第39章 血は巡り、力は応える
朝の講義室には、柔らかな光が差し込んでいた。
石造りの高い天井。
整然と並ぶ机。
そして、黒板の前に立つ教官の落ち着いた声。
「――本日は、精霊術の基礎理論だ」
ざわり、と小さな緊張が走る。
精霊術。
エイドリアでは、子どもでも名前くらいは知っている分野だ。
精霊とは、
祈れば奇跡を与える神ではない。
世界に元から流れている力。
人はそれを借り、形を与え、そして返す。
学ぶとは、その「線の引き方」を知ることだった。
教官は黒板に、簡素な術式を書いた。
「重要なのは威力ではない。
どこから借り、どこへ返すかだ」
「借りすぎれば、歪む。
返さなければ、滞る」
その言葉に、リュシアは静かに頷いた。
(境界と、同じ……)
一方で、ローデリクは腕を組み、鼻で笑う。
「理屈ばかりだな。
結局は、強い術が使えればいいだろう」
教官はちらりと彼を見る。
「では、君。
簡易術式を」
ローデリクは立ち上がり、杖を構えた。
精霊への呼びかけは荒く、
力を引き寄せる線も太い。
一瞬、空気が震えた――が。
「……あ?」
術は発動しかけて、途中で霧散した。
机の上に置いていた羊皮紙が、ひらりと床に落ちるだけ。
教官は淡々と言う。
「借りる量と、返す先が一致していない」
「力はあるが、扱いが雑だ」
教室に、くすりと小さな笑いが漏れた。
ローデリクは顔を赤くして座り込む。
その様子を、フェリクスが横目で見ていた。
(……ああ、これはあとで拗ねるな)
そして次に、教官が言った。
「では、カイオン。
同じ術式を」
一瞬、空気が変わる。
地味な服装。
目立たない立ち位置。
これまで、授業でもあまり前に出なかった青年。
カイオンは、少しだけ息を吸った。
(力を、使うんじゃない)
(流れを、感じる)
彼は杖を構えない。
ただ、掌をわずかに開いた。
精霊は、呼ばれたのではなく――
そこに“あった”。
術式は小さく、静かに組み上がる。
空気が澄み、
光が一瞬、机の縁をなぞった。
派手さはない。
だが、途切れない。
教官が、目を細めた。
「……良い」
「力を借りすぎず、
返す先も自然だ」
教室が、静まり返る。
ローデリクは、何も言えなかった。
カイオン自身も、少し驚いたように自分の手を見る。
(……できた?)
フェリクスが、にやりと笑った。
「なるほどね。
“強くなろうとしなかった”のが正解か」
リュシアは、ほっと息を吐く。
(気づいたんだ……)
教官は講義を締めくくった。
「精霊術とは、支配ではない」
「知を積み、
線を引き、
世界と折り合いをつける技だ」
休憩の鐘が鳴る。
学生たちは立ち上がり、
いつもの雑談に戻っていった。
ローデリクは黙ったまま教室を出る。
その背中を、誰も追わなかった。
カイオンは、まだ少し戸惑った顔で立っている。
「……今の、たまたまかな」
リュシアが、微笑む。
「いいえ。
ずっと、準備してきた結果です」
フェリクスが肩をすくめた。
「やっと、自分のやり方を見つけたってだけさ」
カイオンは、少し照れたように笑った。
そのとき――
窓の外を、柔らかな風が通り抜けた。
精霊は、何も言わない。
ただ、そこに在り続ける。
そして、
誰がそれに応えるのかを、静かに見ていた。




