後。
ローデリクは、自室で机に向かっていた。
今日も好成績。
教授からの評価も上々。
取り巻きたちは、浮かれた様子で褒めそやす。
「さすがです、ローデリク様」
「最近、無敵ですね」
(当然だ)
ローデリクは内心で笑った。
ノートを開く。
“勉強会”で教わった内容を、復習する。
理解は完璧。
成果も出ている。
——そのとき。
「……ん?」
ペン先が止まる。
(そういえば)
(あの上級生……)
殿下の友人だと言っていた。
身なりも良く、言葉遣いも洗練されていた。
(殿下に会った時、
一緒にいたこと、あったか?)
はっきりとした疑問が浮かぶ。
だが——
「……まあ、いいか」
次の瞬間、その考えは霧のように消えた。
理由は分からない。
どうでもいいことに思えてしまう。
ローデリクは、再びノートに目を落とした。
勉強を続ける。
何も、問題はない。
⸻
同じ頃。
カイオンは、名簿を見つめていた。
名前の一覧。
そこにあるはずの一行が、
なぜか、視界から滑り落ちる。
(……名前、なんだった?)
思い出そうとして、思い出せない。
確かに見た。
確かに数えた。
それなのに。
「……変だな」
呟いた声は、誰にも届かない。
教室の隅に残された、一つの空席。
そこに誰が座っていたのか。
——もう、誰も思い出せなかった。
だが確かに。
今日も一人分、学園から“抜け落ちていた”。
名簿には、まだ名前が残っている。
それが消えるのは——
もう少し、先の話だった。




