第44章 静かな場所に落ちる影
第44章 静かな場所に落ちる影
図書館は、いつも通り静かだった。
高い天井。
整然と並ぶ書架。
紙とインクの匂い。
窓際の長机で、
カイオンとリュシアは並んで座っていた。
「この補助資料、去年の講義と微妙に違いますね」
リュシアがページをめくりながら言う。
「本当だ」
カイオンは頷いた。
「でも、根本は同じだ」
「教授の言い回しが変わっただけだな」
二人の会話は、低く、必要なことだけを選んで進む。
無駄がない。
競うでも、張り合うでもない。
ただ、学んでいる。
少し離れた場所では――
「ねえ、それでさ」
「聞いてよ、今日の講義」
フェリクスは、
女友達二人と一緒に、
図書館併設のラウンジにいた。
笑い声は抑えめだが、
雰囲気はやけに和やかだ。
「ちゃんと勉強してる?」
「失礼だな」
フェリクスは肩をすくめる。
「必要なことは、ちゃんと頭に入れてるよ」
その言葉を、
冗談とも本気ともつかない調子で言った。
⸻
そのとき。
図書館の奥の書架から、
背の高い青年が姿を現した。
黒髪。
整った顔立ち。
落ち着いた所作。
カッシウスだった。
手にした書を閉じ、
ふと視線を上げたとき――
リュシアに気づく。
一瞬、驚いたように目を細め、
すぐに柔らかく笑った。
「ここにいたのか」
小さく声を落とし、
机の近くまで歩み寄る。
「頑張ってるな」
それだけ。
だが、
それは王子からの、率直な労いだった。
リュシアは一瞬戸惑い、
すぐに背筋を正す。
「……ありがとうございます」
「無理はするなよ」
軽くそう言って、
カッシウスはまた書架へと戻っていった。
短いやり取り。
それだけだった。
⸻
だが。
それを見ていた者がいた。
渡り廊下の影。
数人の上級生。
「今の、見た?」
「殿下、あの子に声かけてたよな」
「またか」
囁き声の中に、
わずかな棘が混じる。
その一人が、鼻で笑った。
「……ユリアンに教えてやろうぜ」
「どうせ、喜ぶ」
彼らもまた、
カッシウスの“ファン”だった。
だからこそ、
面白おかしく脚色する理由があった。
⸻
数日後。
ラウンジで、
フェリクスは女友達からその話を聞いた。
「ねえ、聞いた?」
「渡り廊下で、変な噂が回ってる」
「殿下と、リュシアのこと」
フェリクスは、笑顔のまま、
カップを置いた。
「へえ」
「どんな?」
「なんか……」
「やけに親しい、とか」
「取り入ってる、とか」
言葉を選びながら、
女友達は首を傾げる。
フェリクスは、口笛を吹いた。
「くだらない」
そう言い切る。
だが、その目は笑っていなかった。
(ああ)
(始まったな)
静かな場所ほど、
噂はよく響く。
図書館の静寂の裏で――
小さな影が、確かに伸び始めていた。




