第45章 影が形を持つ日
第45章 噂が形を持つ日
教室は、いつも通りだった。
講義前のざわめき。
紙をめくる音。
椅子を引く音。
その中で、リュシアは席に着いていた。
「……ねえ」
隣の席の少女が、
声をひそめて話しかけてくる。
「リュシアってさ」
一瞬の間。
「殿下を追いかけ回してるって、ほんと?」
リュシアの指が、ぴたりと止まった。
「……違います」
すぐに答える。
「そんなこと、ありません」
声は落ち着いている。
だが、内心では冷たい汗が滲んだ。
(もう、そこまで……?)
少女は悪意のない顔で首を傾げる。
「そうなんだ」
「でも、みんな言ってるよ」
「殿下と図書館で話してたとか」
「取り入ってるんじゃないか、とか」
軽い調子。
噂話としての温度。
だからこそ、厄介だった。
「事実じゃないわ」
リュシアは、もう一度だけ言った。
それ以上は、何も言わなかった。
言い訳を重ねるほど、
噂は「面白くなる」ことを、
彼女は知っていた。
⸻
同じ頃。
大広場では、
昼休みの学生たちが集まっていた。
その喧騒の中で――
「ほんと、調子乗ってるよな」
「殿下に気に入られたからってさ」
「身分、分かってないんじゃない?」
その声を、
フェリクスは足を止めて聞いた。
輪の中心にいたのは、ユリアンだった。
腕を組み、
仲間たちに囲まれながら、
笑い混じりに言葉を投げている。
「努力してる風に見せてるだけだろ」
「実際は、コネじゃん」
「殿下に声かけられるたび、
得意げな顔してさ」
事実と違う。
だが、断言口調。
聞く者に、
「本当らしさ」を植え付ける話し方だった。
フェリクスの表情が、
わずかに冷える。
(……なるほど)
(完全に、意図的だ)
そのとき。
背後から、誰かが袖を引いた。
「ねえ」
フェリクスの“彼女の一人”だった。
声をさらに落とし、
耳元で囁く。
「ユリアンね」
「教授にも、同じ話してたわよ」
「あることないこと」
「“問題のある生徒”だって」
短い言葉。
だが、重かった。
「あんまり、いい気分しないわね」
彼女はそう言って、
苦笑した。
フェリクスは、ゆっくりと視線を戻す。
まだ笑っているユリアン。
周囲の、同調する顔。
(学生の噂で終わらせる気は、ないな)
(教授を巻き込む気だ)
フェリクスは、その場を離れた。
だが――
ユリアンから、目を離さなかった。
(しばらく、注視だな)
噂は、もう「噂」ではない。
形を持ち、
人を傷つける準備を始めていた。




